幽霊さん④
「あ、わたしたち、良い関係ですか」
それまでの拗ねた態度も忘れて、わたしはあまりのくすぐったさに表情を緩めていた。
良い関係。言葉として意識をしてみれば、わたしはその、良い関係というものに憧れていたような気になってくる。
彼氏さんがハルヒコさんと一緒に幽霊退治をしに来た時も、初めて彼氏さんに声をかけた時も、もしかするとーー二度目の泣いた赤鬼作戦を提案した時も。
いろいろなことを考えて、いろいろな目的があって、それでも全ての行為、思考の根底には、良い関係を築きたいという欲望がいつも働いていたような気がする。
いつも観ていた恋愛ドラマの主人公と、笑顔で話がしてみたい。
夢見がちで、純粋で、ささやかな下心。
叶うのならば嬉しいけれど、叶わなくても仕方のない、小さな小さな願望。
そんな世界が、空間が、気づけば目の前に広がっている。
下唇に力を入れて照れくさそうにしている彼氏さんと、小さくてかけがえのない喜びに包まれているわたし。
「考えてみれば、良い関係ですよね。もうわたしたちって、えっと、あの……」
それは恋人のような、だなんていう大それたものではなくて、それでも、調子に乗ったことを言うのならばハルヒコさんと同じような、そんな立場。
「あの」
「どうかしましたか」
言いよどむわたしの顔を覗き込むようにして、彼氏さんはほんの少しだけ首を曲げた。
これ以上近づくのには恐れ多い、かといって離れてしまうのは恐ろしい、良い関係という距離感。
「変な意味はないので、あんまり深く考えないでくださいね」
嫌われたくないがために予防線を張ってしまうのは、わたしが臆病者だという証だろう。
自動販売機の明かりへ逃げてしまいがちになる視線を奮い立たせ、次の言葉を待ってくれている彼氏さんの双眸をしっかりと捉えた。
こんなことにすら勇気が必要になるほどに、良い関係という言葉は、少なくともわたしにとっては繊細なものなのだろう。
「友達みたいな関係ですよねって言ったら、嫌ですか?」
「どうして」
質問というよりも、わたしが話すのを促しているような言い方だった。
どうして嫌がられると思っているのか、そんなことは自分でも分からない。
いくらでも理由はあるはずなのに、はっきりと言葉に表せそうなものが何一つとして見当たらない。
内にある不安要素を説明しようにも良い表現が見当たらなくて、わたしは結局口ごもってしまう。
彼氏さんの目を、じっと見つめる。
そこに答えがあるわけでもないのに、わたしはうらめしい気持ちになりながら、優しげな瞳の中を泳ぎ回るようにして言葉を探した。
睨みつけていると思われているのかも知れなくて、だけどわたしは探索を止めることができなかった。
「幽霊の友達だなんて」
とりあえず口を開いたのは、言葉もなしに見つめあうような格好になってしまっていたことが気まずく思えたから。
すると、自分で口にした幽霊という単語に引っ張られるようにして、いったいどこに隠れていたのだろうか、それらしい言葉がぽっかりと頭を出した。
「死んだ人……みたいに聞こえませんか」
わたしにとっては論点のずれた理由だったのだけれども、自分でも驚いたことに、彼氏さんがわたしに友達と呼ばれることを嫌がる理由の具体例としては、これ以上ないほどにそれらしいもののように感じる。
「僕が、ですか」
彼氏さんは、きょとんとしてわたしのことを見下ろしている。
今更のようにして気づいたのは、彼氏さんがわたしよりも長身だということと、わたしが彼氏さんの顔を見る時には、見上げているかあるいは上目使いになっていた、ということだ。
自動販売機の逆光の中で、彼氏さんは淡く優しげな笑顔を浮かべている。
彼氏さんの影になる位置に立っているわたしの顔は、彼から見ると、いったいどんなものに映っているのだろう。
気がつくと優しげな笑顔は可笑しそうに膨張していき、見上げている間にくすりと控えめに吹き出した。
「それは心配しすぎですよ」
意図せず笑顔になってしまうのは、彼氏さんの物言いがあまりにも気楽そうだったから。
「ぜんぜん、そんな連想はしませんよ」
言葉の意味を理解するのよりも早く、わたしは体の奥が震えるほどに安心した。
彼氏さんが笑ってくれているということがなんだか嬉しくて、今にもアスファルトの上を駆け回ってしまいそうだった。
「だったらいいんです。じゃあ、仕切りなおしましょう」
うまく呂律が回らないせいで、その言葉をきちんと言えていたのかどうかさえ定かではない。
わたしは浮き立つ足を持て余しながらも彼氏さんに背を向け、気を抜けばでれでれとにやけてしまいそうな顔にぎゅっと力を入れて表情をリセットさせると、いかにも平静を装っています、と言わんばかりの大げさな動きで向き直った。
「もう、わたしたちって友達みたいなものですよね」
言いながらも、平静の仮面が剥がれてしまいそう。
声が大きくなったのは照れ隠しのつもりだったのだけれども、元気よく張り上げた声は羞恥心を煽り、わたしのことを赤面させた。
そんなことですら楽しく感じてしまうのは、彼氏さんがわたしの言葉を笑顔で受け入れてくれているから。




