亡品堂
羅生門を呼んだあと影響を受けた作品です。
アルファポリスにも重複公開しています。
ある雨の日のことである。
針のように細い雨が山の斜面を濡らす。
そんな中、一人の山人が山を彷徨っていた。
山人は、茸の入った編み籠を背負い、辺りを見回しながら歩いていた。
山にはこの時期相応の霖雨の所為で霧がかかっており、人間が遭難するには十分だった。
山人は速い足取りで木をくぐっていくが、人の気配は全くなく、見慣れた道に出ることもない。
山人はとうとう疲れたのか、その場に腰を下ろした。
陳腐な洋袴が、地面に濡らされる。
しかし、山人はそんなことが気にならないほどに精神的に、肉体的に疲弊していた。
一時はこのまま死んでしまおうかと思ったほどだった。
というのも、山人の家は一昨日、留守の間に山賊に襲われ、愛用の鉞や鉈、金品全てを奪われているのである。
全てを無くした山人の絶望はひととおりではない。
だが、全てを無くしたといっても欲だけは残っており、今こうして茸を採りに来て、遭難しかけているのである。
否、遭難している。
「はぁ」
山人は重いため息を洩らした。
雨足が強まり、その音は何もなかったかのように消え去る。
しかし、ザッザッと落葉を踏み潰す音が代わりに響いた。
徐々に増していくその音量に山人は戦慄する。
今は狐やら猪やら熊やらが越冬のために必死に食物を集める時期である。
いくら死にたいと考えていても、肉を引き裂かれ、脳髄をばらまき、苦痛と共に死ぬのは嫌だった。
悪い予感が過った山人は、慌てて立ち上がろうとした。
だが、時既に遅く、山人は近づいてきていたそれと目が合ってしまった。
「おや、まだ生きておられましたか」
落葉を踏み潰していたのは人間だった。
髪は落葉のように茶色く、白と紺を上から連続階調したような色の着物を羽織った男だ。
山人は安堵のため息を吐くと、力が抜けて再び地面に尻をついた。
「助けの者か?」
「助け? いや、違います。私はしがない店のしがない店主です」
「そんなわけがない。こんな辺鄙なところに店などあるわけがなかろう。それに、今しがた安否の確認をしたではないか」
山人は男に向かって言った。
男は、山人の追及にゆっくりと微笑むとまるで実家の和室のように落ち着いた様子で口を開いた。
「この雨は長くなりそうですし、詳細は私の店で話しましょう。こんな辺鄙なところで話して熊にでも殺されたら堪りませんしね」
◇◇◇◇
山人の眼は、木々の中に雨に紛れるようにひっそりと佇む、一軒の店を見た。
木造の柱が雨露の所為で黒ずんでおり、いっそうの古屋感を醸し出している。
「ここが、私の店である亡品堂です」
店主は店の扉を開け、山人に入るよう促した。
山人は、多少の安らぎと訝しみを覚えつつもその促しに従った。
店内は分別というものが無く、ひたすらに散らかっていた。
衣類の横に蓄音機が売られているという陳列に、山人はここが本当に店であるのかという訝しみもまた覚えた。
「随分、品揃えが良いでしょう? この時期はよく品物が手に入るんです」
「ここは雑貨屋か?」
「広義に言えばそうなんでしょうね」
店主は勧請台と思わしき場所にゆっくりと腰掛けながら言った。
「地獄があるというならば、ここは道具にとっての地獄。持ち主を亡くした品々を《《裁く》》。そんな店ですよ」
店主は、台の上にあった急須と湯呑みを二つ取り寄せると、徐ろにお茶を淹れ、山人に差し出す。
しかし、山人はそれの受け取りを拒否し、代わりに睨むような視線を返し、顔を顰めた。
「死人の形見を拾って売っているのか?」
山人は詰問した。
山人にとって死人のものを拾い売るのはその死人を愚弄していると感じたのだ。
自然は恐ろしい。
故に日々の大半を山で過ごす山人は、今まで何人かの骨を見てきた。
山賊に襲われたか、熊に襲われたか、単に遭難したのか、死因は定かではないが、それでも死人の持ち物を取るのは山人にとって快くなかった。
「それは確かに許さざれることです」
微笑んでいた店主は一転、真剣な眼差しで言った。
「しかし、人間は死んでもその人の道具はまだ幽かながら生きているんです。持ち主を失った道具の悲しみはひととおりではありません。そこで私は、猶予を与えることにしました。この辺鄙な場所にある店にその道具を置くことにしたのです。期間は一ヶ月。その間に誰かに買われたら生きる、そうでなければ死ぬ。運試しですよ」
「助けてやることはしないのか?」
「春は自殺、夏は熱射病、秋は遭難、冬は衰弱死、と、残念なことに死人は年中多いのです。全ての道具を助けてはやれません」
店主は『それでは不平等でしょう?』と続けた。
山人は言葉に淀んだ。
店主の真剣な眼差しの所為か、死人の道具を売るという行為が、さも善行かのように感じてきたのだ。
店主は人間の尺度で物事を捉えていない。
店主にとっては道具が一番であり、最重要事項なのである。
山人はそのズレた倫理観に不気味ささえ覚えた。
「さて、ここは亡品堂です。何でも見ていってください」
ザーザーと、窓の外の雨が激しく地面を穿った。
店内は一気に静まり返り、雨音が店内を支配した。
店主は依然と微笑みを浮かべているが、山人には不気味な笑顔に見えた。
山人は店主に気圧されてか、店内をとぼとぼと歩いた。
並ぶ商品は全て遺物ということを知ってしまった所為で初見のものとは比にならない程の気味の悪さを覚える。
「どうですか? 中々良い品揃えでしょう?」
店主の言う通り、店内には何でもあるように思えた。
衣類、本、家具、金物、一つの棚を目で追っていると、不意に、山人の眼は見覚えのあるものを捉えた。
「これは……」
予想も出来なかった道具の発見に、山人は反射的にそれを手に取り呟く。
「おや、それですか。それはですね、つい最近入荷したものですね。収拾場所はこの山で、持ち主は……誰でしたかね……?」
もはや店主の言葉など耳に入らず、山人はただその鉞を凝視していた。
柄には山人の名前が刻まれており、握るとしっかりと手に収まった。
紛うことなくこれは、山賊に盗まれた愛用の鉞だったのである。
他にも、辺りを探すと盗まれたものが殆ど見つかった。
山人は自らを嘲るように微笑すると、それらを勧請台の上に置いた。
「これらの道具をあと一ヶ月置いておいてくれまいか? 一ヶ月後に俺が買いに来よう」
「えぇ、構いませんよ。誰にも買われないように店の奥で保管しておきましょう」
「あぁ頼む。……ではまた一ヶ月後に」
山人は店の外に出た。
どのくらいの間店内にいたのか分からないが雨はすっかり止み、薄紅の光が差しているのが見えた。
山人は、軽い足取りで山を下った。
その後、一ヶ月間、店主が新たな品を入荷することはなかった。




