蟲の加護
昆虫。それは脊椎動物が魚だけだった頃に地球に誕生して、その種類と数はどの生物種よりも多く地球上のほぼ全域に生息しているんだ。
身体が小さいから生態系の下位に位置するんだけど、時として群れを成すことで身体の大きな相手を仕留めたりもするんだ。
更には圧倒的な繁殖力で数を増やし、擬態能力などを用いて相手の目を欺くなど多彩な能力を持っているんだよ。
人間とも深い関わりを持っていて、食糧になったり作物の受粉はもちろん、その見た目で嫌われたり逆に好まれたりと、人間の歴史にも大きく昆虫は関わってきたんだ…。
「あ…!カブトムシだ!」
アホ毛の生えた十歳くらいの男の子が、木の上に登って大きなカブトムシを捕ろうと手を伸ばしていた。空でゴロゴロと雷鳴が響いていることにも気付かずに…。
「あがっ…!?」
そしてカブトムシを目前にして、ピシャアアンと落雷に打たれたその子はそのまま木から落ちてしまい……。
「はっ…!?」
「あら、どうしたのコダマ?」
「ううん…何でもないよ、お母さん…。」
地面にぶつかる寸前にハッとなり飛び起きる。また前に生きていた世界の記憶が呼び覚まされたようだ。
ボクは先程の夢の少年の生まれ変わり…転生者と言う存在で、前世で虫の知識とある程度の記憶だけを引き継いでこの世に生を受けて七年の歳月が経っていた。
「さあ、あなたの大好きなハチミツたっぷりのホットケーキよ。今日はあなたのプレシャスが分かる大切な日ね。」
「うん!」
プレシャスとはこの世界の人間ならば誰もが身に着ける特殊な力のことだ。それによってその人の人生が左右されるためとても重要なことだそうだ。
「いらっしゃいましたね。これからプレシャスの審判を行ないますよ。」
プレシャスは基本的に七歳ほどで発現するらしく、どんなプレシャスかは教会で分かるそうだ。プレシャスの始まりは神様から授かった力だからと言われているが本当のところは分からない。
「やったー!お父様、剣聖だそうですよ!」
「おおっー!お前は私の誇りだ!」
「げっ…盗賊?」
「むう…何と言う事だ…。」
「聖女ですって!」
「きゃー!スゴいわ!」
ボクと同年代の人達が様々なプレシャスに一喜一憂していて、将来有望とか言いながら喜んでおり、ボクもどんなのを授かるか楽しみだった。
「さあ、コダマ。前に出なさい。」
「はい。」
そして遂にボクの順番が回ってきた。目の前には牧師さんと大きな水晶玉があって、これでボクの授かるプレシャスが分かるらしい。
「手をかざして念じて御覧なさい。」
最初は何か電撃か何かが流れるのではないかと心配しながら、言われた通りに念じるように水晶玉に触れると暖かい光と温もりが伝わってくる。
「見てご覧なさい。あなたのギフトが見えてきましたよ。読み上げてみなさい。」
目を開けてみると水晶玉に前の世界では見たことがない文字が浮かんできた。しかしながら何と言う意味かは異世界に転生してからお母さんから教わったため理解出来る。
「『蟲の加護』…これがボクのプレシャスです。」
「蟲の…加護だと?」
いつもは穏やかな牧師さんにしては珍しく口調が強くなっていた。
『加護』とは何かしらの恩恵を受けることなのだが不死鳥の加護なら不死身になれるし、ドラゴンの加護なら潜在能力が著しく強化されると言った恩恵を得られるのだ。
加護はプレシャスの中でもよく耳にすることがある部類なのだがその中でもボクのはかなり特異的な物だった。
「おいおい、蟲の加護だとよ…。」
「加護はよく聞くけど虫けらの恩恵を受けてもなぁ…。」
「こりゃあ期待出来ないな…。」
特異的と言っても周りの人々が落胆した声を出すように、授かった加護の恩恵は不死鳥でもドラゴンでもなければ虫からの恩恵であり他の人からすればあまり欲しくない加護かもしれない。
「蟲の…加護…。」
「コダマ…その…。」
「…昆虫の加護…!わああ…!」
牧師さんはボクの境遇を気の毒に思って気まずそうにしていたようだが…。
そんなことはない!昆虫が大好きなボクからすれば、こんな加護を貰えるなんて願ったり叶ったりだよ!
