【短編】不器用な生き方の或る女の話
「そこは何でも受け入れてくれる場所」
ようやく、ようやく終止符を打てる。
永遠の闇にも思える仄暗いダムの底を見下ろし、女は救いとも言える心の安寧を感じていた。
もう、無意味で虚無を感じる怠惰な日々の積み重ねのループから解放される。
女は、生まれた事を心底後悔しながら、同時にその地獄の輪廻から解放されるという嬉しさで、
高揚を隠せなかった。
「もう、やり残した事はなかったかな」
そうして、目を瞑って空に足を踏み出した。
振り返っても、ログインボーナスだけが唯一の目的のようにゲームにログインする、そんな過ごし方しかしてこなかった。
眠れなくなったら起き、体に栄養を摂取し、やるべき事をやり、疲れたら眠る。
この繰り返しだ。
結局、今までの時間を経て女は何者にもなれなかった。
でもその生き方含めて「自分」なのだという事もまごうことなき事実なのである。
現代はあまりにも情報で溢れかえっており、他人の生きざまや価値観、
固定観念などに触れる機会も多い。
生き方や価値観について、世の中すべてを見て真理を知っている神かの如く押し付けてくる人種がいるが、その「正解」の選択をしたとて誰が選択の責任を取る?
結局、自らがとった選択に対しての責任は自らに帰属するのだ。
だから、生きたいように生きる。
他者からの見え方としていくら不格好だとしても。
この話は、そんな不器用な女の物語である。
===幼少期===
初めて死にたい、と母に告げたのは5歳の頃だった。
当時からすでに漠然とした空虚感に苛まれていたことをよく覚えている。
幼少期、特に過行く時間の長さに絶望していた。
何が面白くて生きるのか。
何に生きる動機を求めればよいのか。
つまらない、つまらない、つまらない。
家庭環境としては非常に恵まれた方だったと思う。
両親に愛され、裕福で何不自由なく生活ができ、両親や兄弟に恵まれ温かい環境だった。
しかし、周りに恵まれる事と本人が幸福を感じるという事は、別の話なのである。
結局女は物心がついた頃から常に希死念慮に悩まされる事となる。
小学校についてはもっと空虚な時間を過ごしていた。
女は中学受験をすることになるが、塾で先取りした内容を学べる環境に身を置いていた為、学校での授業やそもそも学校に所属している事自体に無意味さしか見いだせていなかった。
女の性格が本格的に歪み始めたのは、そう、小学校の頃からだったと思う。
周りを見下すようになり、自身と他人の比較をし始め、傲慢にも他者の生きる価値の有無についても考えるようになっていた。
小学校低学年の頃だったか、ある寒い日に事件は起きた。
前述したとおり私には幼少期から希死念慮があった。
道徳の勉強の時間、結露して落書きができる窓にとある文字を書いたのだ。
命を捨てる、と。
当然教師に見つかりクラス全体でお叱りを受けた。
が、最後まで女は名乗り出る事がなく、個人的に叱責を食らう事はなかった。
悪気はなかった。単純に同級生がその言葉を見たときにどう考えるのか、何を思うのかを知りたかった。ただの素朴な疑問だったのである。
このクラスには生きていても仕方がないだろう、と思う人間が沢山いる。
頭が悪い人間、性格が悪い人間、不器用な人間、顔が醜い人間。
その連中がこの言葉を見たとき何を感じ、何を考えるのか。
興味が沸かないほうが難しかった。
結局その道徳の事件の時も、教師から出てきた言葉に納得することもなかった。
命は大切
命を自ら捨てる行為は最も親不孝である
命を全うしないと天国にいけない
「イノチハナゼダイジナノ?」
「ドウシテ、ソコニ『オヤ』ガデテクルノ?」
「テンゴクニイケナカッタラナゼダメナノ?」
質問こそしなかったものの、納得する言葉が返ってくる期待も出来ないと感じたからだ。
振り返ってみても、なぜ「死にたい」だの「命を捨てる」だの、
その類の言葉を幼少期から知っていたのか分からない。
コンテンツに触れるような環境でもなかったからだ。
しかし、三つ子の魂百迄とはよく言ったものである、死に関してのアンテナが張り巡らされていた結果なのだと女は自身を納得させた。
===学生時代===
女はとある中学に入学をした。
この頃の写真は見返してもいずれもひどい。とにかく顔が疲れているのだ。
特に明確な目標があって受験をしていた訳ではなかった。
女自身も嚙み砕けていない意地のような何かが、勉強への唯一の意欲となっていた。
ようやく終わった受験生活に一息つく間もなく、入学の日を迎えた。
それでも腐っても新生活だ、少しくらいわくわくしただろう?
