第42話 最悪の来店客
五種の野菜の栽培が軌道に乗り、カラスマ亭でのテスト販売も順調にこなした事で俺は市長に相談して、野菜の無料配布を試験的に行う事にした。
まずはあまり裕福で無い地区に給仕班が出向く形で、取れたての野菜を配った。カラスマ亭の噂は知っているものの、実際に食べに来るには金銭的に厳しかったという彼らは、最初は見慣れぬ食材に尻込みしたものの、一口食べれば大評判になって奪い合いになったという。
しかし食べる事で知力を付けた彼らは、配布の度に礼儀正しさを身に付け、三度目には一列に並んで行儀良く野菜を受け取り始めたという。
また勤労意欲も低かったその地区だったが、体力が増強された事で真面目に働く者も増え、俺たちの計画は予想外の効果も見せ始めていた。
だが、何もかも順調に進み始めたと思っていたその頃、またもや一波乱を起こす客が来店したのである。
「おいおい、表に凄い馬車が止まってるぜ」
その日の昼下がり、狩猟を終えて帰還したミソルさんが厨房に入るなり、驚いた風に言った。
「馬車が来るなんて、市長が来られた時以来ですね。このお店もとうとう貴族様が来られるようになったのかしら」
「おいおい、俺はそんな風な店にしたいんじゃないんだよ」
「知ってますよ。『俺は貴族でも平民でも同じ料理を出すんだ!』でしょ」
「あの……シュガーさん……恥ずかしいから止めて頂けるかな……」
「そうですか。あの時のカラスマさん格好良かったですよ」
そう言いながらも、シュガーはからかうように笑った。
言われてみれば確かに今までの客はほとんどが平民階級である。店の庶民的な雰囲気もあり、気取った貴族達は来店したくてもプライドが許さないのだろう。もちろん家来達にお持ち帰りを買ってこさせたような輩はいくらでもいるのだろうが。
「ちょっと興味があるな」
俺はそう言って厨房から店の入り口を覗き込む。或る意味プライドを捨ててまで来てくれた貴族というのはどのような人物なのか見て見たかったのだ。
「!」
ところが俺はその客の姿を見て驚いた。
常人の数倍あろうかというぶよぶよの腹。その上に乗っかっている頭との境目の、本来は首というべき場所にくびれは無く、じゃらじゃらした大量のネックレスがかかっている。太い指には、もはや下品にさえ見える巨大な宝石のついた指輪がいくつも嵌められ、歩くのも面倒だという様子でその客は席についたのだ。
例えて言うなら、某超有名宇宙戦争映画に出てくる犯罪組織の首領と言えば伝わるだろうか。
どう見てもただ者では無い。これでは注文を受けるヴィネちゃんが気の毒すぎる。
即座にそう思った俺は慌てて自らオーダーを取るべく厨房を飛び出した。
だが一歩遅かったのだ。
「まぁ、こんな所にいたのね!」
客の女はその体格に似合わぬ、いや似合ったオペラ歌手のような美声でヴィネちゃんを呼びつけたのだ。
「早くこっちに来て! ずっと捜してたのよ!」
ん? どういう事だ?
「私の可愛い娘のヴィネガー! ママに抱きしめさせて!
あの客がヴィネちゃんの母親!?
俺は卒倒しそうになった。ヴィネちゃんがどう成長すればあんな風になるのだ?
ひょっとして鏡を見ながら『成長~即身~成仏~』とかやったのではないか。最後のはちょっと違う気がするが。
だが、当のヴィネちゃんを見ると、どう見ても感動の再会といった様子では無い。彼女はトレイを胸にかかえたまま、顔を真っ青にして震えていたのだ。
「大丈夫か、ヴィネちゃん」
俺は慌てて彼女に駆け寄った。
「このお客さん、ヴィネちゃんのお母さんなのかい?」
ヴィネちゃんはぶるぶると首を振る。
一体どういう事だろうか。
すると再び客の女が歌うように言った。
「ヴィネちゃん、ママを忘れちゃったの? 捨てられたあなたをあんなにも優しく大事に育ててあげたのに!」
「あっ!」
俺はようやく状況を理解した。この女はナタリーさんの言っていた、ヴィネちゃんを虐めて追い出したという修道院の院長ではないか。
「ヴィネちゃん、下がってて」
俺は怯える彼女を背中に隠れるように言って、その客の前に立った。
「お客様。彼女はもううちの店員でして、お客様とは会いたくないと申しております」
どこから見ても厚顔無恥な女だ。これくらい単刀直入に言ったほうがいいだろう。
ところが院長は恥知らずにもこう言い放ったのだ。
「今日はあなたを引き取りに来たのよ。まさかこんな汚いところで奴隷のように働かされてるなんて……知らなかったママを許して!」
「ふざけるな!」
俺はとうとう堪忍袋の緒を切れさせてしまった。
「話は全部聞いてますよ。あんた、ヴィネちゃんが使えないからって虐めて追い出したんでしょう。今、彼女はようやくこうやって新しい人生を歩んでいるんだ。今更育ての親面しようたって俺もヴィネちゃんも許すもんか!」
てっきり逆ギレされて強烈な反撃も覚悟した俺だったが、院長は今度は泣き落としにかかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。なんだか酷い誤解があったようね」
ハンカチで涙を拭きながら院長は続ける。
「あなたもみんなもまだ小さかったから、きっと記憶も曖昧になっているのよ。だって、あれからママはずっとあなたを捜してたのよ。こんな可愛い大切な娘を手放す筈がないじゃない!」
呆れるほどの大した演技力だ。神に仕える身でありながら、その豊満な我が儘ボディと虚飾に満ちたファッションセンスのおかげで説得力は全く無いですけどね。
きっとナタリーさん達、部下の修道女をこき使って稼いだお金で買ったんでしょう。
「とにかく、もうヴィネちゃんはうちの大事な店員なんです。諦めてお帰り下さい」
俺が毅然とそう言うと、院長は初めて不満そうな顔をした。
「きっと急だから、気が動転してるのね。ママは待ってるから」
まだ諦めない根性は流石だ。
そして次のセリフは、その場にいた全員を驚愕させるのに十分だった。
「じゃあ、噂のキメラ肉のステーキを頂こうかしら。とりあえず三人前持ってきて下さる?」
結局彼女はステーキ定食を5人前と握り飯20個を平らげてようやく帰っていったのだった。