「母さん!やったよ!」
「ふふっ…あなたがそれで良いなら、それで良いのよ。」
最初は母さんも気の毒に思っていたようだが、ボクの心から嬉しそうな様子を見てホッとしていた。
「あんなハズレみたいなプレシャスを貰って嬉しいのか?」
「虫けらの加護なんて冗談じゃない…寧ろあんな田舎っぽい奴が授かってこっちは大助かりだな。」
「まあ、本人は落ち込むどころか喜んでるし…幸せな奴だな。」
周りは何だか冷ややかだったり、呆れたり、哀れんだりした様子を見せてるけど…ボクは嬉しくて小躍りしそうなんだ!
「とにかくコダマ、君にこの先の未来に幸があらんことを…。」
「ありがとうございます!」
もうとっくに幸せだよ!大好きな虫に由来するプレシャスを授かったんだから!
とにかくボクは牧師さんにお礼を言って母さんと一緒に教会を後にしたのだった。
「コダマ、これからどうしたい?」
「ボクは母さんと一緒に住むよ。元々冒険者になるつもりはなかったし、父さんから言われたように母さんとこの自然を守りたい…。」
ボクの父さんは三歳の頃に病気で死んじゃって、今では母さんと山奥の村で二人暮らしをしている。
「コダマ、 見てご覧…これが私達の誇りだ。」
そんな父さんはある日、ボクを連れ出してくれた時にある言葉と景色を残してくれたんだ。
目の前には地平線まで広がる緑豊かな大地、清らかな小川に雄々しく水を落とす滝、そこに住まい恩恵を受けて育まれる虫や動物、そしてボクら人間が平和に住まう景色…ボクはその大自然の光景に一瞬で心を奪われた。
「父さんも母さんもこの村の人達も自然が大好きなんだ。 だからこそ自然を守り、助け合い、そして自然の恩恵を受けて私達は自然と共に育ってきた。」
三歳の子供にはまだ分からないかもしれない。けど、その言葉は不思議と心に残り、いつの日かその言葉の意味が芽吹く日が来ると思えた。
「お前はお前の望む道を歩んでも良い…しかしそれはお前が自らの道を歩みここを去る日が来る。その前にこれを見せたかったんだ。心に残るように…。」
「父さん…。」
まだ言葉の意味が分からなかったが、少なくともあの時は自然の光景に感動して涙が溢れていた気がする。
「父さんや母さんが…村の人達が守っていたあの自然を、ボクは守りたいって思ってる。だから悔いはないよ。」
「コダマ…。」
母さんは泣いてはいなかったが、少し残念そうでそれでいて心の底から嬉しいと言う表情をしながら優しく抱き締めてくれた。
「それとこの大自然の中には私達に力を貸してくれる者達もいるんだ。」
しかしそれとは別に遺してくれた言葉とは別に父さんは気になることを言っていた。
「お前もいつか会う日が来る…『妖精』にな。」
「妖精…?」
元の世界でも妖精のことは知っていた。そんなのが本当にいるかどうかは確証はなかったが、不思議とボクはそれを受け入れていて父さんの言うようにいつしか会えるのではと心の片隅では切に願っていた。
「蟲の加護か…よし!」
母さんと共に昼食と家の手伝いをある程度終えたボクは日課である野山の散策に来ていた。周囲は森深い山と言っても今のボクには庭も同然だった。
「えっと…プレシャスの使い方は…。」
七歳ぐらいなるとプレシャスを授かるのだが、使い方などは自分達で見極めることとなる。
と言うのもプレシャスは人によって千差万別であり、親から子へと一子相伝なのもあれば、ありきたりな種類や全く知られていない種類もあるらしい。
そのためプレシャスのことを教えようにもその分の人手が必要だし、そもそも教える前に同じようなプレシャスを授かった人間を見つけること事態が難しいのだ。
「どう使えば良いんだろう…?」
自身で取得する必要はあるが、赤ちゃんが掴み立ちした後に自身の力で歩き出すように、備わったからには使い方事態は直感で分かっていくと教えられた。
そもそもプレシャスのことを教えてくれる人がいないのもこれが起因してるらしく、そのこともあってかボクはどうすれば良いか徐々にコツを掴み始める。
「……集合。」
不意にそんな言葉が口から出ると何やら身体の魔素が煮込まれるかのように活性化するのを感じる。それに合わせて周りをヒラヒラと蝶が飛んでくる。
「やった!モンシロチョウだ!」
