月の末裔関連の世界設定②
Ⅰ 物語のバックボーン②
『月の神の氏族』という世界線?とほぼ同時期に、私の中で並行してもうひとつ、日本神話的世界観のローファンタジーの物語世界が存在していました。
それが『大阪弁で語る土着ファンタジー』という仮の名前で呼んでいた『クサのツカサ』の世界です。
これが生まれるきっかけは……割と私怨です。
いえね。
日本全国に蔓延する大阪のイメージって
『どぎつい・下品・えげつない』
って感じじゃないでしょうか?
そして、お笑いの発信地だというイメージもあるからでしょう。
一般の素人さんでも、ノリだのツッコミだのを日常会話の中に入れないと馬鹿にされる……らしい、異世界のような町、だと。
大阪の人間は基本人と人との距離感が近く、無遠慮で喧しい『大阪のおばちゃん』的な図々しい人ばかり、だと。
大阪は日本じゃねえ、と、そういえば仕事の都合で北関東のある町で暮らした若い日、吐き捨てるような口調で言われましたね。
言った方はもう忘れているでしょうし、もしかしたら今は意見も変わっているかもしれません。
だけど(最近はどうか知りませんが)老若男女問わず東の地方にお住まいの方には、
『大阪は下品な町で、コントみたいな会話をしないとユルサレナイ異世界だ』
『大阪へ転勤するくらいなら、いっそ外国へ行けと言われる方がマシ』
『あそこは日本じゃない』
が、大阪のイメージとして程度の差はあれあるのだなあと、少なくとも私があちらで三年弱暮らして、受け取った印象です。
これは、社会人として暮らした結果に得た感慨ですが、学生時代からテレビなどを通じ、東の地方のそういう空気を漠然と感じていました。
否定はしません。
そういう空気、大阪になくはないです。
良くも悪くもこの町は、おちゃらけた空気に寛容…というか。
あるいは。
二枚目や気障を唾棄し、おハイソを嗤い、わざと外した品の悪い言動が一種のスタイルといいますか逆に大阪の粋だみたいな、ひねった美学?もなくはないです。(お笑いに通じる感性でしょうね)
でもね。
大阪の人間も人間です。
そうやって、自分で自分を嗤ったりしながら気を取り直して生きていても(という処世術が、昔からこの町にはある気がします)、息切れする時だってあります。
大阪の人間であっても、がっくり落ち込んだり泣いたりする時だってあります。
また、『大阪のノリ』がシンドイ、生粋の大阪生まれ大阪育ちの人だってマイノリティながらいます。
『大阪出身』で一緒くたに扱われ、薄ら笑いや見下しの目にさらされるのは、はっきり言って不愉快でした。
大阪の人間だって時にはシリアスに悩んだりするし、年がら年中コントやってないやーい!
品の悪さに美学っぽいこだわりを持つ文化もあるけど、ナチュラルに品の良いヒトだっているやーい!
と、思ったものです(笑)。
若かったので(という表現をするのも嫌ですけど)、出身地域故に『馬鹿にされている』『見下されている』空気に、今以上に敏感だったのもあるでしょう。
じゃあお前、他人の出身地域に全然バイアス持ってないのかよ?ああ?って訊かれたら、あ、いえ、その、もごもご……となるに決まっていますけど(笑)。
出身地域や出身国などで、無責任に他人をバイアスのかかった目で見ないようにしよう、と心掛けてはいますが、完全には無理だなと思っております。
歳を重ねるとどうしても、視野が狭くなったり頭が固くなったりしますので、この辺は一生努力する部分だとも自戒しています。
話を戻すのなら。
一般的『じゃない』大阪を発信したい、が、『クサのツカサ』という物語を生み出す、第一番のモチベーションだった気がしますね。
お笑い要素の薄い、重くてシリアスで厨二的にカッコいいお話を、コテコテの大阪弁でどこまで表現できるのか?と。
無謀な挑戦が、こうして始まったのです(笑)。
お話として面白い面白くない以前の問題として、ただでさえ一般受けしないタイプの、それもかなりシリアスなローファンタジーのお話を、お笑い要素でしか需要のない大阪弁で書こうというのですから……馬鹿以外の何者でもない、ということです。
……書きますけど、アホですから(笑)。