クラスに自称【お姫様】が転校してきた――わたくしの王子様になってください――
クラスに転校生がやってきた。
長く艶のある髪をたなびかせながら、優雅に歩く姿に思わず目を奪われたのは、きっと俺だけではない。
彼女は教室の前に立つと、制服のスカートの裾をつまんで持ち上げ、丁寧にお辞儀をした。
「久世院御姫ともうします。どうぞ“姫様”とお気軽に呼んでくださいませ」
あだ名の自己申告はともかく、それが姫様だというのはなかなか衝撃的だった。
よく見れば、頭にティアラみたいなの付けてるし……。ヘアアクセサリーは別に禁止されていないが、だからって、あんな絵本のお姫様が身に着けているようなティアラなんて。
本当にお姫様なわけがない。アニメじゃないんだから、そんな身分の人が普通の高校に転入してくるものか。
自分のことをお姫様だと思っている中二病――まぁそんなところだろう。
「姫様が前にいた学校でどんなところ? 東京ドームくらいの庭があったりする?」
「姫様ってどういう家に住んでるの、やっぱりプール付きの豪邸?」
休み時間になると、久世院さんの周りに人が集まった。
質問攻めは転校生が通る通過儀礼のようなものだろうが、いきなりいじられている。
まぁ姫様なんてあだ名を要求したらそうなるか。
「そこまで広くはありませんでしたが、季節に合わせた四つの花園がありましたわ。春の花園は春にもっとも美しく、夏の花園は夏にもっとも美しくなるんですの」
「プールはあるにはありますが、十メートルほどしかありませんので大きなお風呂といった印象でしょうか」
といった感じで、質問をさらりとかわしていく。
みんなはそれをおもしろがった。
話し方も設定もしっかりしていて、お姫様キャラをちゃんと作りこんでいる。
転校デビューに向けて、いろいろ考えてきたのだろう。
だが、好意的なのは最初の一週間くらいだった。
二週目に入っても、まだティアラを付けて来る。そういう姿を見て、うんざりする人が少しずつ出るようになった。
お姫様キャラは最初のインパクトこそあったが、その分あきられるのも早かったのだ。
「ごきげんよう、皆様。本日も良いお天気ですわね」
ある朝、登校してきた久世院さんは、入口付近にいたクラスの女子たちにそう挨拶した。
彼女たちは困ったように顔を見合わせてから、
「久世院さん、そろそろ普通にした方がいいよ? お姫様ごっこはその辺にしておかなにと、その……変な意味で浮き始めてるから」
と言った。
「ご忠告ありがとうございます。ですが、ごっこではありません。わたくしは本当に姫なのです」
「…………あっ、うん……そう」
これ以上なにを言ってもムダと判断したのか、その女子はそれ以上なにも言わなかった。
それ以降、日ごとに久世院さんに対するクラスメイトたちの反応は冷たくなっていった。
いじめられているとかではない。
変な人に関わりたくない――もっと好意的に言えば、あきられスベっているネタをいつまでも続ける寒い人と関わりたくない――という感じで、久世院さんはぼっちになっていった。
本人がいないところでではあるが、「あの出オチをいつまで引っ張るつもりなんだろ?」と言われているのを耳にすることがあった。
そんな状況になっても、
「ごきげんよう、皆様」
と言って、元気に登校してくるのだ。
なにがなんでもお姫様キャラをやめるつもりはないらしい。
ある日、俺のバイト先に新しい人が入って来た。
同い年の女子だというので、ちょっと期待していたのだが……久世院さんだった。
「あら、同じクラスの方ですわね。ごきげんよう、このようなところで出会うとは世間は狭いですわね」
「あ、うん、こんにちは……久世院さん、バイト先でもそのキャラを通すつもりなの?」
「キャラとはなんのことでしょうか? わたしくしは本当の姫ですことよ」
「お姫様ならバイトなんてしなくてもお金あるんじゃないの?」
「社会勉強として労働をしてみなさい、とじいやに言われたのですわ」
そういうところにも設定を作っているのか。凝ってるなぁ。
「学校なら変な人って思われるだけで済むかもしれないけど、仕事に支障が出ると怒られるからね。その辺は気を付けて」
