月の末裔関連の世界設定③
Ⅱ リアルの隣にあるファンタジー
さてさて、バックボーンは出来ました。
まず『月の神の氏族』世界の話。
見えてくるこの氏族のクロニクル中、1990年代前後の時間軸での物語を組み上げ、ガリガリと強引に形にしたのが『色彩(いろ)のたゆたい』世代の『月の末裔(当時のタイトルは違っていましたが。明生とるりの母・めいさんがヒロインです)』。←ややこしい…。
出来としては色々とその、アレで、問題アリながらも一応形になったので公募に出し……、あえなく撃沈。
当然の結果ですが、せめて一次は通りたかった若き日の私。
哀しかったですね~。
少なくともお話のバックボーンは、ナカナカいいんじゃないかと自画自賛してましたから(笑)。
……(無自覚)設定厨は、設定に酔うのですよ。
『月の神の氏族』とかのアイデアや設定(その部分で一次くらい通るのでは?と、甘いこと考えていました。お恥ずかしい)くらいは認めてほしかったのです(失笑)。
しかし。
もうひとつの、私としては思い入れ深い世界・『大阪弁で語る土着ファンタジー』つまり『クサのツカサ』の方は、何故か形になりません。
いえね、アイデアは出てくるんですよ。
主人公は中学二年生の少年・結木碧生で、書道に打ち込んでいるちょっと浮き世離れた子。
主人公のライバル兼親友ポジションの少年である、ナンフウ。
地元に古くからあり、今でもひっそりと大切に守られている、神様からもたらされた泉・おもとの泉。
泉を守り、少年たちを導く地元の大人たち。
怪異と紙一重ながら、少年たちに親しみを持っている愛嬌のある妖怪的存在。
水の神……この土地の地下水脈が神格化された『オモトのミコト』。
『オモトのミコト』つまり水脈に育まれたことで、自然と『オモトのミコト』に従うようになった草木の精霊たち。
その中から現れる、自らの強い望みでヒトとして暮らすようになる歳を経た木霊たち。
そして……主人公の初恋の人であり、彼が通う書道教室の先生の遠縁にあたる、美しい娘さん。
でも各エピソードはバラバラで、何というのか……有機的に繋がらない、のです。
ここから長く『大阪弁で語る土着ファンタジー』は、私の中で未消化のまま、頭の隅に置かれることとなったのです。
(心の中で中島みゆきの『地上の星』が流れるww)
さてさて。
この二つの世界線?を、頭の中で行ったり来たりしていくうち、かわかみは閃きます。
これって……同じ次元に存在する『私謹製・ふんわり設定日本神話を持つ日本』の、それぞれ別の地方のお話では?と。
(再び、『地上の星』が心の中で響き渡る)
『クサのツカサ』の結木くんが、『月の末裔(るりヒロイン・明生ヒーローの、不健康なメリバエンド版。書く前にエタりましたw)』の主人公ちゃん、彼女にしたいな~とか言い出すようにもなってきます。
ここで初めて明確に、『生と死の狭間』あるいは『神の庭』と呼ばれる、心の最奥にして『死』に一番近い場所、そして己れにだけ知覚できる神(であると同時に自分自身の一番崇高な部分)との対峙の場が、私に見えてきました。
それまでナアナアだった『月の神の氏族が、他人の夢に確実に干渉できる場』とか『オモトのミコトと明確に意思の疎通ができる場』が、くっきりと私に見えた瞬間です。
生と死は、現と夢の在り様に近い。
漠然と思っていた私の個人的な感覚が、お話の装置としてひとつの形になったのです。
(最大級に盛り上がる『地上の星』ww)
……おちゃらけはこの辺で(笑)。
生と死、現と夢。
現実のすぐ隣に不思議(夢幻)は存在し、生きている者は次の瞬間、死ぬ可能性がある。
かなり若い頃から私の中にある感覚です。
夢幻や死は、現実がイヤで逃げる為の都合のいい世界でもなければ、逆に絶望の世界でもない、と。
現実のすぐ隣にあり、行こうと思えばすぐに行ける、だけど行けるからと軽い気持ちで行くと帰れなくなる世界、つまり本当の意味で『人間』ではなくなる、生半可に関わると取り返しがつかなくなる世界だと、かなり若い頃から私は、漠然と思っていました。
夢幻や死と静かに対峙し、きちんと受け入れられる器を持つには、現実をきちんと生き、成熟する必要があるとも思っていました。
我ながら嫌味なくらい優等生的な発想だと思いますが、そう間違っていないと今でも思っています。
私が(ハイ・ローにかかわらず)ファンタジーに惹かれるのは、その辺の感覚を上手く言い表わせるからかもしれません。
……でもね。
ここまで煮詰まってきてもこの二つの作品、いい感じに形になってくれません。
まだ何かが足りない……のです。(プ○○ェクト○ーックス!)