違った。女は違ったのだ。
元々高揚することに微塵も期待はなかったが、思ったよりも学校生活や生徒に馴染めず、
孤独な日々を送る事になる。
友達はいなかった訳ではなかった。各学年において、それなりに付き合う人はいた。
しかし、その時代は生きづらかった。
周りの友人が話している内容や興味のある話題に関して、まるで情報も関心もなかったからだ。
元々無理して合わせるような性格でもなかったのが更に拍車をかけ、
すごく仲が良いとまで関係を発展させられた友人は、6年かけても出来ることはなかった。
勉学についても興味のない分野で非常に苦労をすることになる。
入っていきなり学年最下位を取り、母親を呼び出されるという始末。
始まりから前途多難な状況であった。
そつなくこなせたのは興味がある分野に限った話であり、興味がそもそもないと勉強すらしなかった。
出来るようになるはずがなかった。
そのような勉強の仕方で大学受験に成功するわけもなく、
あっさりと全部落ちた。
小学生の頃から優勢思考だけ一丁前に育てていた私のプライドや生きる価値を全否定するのに十分な出来事だった。
やるべきことをやっておらず美味しい汁だけ吸おうなんて、そうは問屋が卸すはずがない。
しかしその当時は、その事実を差し置いてでも優秀な大学に行けなかった事が苦しく、
人生のどん底期へと直進することとなる。
女はその出来事をきっかけに、より他人との比較軸で人生を生きるようになってしまった。
理由は、存在意義を確かめる為。
女は、自分よりも劣った人間を見る事でしかもはや自身の存在意義を得る事がなくなっていたのだ。
以前までは他者の存在意義の有無を考えていたというのに、なんとも皮肉な事である。
劣等感ばかりが育まれ、以前から持っている希死念慮が日々日々大きくなる中、
女の中でプツン、と何かが切れる音がした。
何もせずただ家にいる事が突然、つらくなったのだ。
あまりにも情けなかった。そんな現状と決別しようと就職をした。
女はなんと、3年ぶりの社会復帰を果たしたのである。
===社会人===
厳しい世界で成果を出す事で自己肯定感を高めたいと考え、
女は営業の世界に飛び込んだ。
当然最初はかなり苦労をし、やはり続ける事は難しいのではないかと何度も考えた。
しかし、決めたことをやり切れない事で更に存在意義を見失う事も恐れていた。
幼い頃からある「意地のような何か」だけが女の行動力の源となり、
結果的にある程度優秀な成績をコンスタントに取れ、
全国で表彰される、賞を多数取るなどの功績は残すに至った。
努力した事が報われていく事は快感ではあった。
しかし同時に、女はこうも思った。
頑張って自己肯定感を上げて、存在意義を確かめて、
何になったのだろう、と。
元々生きる事そのものに意味を見出せず、幼少期から希死念慮を抱えている女としては、
ここまでの流れを心から理解することは出来なかった。
生きる事自体無駄だと思っているなら、最初から死ねば良かったのではないか、と。
なぜ、あえて苦労するような道を選び、死にたいと思っているにも関わらず自己肯定感を上げる、などまるで真逆の行動をしたのか。
突っ走っていた時には気づけなかった矛盾に気づいたとき、女は再び生きる意味が分からなくなったのである。
仕事で功績を出しても何をしても前向きになれない不器用な女だが、
そんな女が唯一娯楽としていたのは恋愛の場面である。
基本的に狙った獲物は落とす類の女で、異性からの好意を引き出すのがうまかった。
こればかりは天性だったのだと、女自身も思っている。
恋愛でうまくいかないという事はなく、付き合えばそれなりに長く続く事も多かった。
そんな中、一番好きだった男との別れをきっかけに、ついに人生最終章の幕が開ける事となる。
===死神===
一番好きだった男とは長く付き合ったが、一緒になる事はなかった。
お互いにとって、一緒になることが最善ではないと考えたからだ。
好きだったからこそ、身を削られるような思いで別れを決意した。
後に伴侶となる男と出会うのはまもなくである。
当時年齢の事もあり焦っていた中、「都合よく」「結婚を申し込んでくれる」「ちょうどいい男」を手に入れたのだ。
女はその男が全く好きではなかった。周りからも反対されていた。
だが、もう止まることはなかった。
なぜならば、結婚をすることによって少しでも好きだった男を忘れられたら、という藁にもすがる思いだったからだ。
結局結婚してからは愛情が深まるばかりか減る一方で、あっという間に破綻した。
お互いの矢印が一切交わる事がなく、すべて一方通行で終わった短い結婚生活だった。
もう何もかもがうまくいかず、面倒くさい。
女は疲れ切っていた。
希死念慮、という死神が私をとらえて離さないのだ。
女ははたから見たらそこまで不幸ではない。
しかし、すべてにおいて納得がいかず、
上手くいった事や成功した事を、幸せな経験として昇華できない。
女は環境云々より、生き様そのものが不器用で、不幸だったのだ。
短い人生の中でそれなりに色々と経験をした。
見る人によってはまだまだこれからだ、もっと辛い経験をした人が沢山いる、
恵まれている環境でやるべき事をやらなかった末路、自業自得、
色々言われるだろう。
女もそう思っている。
しかし、すべての選択の責任は自分自身に起因し、
その選択含めてその人、その人生なのだ。
だから、もう何も言うまい。
「もう、いいかな」
そういって淵に立つ。
「いいの?本当に?」
うん。
「もう、やり残した事はなかったかな」
うん。ないと思う。この世でやりたい事、もうないんだ。
「そっか。それなら、もういいんじゃない」
軽く背中を押してあげる。
背中から羽根が見えるくらいに、皆綺麗に死後の世界へ飛び立つ。
その儚さがあまりにも美しい。
今月で何人目だろう。
ダムの仄暗い闇底に吸い込まれていくのを、
女はただ、生前と同じように空虚な気持ちで眺める事しかできなかった。
死んでからも、空虚で怠惰な毎日の繰り返し。
あれおかしいぞ、三つ子の魂死後までとは聞いちゃいない。