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第三十 余話 ギデア2


一日中、空中通廊は消えず、日没を迎えても、夜になっても、未だにそこにあり続けているようだ。

あの色鮮やかで滑らかな不思議な縄がまぶたの裏にちらつく。

誰か。意図は何か。次は何が。

一方では、どれも頭の中を不安で一杯にする。

だが他方では、神話や伝承の世界の光景が眼前に現れたことで期待に胸を膨らませる自分が居る。

今日の早朝に現れたのだ。

明日の夜明け前に行けば、早朝にまた変化が起るのを、この目で観ることが出来ようか。


----


翌日、まだ暗いうちから起きて、戦に出るのと同じく入念に武装する。


昨日まで巡回に出ていて疲れてるだろうシコーキを起すべきか迷ったが、後で恨まれたら敵わないので、結局呼んだ。

もしも凶事に見舞われても、彼女が居てくれれば百人力、という理由もある。

先行して近習とともに出る。

まだ薄暗い。


暫く待機し続ける。

早朝に現れたから、今日も早朝に何かが起る、と信じる根拠は何もない。

ただの可能性だ。

結局一晩中、誰も縄を伝って降りてきたりなどしなかった。

もしかしたら、見張られていると勘付いたのかもしれぬ。

もしそうならば、こうして大勢で取巻いて居ては、全く出てこないかもしれない。


シコーキと少数の近習のみ残して、あとは草叢くさむらや潅木の茂みや木々の後ろなどに、見えぬように隠れて待機しておくように命じる。



我々だけが姿を見せておく態勢に切換えてすぐに変化が生じた。

見上げる空中通廊の窓の中に、人影らしきものが現れた。

やはり気づいて隠れていたのだろうか。

や、あれは何だ?

不気味な、あれは魔物か?

