月の末裔関連の世界設定④
Ⅲ 欠けていた最後のピース
そうこうしているうちに月日は流れます。
仕事は忙しくなってくるし、書いても書いても納得の出来るものにならないしで、私は心が折れました。
これはもう、才能がないというヤツだなと思い至り……この道をあきらめよう、と思うようになりました。
あきらめようと思った時期の前後に、転職したり結婚したりの環境の変化もありました。
忙しかったり目覚ましかったりのリアルに押され、このまま物語書きを忘れて死ぬまで暮らせるかな?と思うようにもなりました。
でもそうはいかなかったのは、こうして小説投稿サイトのお世話になっていることでバレていますね。
不思議なことに、子供を持って育児に翻弄された時代を過ぎた頃、猛然と書きたくなってきたのです。
それも、長く塩漬け状態でにっちもさっちもいかなかった『クサのツカサ』を。
私は書きました。
息子が学校へ行っている間に。
朝から夕方近くまでの、久しぶりにまとまったひとりの時間を手に入れ、その贅沢な時間にようやく慣れ始めた頃。
心配しなくても息子はちゃんと学校へ行き、ちゃんと帰ってくると心が納得した頃のことです。
季節は秋。開けた窓から木犀の花の香りがただよってくる頃でした。
木犀の花の香りがする季節から始まる『クサのツカサ』という物語が、私の中で唐突に動き出しました。
何故子育てに一段落がついた頃、突然『クサのツカサ』が書けるようになったのか、わかるようでわからない、わからないようでわかる……のが本音です。
ただ、この物語世界に必要な最後のピースが嵌ったような感覚が、あの秋の日の私の中にありました。
月の末裔関連の世界で、必要だったもう一つのバックボーン。
裏のテーマと言いますか、物語を生かす空気や水のような部分。
それを、人の親になって私なりに『親の視点』『母性』を獲得したことで、同時に獲得したと思うのです。
この物語群は、主人公たちの恋や広い意味での戦いのエピソードが、お話を進めてエンタメしてゆきます。
でも、そのお話を支える柱というか背骨、音楽でいうベースギターの演奏のような部分が、設定とかとは別に必要だったらしいのです。
大人たちが少年少女・若者を教え導き、慈しむ視点。
広い意味での親の愛が、この物語群には必要だったようです。
でもそんなこと、この物語群を思い付いて育てていた若い頃に、わかるはずもありません。
親になった経験が物語に還元されてゆく。
別にお話を書くために親になった訳ではないのですけど、結果的に親としての経験を積んだことで、止まっていた物語世界が動き出したのです。
物語書きだけでなく、経験を積まなければわからない、ということがこの世にあるのは当然ですけど。
どの経験が今後の自分に必要なのかなんて、自分ではわかりません。
でも、どの経験も結局は、自分にとって広い意味での財産になるのだなと、この出来事で思い知りました。
しかし。
物語書きというのは……やはり。
業が深いですね(笑)。




