第11話 ……またカエルなんじゃないよね?
放たれるおぞましい気迫に怯えながら、俺たちは子ども限定エリアの列に並んだ。
開場時刻と同時に、一般入場の群衆が濁流となって建物内へとなだれ込んでくるのが見えた。あっという間に会場は人で埋め尽くされ、怒号に近い喧騒に包まれる。
だが、プレミアムパスの恩恵で既にブース列の前方を確保していた俺たちには、そんな混沌も対岸の火事でしかない。
「見て、あの人たち」
凛音が顎でしゃくった先には、さっそく終わりの見えない行列が形成されていた。蛇行しながら会場の外まで続く連なりは、さながら亡者の行進のようだ。
「今から並んだら、二時間コースだね。後ろの方の人は、配布カードもらえなそう」
「……プレミアムパス様様だな」
「私に感謝しなさいよね」
したり顔……というより、なんだかやけにトゲトゲしい。
言葉の端々に、『誰かさんがデレデレするために用意したんじゃないんだぞ』という主張が見え隠れする。
さっきの件もあってか、やけに恩に着せてくるな……。
「次の方、どうぞー!」
列が進み、アイリズのバッジをつけたお姉さんに手招きされる。ゲートの横には『中学生以下のお子様限定! 保護者同伴必須』という看板が、いやというほど入場条件を主張していた。
どうやら、年齢確認ができるものの提示か、身長を一定の基準としているらしい。
「お嬢ちゃん、身長測らせてねー」
促されるまま凛音がパネルの前に立つと、頭頂部はメモリの百三十五センチを指し示した。小学五年生にしては、少し小柄な方かもしれない。同い年の鈴の方が、もう少し大きかった気がする。
「はい、大丈夫です! では、保護者の方にお願いがあります」
スタッフは俺に向き直り、真剣な面持ちで説明を始めた。
「エリア内は大変混雑します。迷子防止と安全管理のため、中では保護者の方と『必ず』手を繋いで回ってください」
「……手を、繋ぐ?」
マジかよ。
俺と凛音は、同時に顔を見合わせた。
「万が一離してしまった場合は、スタッフがお声がけさせていただきますので! ギュッと離さないでくださいねー!」
「……聞いてない」
不服そうに呟きつつ、凛音は唇を尖らせる。さっきまでの天狗ヅラは崩れ、頬が微かに赤みを帯びている気がした。
いや、照れくさいのは俺だって同じだぞ。
「決まりなら仕方ないな。ほら」
俺は観念して、空いた右手を差し出した。凛音はそれを、得体の知れないものを見るような目で見つめる。
「……またカエルなんじゃないよね?」
「エアコン効いてるから大丈夫だって」
「どーだか」
疑いの眼差しを向けながらも、渋々といった様子で手を伸ばしてきた。
ぎゅっ。
握った瞬間、あまりの小ささに驚いた。俺の手のひらに、すっぽりと収まってしまうほど華奢で、そして少しひんやりとしている。
……久しく手を繋ぐこともなくなった鈴の手も、こんなんだったかな。
「はい、しっかり繋いでくださいねー。それでは、こちらが本日の入場特典コーデセットです!」
スタッフのお姉さんが、透明なフィルムで密封されたパックを二つ、にこやかに手渡してくれた。
受け取ったパックの中には、四枚のカードが綺麗に重なって封入されている。
一番上に見えるのは、さっきのコンパニオン……じゃなくて、大宮ひかりとかいうオレンジ髪のキャラ。
《東京おもちゃフェスティバル参戦・大宮ひかり》という文字が、箔押しで誇らしげに刻印されていた。
なるほど、こうしてひとまとめにしてくれてるパターンもあるのか。助かる、いつもこうやってくれたらいいのに。
おかげで、多くの人が行き交う会場内でカードを慌ててスリーブに入れる、なんていうムーブをしないで済む。
「やった、プロモゲット!」
隣で、凛音が控えめながらもガッツポーズを決めた。
……ゲンキンなやつめ。さっきまであんなに膨れっ面してたくせに、限定カード一枚でご機嫌だ。いやはや、アイリズの威力、恐るべし。
まぁ、お胸が素敵なお姉さんにデレデレしてた件は、これで忘れ去られたと思いたい。
機嫌が良いうちに、さっさとブース内を楽しもう。女子の機嫌と山の天気は変わりやすいからな。
ゲートをくぐった先は、アイリズプレイヤーの夢が凝縮された空間だった。
まず目を引いたのは、壁一面の巨大な展示ケース。歴代のアイリズカードが、サービス開始から現在まで、全て時系列順に並んでいる。
初期のシンプルな絵柄から、徐々に洗練され、複雑になっていくデザインの変遷はさながら、巨大な歴史絵巻を見ているようだった。
「うお……圧巻」
「ふふん。私、ここに飾ってあるカード……ぜーんぶ持ってるんだから」
凛音は、繋いだ手をグイグイと引っ張り、宝物を見せびらかすかのようにケースの前まで進んだ。