「ご忠告ありがとうございますわ。ですがご安心を。この久世院御姫、TPOはわきまえておりますわ」
わきまえてなさそうだから言ったんだけど……。
ちなみに、俺のバイト先はファミレス。久世院さんはホールスタッフで、客相手に「ですわ」なんて言っていたらかなり浮くんだが。
まぁマニュアル通りにしゃべるだけだから大丈夫か。
「いらっしゃいませ、こちらメニューになりますわ。お決まりになりましたら、お声をかけてくださいませ」
いや、大丈夫じゃなかった。学校と同じ調子でお姫様ごっこをしてる。
社会勉強のためにバイトしてるお姫様――って設定を貫いている。
当然、
「ああいう変なしゃべり方はやめてくれない?」
と、店長から指導が入った。
お姫様言葉によるトラブルは起こらなかったが、あまり好ましくないと判断されてしまったようだ。
「申し訳ありませんわ。ですが、これがわたくしなのです」
「いや、これお仕事だからね。変な個性出さなくていいから」
「ですが――」
「マニュアルを守れないならクビにするよ?」
「あうっ……わかりましたわ」
久世院さんはしょぼんとして肩を落とした。
ちょっとかわいそうだけど、まぁしかたないか。
しかし、久世院さんという人は、どうもかなりメンタルの強い人らしい。
店長に怒られはしたが、店長がいない日や、他の仕事で忙しいタイミングを狙って、お姫様言葉での接客を再開した。
「なにが久世院さんをそこまでさせるの?」
俺はそう質問せずにはいられなかった。
「わたくしはわたくしでありたいだけですわ。ですので、あなたもわたくしのことは“姫様”と呼んでくださいませ」
「高校生になってお姫様ごっこに付き合うのはなぁ……」
「ごっこではありませんわ! どうして誰もわかってくださらないのかしら?」
首を傾げながら、どうやら本気で悩んでいる様子をみせる。
一体どうしてここまでごっこ遊びに熱中できるのか?
変な人だ。
でも、高校生になっても、ごっこ遊びに熱中できる情熱は羨ましい。
マネしたくはないけど、ちょっと憧れる気持ちがあったりして……。
「え、君お姫様なの? あはははっ、おもしろいねぇ。おじさん笑っちゃったよ!」
久世院さんがバイトを始めて数週間が経ったある日、ホールからそういう声が聞こえてきた。
見ると、中年の男の客に久世院さんが絡まれている。
テーブルには空のジョッキがいくつも並んでいる。どうやらかなり酔っているようだ。
「ここって普通のファミレスかと思ったけど、そういうお店なの? どんな風にお姫様なのか詳しく教えてくれない? ほら、ここに座って。何か飲む?」
その男は、久世院さんを席に座らせ、話し相手をさせようとしている。
こういう時は店長がなんとかするべきなのだが、あいにく今日は会議で本部に行って留守だ。
バイトリーダーは女子大生なので、ああいう客の対応を任せにくい。
男は久世院さんの腕を掴み、ムリヤリ椅子に座らせようとする――久世院さんは張り付いたような笑みを浮かべるだけで、他のバイトたちは、どうしたらいいのかわからず固まっている。
「おじさんたちとお話ししようよ、ねぇ彼氏いるの?」
久世院さんの体が震えているのが見えて、俺はこれ以上黙って見ていられなくなった。
「申し訳ございません、お客様。店員にお手を振れないでください」
そのテーブルに行き、久世院さんの腕を掴んでいるその男の腕を掴んだ。
「おい、放せよ。店員が客の腕を掴んでいいのか?」
「同僚を助けるためなので、これくらいは許されると思います」
「おいおい、ただ一緒に楽しくおしゃべりしたいってだけだぞ。どこに問題があるんだ、店員さん」
「当店はキャバクラではありませんので」
「いいじゃねぇか少しくらい。ったく、つまんねぇ奴だな、お前は。もういいから、この子だけ置いてとっとと消えろ。だいたいなんなんだ、お前は?」
あまりに身勝手なその男の言い分に、我慢の限界がきた。
これ以上こいつと話していたくない。
お望み通り、さっさと消えてやろう。
だが、久世院さんも連れて帰らせてもらう。
全力で男の腕を握りしめる。
「いででででっ!」
男は悲鳴をあげて、久世院さんの腕を放した。
