呼びかけてくれたなら①
この殺風景な一本道には季節を感じさせてくれる街路樹すらないけれど、それでも季節を教えてくれるものはいくらでも見つけることができる。
雪の降る季節を迎え、それが過ぎ去っても、彼氏さんが再びこの場所を訪れることはなかった。
自動販売機の陰にひっそりと咲くタンポポを目に留めたのが、彼氏さんと会えなくなってからの期間を思うきっかけだった。
アスファルトの隙間から頭を出す二つの黄色い野花は、彼氏さんにもらった紫の花々と同じで凛として、瑞々しい表情をしている。
ウラマチさんも、ハルヒコさんも、彼女さんも。
気がつけば、彼らの顔をもう長い間見ていない。
そのくせ、わたしを取り巻く時間はあまりにもあっさりと、物足りなさを感じさせる暇もなく流れて行った。
わたしの毎日は、彼氏さんや彼女さんのことを眺め続けるようになる前のものに戻っているのだろう。
猫のように気ままな悪霊の少女の姿を、わたしは何をするでもなく毎日のように眺めていた。
悪さをしないか見張っていよう。
わたしのしていることには、そんな目的があるにはあるのだけれど、彼女は昼夜を問わずふらふら、ゆらゆらと一本道の中を歩き回っているだけ。
そんなところまで、わたしの周りの環境は以前と同じだ。
やっていることが同じならば、わたしと彼女との関係もやはり以前と同じだった。
彼氏さんと関わっている時に揉めたことなどまるでなかったかのように、わたしたちの距離はその前後で遠ざかることも、縮まることもしていない。
彼氏さんの方はその後、どうなったのだろう。
彼女さんとのよりを戻すことはできたのだろうか。
相変わらず、ハルヒコさんに意地悪な笑顔を向けられているのだろうか。
わたしと同じように、ここで夜話をする以前の生活にすんなりと戻っていくことができているのだろうか。
わたしのことを、たまには思い出してくれているだろうか。
他愛のない夜話ができなくなったということに関しては、彼氏さんには薄情だと言われてしまうかも知れないけれど、寂しいという気持ちもなくすんなりと受け入れることができていた。
それでも、知る術もない彼の近況に思いを馳せるたび、わたしは、自分にやり残したことがあるのだということを思い知らされる。
ちゃんとしたお別れをしていない。
さようならの一言で済んだのに。
お元気で、とでも言えていたのなら、良い別れだったと思えただろうに。
わたしときたら彼氏さんの頬を張って、最後は何も言わずに投げ飛ばして、それきりだ。
直後にハルヒコさんとウラマチさんがやって来たとはいえ、もう少しましな別れ方ぐらい、いくらだってできたはず。
あれがわたしと彼氏さんとの最後だったのだと思うと、あまりの情けなさに頭を抱えたくなる。
せっかく、幽霊であるわたしに良い関係だと言ってくれた人なのに。
生前以来、始めて言葉を交わした人だったのに。
「おねえちゃん」
ぶっきらぼうな声。
タンポポに背を向けて見ると、赤いスカートの少女がいじけたように口を尖らせている。
どうしたんだろう、と思った。
彼女にこうして話しかけられることはままあるけれど、いつになくいじらしい態度が妙に新鮮だ。
「なあに?」
目線を合わせて問いかける。
その表情などお構いなしに、色白な少女の顔が、ぱっと明るく見えるのは、きっと陽が出ているせいだろう。
彼女はまるで愛の告白でもしようとしているかのようにわたしの顔と自分の足元とを何度か見比べた後、きたよ、と小さな声で、恥ずかしそうに言った。
好きだよ、と脳内で変換されてしまいそうになるほどの、本当に、愛の告白でもしているかのような言いぐさだった。
見た目の年齢に違わない、必死でいじらしい態度。
一体何事だろうと思っている間に、見覚えのあるメタリックグリーンの車がわたしたちのすぐ近くの路肩に停まった。
いつもと同じ場所だった。
記憶の中のものとすぐに一致しなかったのは、陽の光の下でその車体を見るのが初めてだったから。
決して、久しぶりに目にしたから、ではない。
来たよ。
直前に耳にした言葉が頭の中に文字として蘇る。
お下げの少女は口を尖らせたまま、きまりが悪そうにそっぽを向いた。




