神隠し
「淡いへ繋がる扉って、いつでもどこでも開けるから、便利だよな」
「そうだね、今みたいに熊に出くわした時なんかは特にね」
ピタリと閉じられた扉を背にして、よろよろと倒れ込みながら、スイは辛うじて彩へ言葉を返しました。
「大丈夫か? 顔色が真っ青だぞ」
「そういう彩だって、まだ震えているじゃないか」
「ぎりぎりだったな。あとほんの少し遅かったら、餌になっていたぞ」
「やめてよ……」
想像するだに恐ろしい。暫くしてようやく落ち着いてきたスイは、握りしめていた傘を手放しました。彩は、傘を開いてふわりと美しい蝶のように宙へ舞い上がります。
「熊にあったときは、目を逸らさずにゆっくりと後ずさるんだって。前に師匠から聞いたことがある」
「ああ、だから後ろ向きで歩いていたのか」
「淡いの扉を開けたときに目を反らした瞬間、突然こちらへ向かって走り出したから、生きた心地がしなかったよ」
「そういえば、熊はあやかし者を喰うのかな?」
「どうだろう? 彩は、食いでは全くないから大丈夫だろうけど。ところで、ここは何処だろう」
「え、自分で開いたのに、知らないのか?」
「咄嗟に開いたから、目的地がどこかは深く考えていなかったんだ。淡いの世界であることは間違いないよ」
「俺は淡いの世界に詳しくないからなあ。見たところ誰の姿もないし、ただの森みたいだ。おや、綺麗な花が咲いているよ」
「本当だ、現世では見たことのない花だな。菊に似ている」
花に近づくと、森が開けてその先に波打つ丘があり、斜面に綺麗な花畑が広がっています。とりどりの色に囲まれて、小さな子供が立っていました。その子はごろんと寝転がり、花の海に沈みましたが、すぐにひょっこりと起き上がり、こちらを向きました。
「あの子、スイにそっくりだぞ。兄弟なんじゃないか?」
「まさか」
よく見れば、確かに、水溜まりに写した自分の顔によく似ています。その子は妖気を発しておらず、人の気配がしました。
「大変だ、迷子だよ。あのまま淡いの世界にいたら、帰れなくなる」
スイは彩を片手に、花をかき分けて進みました。
「おおーい! こっちへおいで」
手を振り呼び掛けますと、小さな男の子も振り返しました。
「わーい! 一緒に遊ぼう。一人でつまらなかったんだ」
近くまで泳いできたその子は、嬉しそうに手を繋ぎました。間近で見ると、ますますそっくりに見えます。
本当に、兄弟だったりして? いや、そんなばかな。僕はあやかし者だし、この姿は借り物で――。
そこまで考えて、はっとしました。もしや、あの子の……?
「僕は、レンだよ。きみは?」
「あ、僕はスイ。さあ、君の家まで送って行くよ。きっと家族が心配しているから」
「えー、まだ遊びたいよ」
「ここは、ずっといると危険なんだ。帰れなくなってしまうんだよ」
「ふーん、不思議なところだと思っていたけれど、もしかして、お化けとか出るの?」
「大当たり」
「か、帰る! 早く行こう」
「あっはっは……!」
「ひっ! 今、誰か笑った」
スイは傘を閉じて小脇に挟みました。
「さあ、行こう」
「うん」
レンと似た気配の人がいる場所を念じて淡いの扉を開き、手を引いて境界を潜り抜けます。
出た場所は、山の麓の村でした。人々が集まっていましたが、レンの、姿を見つけると、皆がほっとしたように集まって来ます。
「レン!」
女の人が駆け寄ってきて、レンを抱き締めました。
「お母ちゃん……」
わあわあと泣き出したレンを見て、周りの村人たちは、良かった、良かったと言いながらやがて帰って行きました。
「皆様、本当に有り難うございました。うちの子を探すのを手伝ってくださって」
頭を下げる女の人に、村人は朗らかに笑いました。
「なあに、困ったときはお互い様さ。しのさん、ここらへんは、昔から神隠しが多いんだ。レンくんが帰ってきて本当に良かったなあ」
灯籠の陰に隠れて様子を見ていたスイを、しのさんはどうしてか気がついていたようです。こちらへ手を差し出しますので、スイは恐る恐る前へ出ました。
「あなたも、神隠しにあったのね。あなたのお陰で、この子は帰って来られた。本当に、ありがとう」
しのさんはスイをもう片方の腕で抱き締めます。スイは、胸の辺りがほっこりと暖かくなり、何故か目に涙が滲みました。