「ギデア様、隊に指示を出しますか!?」

「いや、暫し待て」

近習と共に警戒する。


観ていると、相手もこちらを観ていると感じた。

緊張が高まる、その時、相手が輪郭の不明瞭な腕を挙げた、と観るうちに、異様なゴツゴツした頭部を自らいだ。

いや、あれは兜だったのか。

奇怪な顔と思われたのは、頭部を保護する幾つかの防具を組み合わせた物だったとは。


そして、もっと驚いた事に相手は美しい女性だった。

温和おとなしそうな目と一瞬、視線を交わす。

全く歪みのないガラス窓を優雅な手つきで開け放つと、優しげに窓から手を振り、

「お早うございます」

と鷹揚な声をかけてきた。


幼い頃に村の年長の女の子に読み聞かせてもらった天宮の女官の物語の主人公もかくありなむ。

そう思わせる雰囲気を纏う女性を前にして、いかにも無骨な我が身が急に意識されだした。

緊張して舌を噛みそうになるのを感じ、敢えて城主なのだと己に言い聞かせて堂々と振舞う。

彼女の瞳はたしかに我々と同じ人のそれだ。

「おお、良い朝ですな」


その途端、彼女の表情に劇的な変りようを見て取って驚いた。

突然、それまで穏やかに垂れていた目が大いなる歓びにほとんどり上がらんばかりに見開かれ、満面の笑みで辺り一面に花が咲いたかのように、雰囲気が明るくなった。

そして歓喜に堪えずといった風情で屈んで叫び声を上げる。

黒と金色が不思議に混じり合った髪がふるふると軽やかに揺れ動いて、止まる。

再びこうべを上げて、凛々しく背筋を伸ばして胸を張りながらも、歓喜の余韻に頬を染めて、

「これから、そちらに行ってみたいのですが、よろしいでしょうか?」

と期待に胸を膨らませるようにして訊ねてくる。


是非、お会いしてみたい。


興味を強く惹かれていたので即答する。

「どうぞお出でなさい」


あの厳つい頭の防具をまた被ってしまわれたことに少し落胆した自分に驚く。


直ちに彼女は縄を始めとした色々な準備をし始めたようだ。

さすがに神話や伝説の天女のように、窓からふわりと身を躍らせて宙に浮ぶわけではなかった。

随分時間をかけて慎重に作業している。

そうしてややあってから、異様な兜のバイザーらしき──なぜかガラスのように透き通っているが、まさかガラスということはあるまい──ものを上げて、

「降りまァす」

と嬉しそうな声をかけてくる。


「どうぞ」

と返す声にせっつくような響きが無かったか、妙に気になってしまう。


そこまでは期待でそわそわしていたが、そこからは不安でそわそわさせられることになるとは、予想もしていなかった。

彼女の身のこなしが急に悪くなり、おっかなびっくり、慌てたり、愕いて焦ったり、試行錯誤をしているのが如実に伝わってきた。

背中に背負っている竿状武器も邪魔そうだ。

自然と、川に突き出ている大木の枝の上へ、背中に枝切れを挿し、肩に縄を巻いて登った子供の頃を思い出させられた。

彼女のそういう姿は子供の頃の自分とそっくりだから、一つ一つの気持ち、今どこに目線があるのかまで逐一判ってしまう。

……あまり知りたくなかった。

この女性は、どこまでも普通の、ちょっと天真爛漫な人だという事実を。


なぜこの神話めいた空中通廊から、この幼い頃に山や川や野原で一緒に遊んだ女の子たちがそのまま育ったような女性が出てきたのか。

一つ深呼吸して、混乱する感情を鎮める。


少なくとも、目の前に居る女性を怖れる必要は全くないと判っただけでも、立場上、有難い。

あの暗闇から恐るべき存在が這い出てくるような事態は避けられた、今のところは。

こんな無邪気な女性が、まるで遊びに来たかのような気楽さで居るのを見る限りは、彼女の後からおかしな者が現れるような可能性も、そう高くはなさそうだ。

兵士を待機させておく必要はあまり無かったかもしれない。

だが今のところはまだ、そのままにしておくが。


有難いことに、無事に着地してくれた。

これで、転落するのではないかと不安に思いながら見守らなくてもよくなった。


この場の責任者として、この地の君主代理として、未知の場所から現れたこの子供のような処のある女性にどう対応すべきか迷っていると、急になにやら不思議な踊りを……

いや、違う。

なぜか、背中から武器を取り出そうとしている。

そこにあるのは見かけはどうあれ、子供が振り回す枝切れなどではない、大きな刃のついた武器だ。

あれは大きな剣だ、体格に合っているかどうかは兎も角として。

何故そんなものを?


遂にいつでも斬りかかって来られる態勢をとられてしまった。

まさか、いや、やはり、こちらが兵を伏せているのを最初から知っていて?

観られていたのか?

それにしても、この女性が?

あの優雅さ、あの温和しさ、あの華やかさ、あの快活さ、あれが総て仮の姿だったのか?

まさか!

いや、それこそまさか。


「ところで、先ず絶対に確かめておきたいので、無礼を承知でお訊ね致しますが、まさか貴方がたは、魔物が化けているのでは、ありませんね?」


なんと!?

ここは我々の国。

貴女こそ、この国では知られざる異邦人ではないか!

「何とおっしゃるっ 我々のどこが魔物だと?」

化けているのはむしろっ


「失礼しましたっ、此処ともう一つ別の窓が在ったのですが、そちらには怪奇な魔物が無慙にも様々な犠牲者の命を貪っていましたのでっ」

え?

魔物が犠牲者を?

そんな場所があるのか、この空中通廊の暗闇の先には!?


その後、彼女が語った話は、またしても彼女の印象を変えてしまった。

あのどこまでも暗闇が続くまっすぐな通路を、途中で遭遇した化け物の性質を一つ一つ確かめつつ、時に退治もして、ここまでたった一人で踏破した勇気!

そこいらの村娘と思ったのが、実に驚嘆すべき胆力だ。


「ここでは安心して休んで行かれると良いですぞ。 ここは我々レイシアの民の統べる国です」

「御厚情、痛み入ります。この数ヶ月、おかしな穴を探検すること十度や二十度に留まるものではなく、しかしついぞこのように人間の居たためしがなく、疑ってしまいました。何卒ご容赦下さいますようお願い申し上げます」

無論、

「了承した。ところで話は変わるが、貴殿が現れたあの空に浮ぶ通廊は一体……」


空中通廊がいきなり現れたことについて問うと、どうも窓を開けてあることが、彼女の世界、乃至はそのダンジョンと、こちらの世界とを繋ぐ為の仕掛けになって居るらしいと推量された。

また、懸念してた魔物の出現についても、彼女の少なからぬ経験からの推測によるとそれなりに安全と判断する根拠がなくもない。

彼女の運が特別に良いだけである可能性もあるので、今後も注視を保つ必要はあるが。


「ああ、そろそろ私も用事があるので、本日はもう戻ろうかとおもいます。今後も来たいのですが、宜しいでしょうか」

無論だ。

「構わないとも」

危険性が低いと見積もれる以上、むしろ今後来てもらえるようにこちらからお願いしたいくらいだ。

もっとも──

「念の為に窓は一度閉ざしてもらえないか」

「わかりました。それでは今日は空中通廊の窓辺に結わえた縄など総て解いて、きちんと窓を閉めて、それで空中通廊が消え去るでしょうから、また明日来ます」

よし。

理想的な展開だ。


帰りは最初よりは問題なくするすると登っていった。

下していた大きな剣と縄、窓辺の縄などを手際よく片付けると、また頭の防具を外して美しい顔を窓辺に見せて、

「それじゃあ、今日は帰ります。窓もちゃんと戸締りしておきますので、また明日」

と別れの言葉をかけてくれたので、手を振って応える。

「明日また会おう」


それから彼女が窓を閉めて、そのままおぼろに消えていく。

消えた、と思った途端、またパッと現れた。

皆で驚いていると、

「おーい、今15数えてまた開けたのですがどうでしたか?」

と訊いてきた。

そうだな、推量しただけだった。頼んでまず一度確かめて貰わねばならなかったのに。

責任者としての過失をカバーされてしまった。

「ああ、そういうことか、たしかにぼんやりと姿が薄れて消えていったところだった。現れる時には一瞬だったぞ」

「やっぱり。どうも」

と微笑み、

「それじゃあ、今度こそ、また明日」


そうして、今度こそ幻だったかのように何もかもが消えうせた。

それを見て、なんとも名状し難い感動を胸懐に抱いて暫し佇んでいるうちに、腹の底からワクワクしてきた。

次にエルレイシアへ書いてやる手紙は、どうやら久しぶりに愉しい内容になりそうだぞ、と。


拙作を御読み頂き、まことに有難う存じます。

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