ここはボクがいた世界とは異なるけど生息している虫は同じらしい。だからモンシロチョウを始め、アゲハチョウやベニシジミと言ったよく知る蝶が見受けられる。
何でもこの世界の空気中には魔力の源である魔素があるらしいけど、それを変換する力が弱いためそこまで姿形が変わることはないと言う。
「でも、君達はそんなに変わらなくて良いよ。生きることは素晴らしいことなんだから…。」
でも、ボクに取っては小さくても限りある生命を一生懸命生きているだけでも素晴らしいと思うからこそそれで良いと思っている。
「それで君達に聞きたいことがあるんだけど…。」
ボクは近くに寄ってきた蝶達に話しかける。前の世界でも言葉や意思疎通が出来なくとも色々と話し掛けたが、蟲の加護に目覚めたからか虫達と心と心が通じ合うような気がした。
「っ!うん…うん…そうか。ありがとう。」
嬉しいことに蝶とボクは本当に心が通じ合い、知りたかったことを伝えてくれる。お礼にボクは小さな魔力の光の玉を作り出し蝶達に与える。
「いいよ、たくさん食べて。ボクは魔力を蓄えることは出来ても魔法として変換するのが苦手だから…。」
ボクが冒険者にならなかった理由の一つとして、ボク自身は魔法が使えないと言う弱点がある。
この世界の人間や生き物は魔素を空気や水や食材などから摂取し魔力として体内に溜め込むそうだ。
そして人間はそれを魔法として使うのだが、ボクは先天的に魔法を出す力が極端に弱く光の玉を作るので精一杯だった。
「せめて君達にあげるよ。ボクにはあっても宝の持ち腐れだし…。」
蝶だけでなく他の虫達も集まってきてボクの魔力を欲しがってくるため、喜んで魔力を光の玉として精製し虫達に与えていく。
「ん?君があの虫の居所に案内してくれるの?」
すると頭のアホ毛に一匹のトンボが止まり、ボクの案内係になってくれるようだ。
「母さん、ちょっと散歩しない?」
「あら、どうしたの突然?それにもう外は暗いのよ?」
ある虫の居所を探し当てたボクは晩御飯の後で母さんに外の散歩に誘う。
「夜風が気持ち良いね。」
「そうね…。」
基本的に夜に出歩くことはしないため母さんは最初は戸惑っていたが次第に慣れたのか嬉しそうにしていた。
「あら、ここは?」
「湖だよ。見ててね…おいで!」
ボク達はとある湖に辿り着き、準備が整ったところでボクはある虫達を呼び寄せた。
「…!わああ…!」
「綺麗でしょ?」
湖の側に生える草木からエメラルドグリーンの光の玉が無数に飛び交う。
「これは何なの?」
「ホタルって虫だよ。お尻を光らせて飛び回るんだよ。」
ボクが他の虫達に頼んで探して貰っていたのはホタルだった。元の世界で見掛けた昆虫がいるのなら、もしかしたらホタルもいるかなと思っていたらやっぱりいてくれた。
「虫が光ってるなんて…不思議ね。」
この世界の人達は余り昆虫には関心がないんだ。小さくて弱いこともだけど、ドラゴンや魔獣と比べると取るに足らない存在なため誰も気にしないみたいなんだ。
「綺麗ね…。」
「うん…小さくてもこんなに心に残ることをしてるんだから…。」
しかし虫には虫の素晴らしいところがある。今みたいに星空が目の前にあるような光景を作り出すと言うのに、それを知らないなんて勿体ない気がする。
「コダマ…これを見せたかったの?」
「うん…ボクは『蟲の加護』は手にして本当に嬉しかったんだ!」
ボク自身は特に気にしてはいなかったけど、やっぱり母さんは『蟲の加護』のことは何処か気にしているのではと考え、証明のためにここへと連れて来たのだ。
「加護のこともだけど…父さんや母さん…村の皆が誇りに思って大事にしていた自然がなければこの光景は生まれなかったんだよ。」
そもそも加護がなくてもこの光景は存在していた。しかしホタルは綺麗な水がなければ生息出来ない…つまり緑豊かな自然が存在しなければ見ることが出来ない光景だ。
「だからこそボクも父さんと母さんみたいにこの自然を守りたいんだ。」
「コダマ…ありがとう!」
ボクは確固たる自然への想いを打ち明け、守っていくと告げると母さんは優しくボクを抱き締めてくれる。
「……。」
その時は気が付かなかったけど、そんなやり取りをホタルとは異なる小さな存在がボクのことを見ていたのだった。