「……お前さすがだな。妹だって全部は持ってないぞ、たぶん」
「アイリズの筐体稼働初日から、欠かしたことないもん」
筋金入り、という言葉すら生ぬるい。彼女はもはや、アイリズの生き証人だ。
凛音はガラスに顔を近づけて、一枚一枚を愛おしそうに眺めながら歩く。やがて、最初期シリーズのコーナーで足を止めた。
「見て、これ。《あいなのリボン》」
彼女が指差したのは、今の派手なカードに比べると、少し線が太く、どこか古めかしさを感じるイラストだった。
「私が一番最初に出したカード」
「第一弾のカードか。これ、今だと相当プレミアついてるんじゃないか?」
「ううん。これはノーマルだし、そんな高くないよ」
凛音はガラス越しに、リボンを指でなぞった。
「でも私にとっては……何億円積まれても譲れない、大切な宝物」
そう言って、次のカードに視線を移す。まるで古いアルバムをめくって、一枚一枚に込められた記憶を辿っているようだった。
「わー! ひなみーん!!」
子どもたちの無邪気な声が、湿っぽい空気を吹き飛ばした。
エリアの中央が、にわかに色めき立っている。
「なんだ?」
そこには、等身大のお人形としか言いようのない、二つの影があった。
さっきのコンパニオンのような、生身の人間が衣装を着ているのとはわけが違う。
巨大な瞳が描かれた硬質なマスク。表情ひとつ変えず、永遠の微笑みを湛えたその顔は、いわゆる『着ぐるみ』だ。
だが、アニメそのままの姿で、子どもたちの目線に合わせてしゃがみ込み、ハイタッチをしたり、手を振ったりして愛想を振りまく姿には、不思議な実在感があった。
「あ……っ、ひなみんとみほしちゃん」
繋いだ凛音の手が、ぴくりと反応する。体ごと吸い寄せられそうになるのを、理性で必死に耐えているようだ。
「並ぶか?」
俺が聞くと、彼女は一瞬躊躇した。
目はファンサ中の二人に夢中なのに、足が動かない。
「で、でも、私もう小五だよ……? 子どもっぽくない?」
「ここは、お子さま限定エリアなんだが?」
「む……それは……そう、かもだけど……」
『高学年としてのプライド』と、『推しと触れ合いたいという本能』が、脳内で激しくせめぎ合っているらしい。
けれど、彼女たちがカメラに向かって、アイドルポーズを決めるたびに、凛音の瞳がキラキラと揺れるのを見れば、答えは明白だった。
「ほら、行くぞ」
俺は彼女の手を引いて、列の最後尾についた。
前に並んでいた女の子が、母親に抱っこされてみほしちゃんとハグをしている。隣ではひなみんが、つるりとした手袋の指先で、優しく女の子の頭を撫でていた。
凛音は落ち着きなく、もじもじと体を揺らしている。そのくせ順番が近づくごとに、俺の手をぎゅーっと強く握りしめてきた。緊張しているんだか、それとも昂っているんだか。
「はーい、どうぞー!」
程なくして、俺たちの番が来た。
「ほら、行ってこい」
「う、うん」
背中を押され、凛音がおっかなびっくり近づく。ピンク色の衣装――ひなみんが、目線を合わせるようにしゃがみ込み、遠慮がちな彼女を迎え入れてくれた。
そして、優しく包み込むようにハグ。
「ひなみん……! みほしちゃん!」
憧れの存在に触れた瞬間、彼女の理性は消え去った。
普段の大人びた態度はどこへやら。
そこにいたのは、ただ無邪気に好きなものを愛でる、年相応の……いや、うちの鈴よりもずっと幼く見える女の子。
二人に交互にしがみつく姿は、本当に幸せそうだ。
俺は急いでスマホを構えた。
この瞬間を、逃すわけにはいかない。
画面越しに見る彼女の笑顔は、とろけるように甘く、嘘がない。
(……まったく)
シャッターボタンを押しながら、小さく息を吐いた。
いつもこれくらい素直で純真だったら、もっと可愛げがあるのにな。
撮影が終わって列から離れても、凛音はまだ夢心地のままだった。
「見た? ひなみんとハグした。みほしちゃん、いい匂いした」
「よかったじゃないか」
「うん!」
「でも中はバイトのおっさ――」
「……蹴るよ?」
手を離すことなく、俺たちはエリア内を更に探索した。奥へ進むと、ニンニンドーSwatchが何台も並ぶブースが見えてきた。どうやら発売前のアイリズ新作ゲームが試遊できるっぽい。
わざわざゲーセンに行かなくても、家で気軽にアイリズができるなんて画期的だな。財布にも優しいし。
「あれはやらないのか?」
「いい。どうせ買うし」
「……ブルジョワめ」
こいつにとっての『ゲームソフトを買う』って、俺が自販機でジュース買うくらいの感覚なんだろうな。住んでる世界が違いすぎる。
そんな資本主義を嘆きながら歩いていた時だった。
ドンッ。




