第43話 修道院に殴り込め
「ごめんなさい。きっと私が同僚に話しているのを聞かれてしまったんだと思います」
翌日尋ねてきたナタリーさんは申し訳無さそうに言った。
「ヴィネちゃんが植物を育てる凄い能力で大活躍してるって、あまり嬉しかったんでみんなに喋っちゃったんです」
「いや、ナタリーさんのせいではありませんよ」
俺はそう言って彼女に問いかけた。
「でも院長はどうして今更ヴィネちゃんを取り戻しに来たんでしょうか?」
「心当たりはあります」
ナタリーさんは少し困った様子で説明してくれた。
「『マンドレラン』っていうとっても効能があると言われる薬草があるんですけど、その植物を育てるのには凄く時間がかかるんです。一本育てるのにおよそ二十年。きっとその時間を短縮できると思って院長はヴィネちゃんを欲しがったんだと思います」
「なるほど。そんなに効果があるんですか?」
「いえ、実はそれほどの効果は期待できないんですが、なにしろ貴重ですからとても高価な値段で売れるんです」
プラシーボってやつか。
値段が高い薬ほど効く気がするってのも分からないではないが。前世でもそれを利用した悪徳業者は後を絶たなかったよなぁ。
俺は更に突っ込んだ話をする事にした。
「一体おいくらくらいで……」
「一本分で金貨100枚くらいです」
「どひゃーっ!」
思わず大声が出てしまった。金貨100枚というと、前世界でのおよそ100万円くらいの価値ではないか。
下世話な話題なので、これまで具体的なお金の話はしなかったのだが、ここでの貨幣価値はおおよそ、銅貨1枚=百円、銀貨一枚=千円、金貨一枚=一万円といったところだ。
更にその上に白金貨=十万円、ミスリル金貨=百万円といった高額硬貨もあるらしいが、俺はまだお目に掛かった事は無い。
ちなみにカラスマ亭のおにぎりは一個銅貨一枚、およそ100円。キメラ定食は銅貨五枚でおよそ500円というリーズナブルな価格である。
ご飯とサラダもついておりますので、是非異世界に来られた折りには食べに来て頂きたい。
話を元に戻そう。
「そりゃあ、あの強欲院長がヴィネちゃんを欲しがる訳ですね」
「ご迷惑をお掛けしてすいません」
「いえいえ……しかし、だとしたら簡単には諦めてくれないでしょうね。どうしましょうか」
「そうですねぇ」
俺たちが悩んでいると、それまで黙って俯いていたヴィネちゃんが顔を上げた。
「わたしが院に行って、自分からお断りするです!」
俺とナタリーさんは驚いた。
「む、無理しなくていいんだよ。ここは大人に任せて……」
「そうよ、それにもうあそこには行きたくないでしょ? これ以上辛い思いをしなくてもいいのよ」
「ありがとうございます。だけど、自分で終わりにしたいんです。これはあたしの問題ですから」
決意に満ちたヴィネちゃんの顔を見て、俺たちはもう反対できなくなった。
「分かった。でも途中で逃げ出したくなったら我慢しない事。約束してくれるね」
「はい、分かりました。でも、嫌な事ばかりじゃないんですよ」
ヴィネちゃんはナタリーさんに向き直る。
「確かに修道院には思い出したくない記憶も一杯ですけど、ナタリーおねぇちゃんやお友だちに優しくしてもらった大切な思い出もたくさんあるんです」
「ヴィネちゃん……」
ナタリーさんはぎゅっとヴィネちゃんを抱きしめる。あんなクソ院長よりよほどナタリーさんの方が母親らしいではないか。いっそのこと養子にしてしまえば、院長も手を出せないのでは……すると将来俺はヴィネちゃんの父親に……
* * * * * * * * * *
「カラスマさん!」
などと馬鹿な事を考えていると、ナタリーさんに現実に引き戻された。
目の前には古びておりながら歴史を感じさせる大きな修道院がそびえ立っている。