その隙に、俺は久世院さんの体を抱え上げる。いわゆるお姫様だっこだ。
「おい、店員が客に暴力を振るうのか? 本部に苦情を入れるからな! 警察を呼んだっていいんだぞ」
「どうぞご自由に。ホールにはカメラがあって全部録画されています。警察がきたらそれを提出して、どっちに非があるか説明するだけです」
「カメラ? ぐっ」
男が黙ったので、今のうちに引き揚げさせてもらおう。
だが、まだ少し怒りが収まらないので、最後に一言だけ。
「俺が何者かだって? お姫様を助けにきた王子様さ」
そう言って、久世院さんを抱えたまま裏まで歩いて行った。
他のお客さんたちから、笑い声と一緒に拍手が飛んできて――そこまで悪い気分じゃなかった。
その男は、それからすぐに帰って行った。
会議から戻って来た店長は、ことの顛末を聞いて録画された映像を見た。
「ちょっと強引なやり方だなぁ。あとで問題になるかも」
と、頭を抱えていた。
悪いのは客だということはわかってくれたようだが、それとこれとは別らしい。
本部にクレームが入れば、なんらかの対応をしなければいけなくなる可能性もあるそうだ。
「クビになるかもってことですか?」
「そうならないようにはしたいけど……」
店長の言葉は歯切れが悪かった。
まぁ覚悟はしておこう。
「さっきはありがとうございましたわ」
バイトが終わって裏口から店を出ると、そこに久世院さんが立っていて、いきなりお礼を言われた。
久世院さんのシフトは俺より一時間早く終わったけど、わざわざ待っていてくれたのかな?
「助けていただけなければ、今頃どうなっていたか」
「おおげさだよ。そんなたいしたことじゃないって」
「いいえ! あの時のわたくしは、怖くて怖くてしかたがなかったのです。そこを助けていただいたのですから、どうかお礼を言わせてくださいませ」
「そういうことなら――どういたしまして。まぁとにかく、久世院さんが無事でよかったよ」
それからふたりで並んで歩いて、駅に向かった。
道中、俺はこんなことを言った。
「久世院さんがお姫様なのはわかったけど、そういうのはあまり公にしない方がいいんじゃないかな? 今日みたいなこともあるし、学校でも、その……」
学校で友達がいないのも、バイト先で今日みたいなことになったのも、すべては彼女のお姫様ごっこのせいだ。
普通にしていれば、きっと何事もない普通の生活を送れるはず。
だから、彼女はそうするべきだ。そろそろ中二病を卒業――しなくてもいいが、心のうちに秘める努力をした方がいい。
すると久世院さんは少し沈黙してから、覚悟を決めたと言わんばかりの顔でこう言った。
「大事なお話しがあります。おどろかれるかもしれませんが……実はわたくしは、姫ではないのです。ただの庶民です。前に通っていた学校は普通の県立高校ですし、自宅は賃貸マンションです」
「………………そうなんだ」
知ってた。
というか、お姫様だって信じていた人なんて、クラスにひとりもいないよ。
「わたくしはただお姫様に憧れ、そういう自分になりたいと思って、それっぽい振る舞いをしていただけにすぎないのです」
「……そっかぁ」
「そのせいでクラスで変な人扱いされているのも知っています。ですが、わたくしが好きでやっていること。誰かに迷惑がかかっているわけでもないので、気にしないことにしていました。ですが、今日はあなたに迷惑をかけてしまいました」
「たいした迷惑じゃないよ。それに、さっきも言ったけど、久世院さんが無事だったのがなによりだから。気にしないで」
「はい、ありがとうございます」
久世院さんはもう一度深々とお辞儀をした。変わっているけど、きちんとした子だ。
「ですが、これからは、お姫様のふりをするのは少し控えようと思います。また迷惑をおかけしたくはありませんので」
「うん。でも、やめる必要まではないと思うよ。時と場所を選べば」
「はい。ですので、これからは王子様の隣にいる時だけ、お姫様になろうと思います」
「王子様?」
それから久世院さんは、俺に右手を伸ばしてこう言った。
「あなたのお姫様になりたいです。だから、わたくしだけの王子様になってください!」