ナタリーさんの来訪から二日後、俺たち三人は連れだって彼女の修道院にやってきたのだ。院長にお断りをする為に。
「この案内は?」
俺は院の前に立てられた『湯治にお越しの信者様はこちら』と書かれた案内板に目を留めた。
「院の裏に温泉が湧いているんです。そちらがあらゆる病気や傷に効くって有名なんですよ」
「温泉……ですか……」
ふぅむ。この世界でもアルカリ泉とかラドン湯とかあるのかな。俺がそう考えているとナタリーさんがまたもやぶっちゃけた話をしてきた。
「実際のところただのお湯なんですけどね。ただ修道院の裏に沸いてるってことで、わざわざ温泉を目的に来られる信者様もいらっしゃって……私はなんだか申し訳ないんですけど……」
よく見れば看板の下には『入泉料 銀貨一枚』と書かれている。どう見ても院長の仕業だろう。そこだけ付け足して書かれているようだから、最近になって徴収し出したのだろうか。
「でも近頃は本当に病気が良くなったとか、傷が治ったとか感謝して頂く信者様もおられて……病も気からなんでしょうか」
なるほどそういう事もあるかもしれない。お金を払う事で更にありがたみが増すというのは良く聞く話だ。つまるところマンドレランのプラシーボ効果と同じ原理なのだろう。
しかしファンタジー世界なのに夢の無い話だ。
「どうぞ、こちらからお入り下さい。来訪されることだけは院長にも伝えてありますので」
正面の大扉から中へ入ると、正面には説教台。その前に並べられた多くの長椅子に、おごそかに炎の揺らめく燭台とステンドグラス。まさに西洋風の教会然とした光景が俺の目に飛び込んで来た。
「おや、あれは?」
その中で異質な物を見つけて俺はナタリーさんに尋ねる。説教台の後ろ、キリスト教の教会ならキリスト像かマリア様の鎮座されてる場所に見慣れぬ像が飾ってあったのだ。
「あぁ、カラスマさんはご存じ無いんですか? あれは『光の聖女ナーリッシ』様の像ですわ」
「お兄ちゃん、そんな事も知らないですか?」
ヴィネちゃんが呆れたような声を漏らす。
仕方ないじゃん、俺って異世界人だし。とは言えない。
「あ、あぁ、あれですね」
この世界では常識だったら困るので適当に返事する俺。
「ナーリッシ様像なんて、どこの家にもあるですよ」
ヴィネちゃんは更に俺を追求する。昔の日本家屋における神棚みたいなものなのだろうか。
「ん?」
「どうしたんだい?」
「でもそういえば、シュガーおねぇちゃんの家には無かったですね」
「そ、そうなんだ。だから俺も最近まで知らなかったんだよね」
俺は冷や汗をかきながら言い訳したが、更におかしな点に気づいてしまった。
「こ、これは何ですか?」
光の聖女様とやらが右手に持っている物体を指さして俺は再び尋ねた。
「これはナーリッシ様が国をお救い下さった時に悪魔を倒した武器だと言われています。どのように使われたかまでは分からないのですが……」
「はぁ、左様ですか……それにしても精巧にできていますねぇ……」
俺は思わず気の抜けた返事をしてしまった。なにしろ像の右手に握られていたそれは短い棒に細い金属が何本か茶せんの様に取り付けられたもの。
そう、『泡立て器』にしか見えなかったからだ。
これを武器にした戦ったのか? どう見ても泡立て器……いや、この世界にそんなものがある筈ないから何か似た形状の魔法の道具なんだろうか。
「何がそんなにおかしいですか?」
俺が思いを巡らしていると、ヴィネちゃんが上着の裾を引っ張った。
そうでした。今はそんな事を考えている余裕など無かったのだ。
その時、俺たちの声を聞きつけたのか、奥の扉が開いてあの時の客、院長がのっそりのっそりとナメクジのように説教台に近づいてきた。
今まで「教会」と書いていた部分を修道院に訂正させて頂きました。




