第22話 死の森
辿り着いた『死の森』を前にして俺は情けないことにちょっぴり後悔をし、尻込みしてしまった。
「よく見ると、うっすらと結界の幕があるのが分かるか?」
見ればピンク色の、丁度オーロラのようにたゆたうカーテンのようなものが森を囲っている。手を伸ばすと何の抵抗もなくすり抜けるが、伸ばした手の先にこれまで経験した事の無い嫌な感覚を覚える。
異世界人で無能力者の俺にまで感じられるヤバい雰囲気って相当じゃね?
「それがあるから魔物達は町に入ってこれないんだ。大聖女ナールング様の力ってのは、ホントに凄いもんだ」
「そして我々は、そのご厚意を無視して美味しいものの為に危険を犯す不届き者ってことですね」
「違いねぇ」
苦笑するミソルさん。
自虐すると少し落ち着く俺はマゾ気質なのかもしれない。
森に入ってしまうと食事どころでは無くなるのは確実なので、俺たちはそこでお弁当を頂く事にした。
シュガーとヴィネちゃんの握ってくれたおにぎりは、最初の頃からは比べものにならないほど美味しくなった。
俺自身が米の仕入れの際に良い品種を見極められるようになった事もあるが、彼女達の塩加減や具材の分量、握り加減が絶妙なのだ。
もちろん二人の慈愛を感じられるのもあるんだけど。
お陰様で緊張にもかかわらず、ぺろりとそれを平らげた俺は少し勇気をもらった気がした。
「よし、行くか!」
「行きましょう。みんなの為に!」
覚悟を決めて俺たちは森に一歩を踏み出す。
役職が人を創るってのは本当だ。ギルドマスターとしての社会的地位が俺に前世では考えられないほどの責任感を与えてくれる。
以前なんて歯医者に行くのも面倒だったのに。
「気をつけろよ。一瞬でも気を抜いたら襲われちまうぞ」
ミソルさんに守られているとはいえ、俺はまだ防御力5の身である。シュガーちゃんに言わせるとそこらへんの野犬に噛まれて死ぬレベルなのだ。この森の魔物に襲われたらひとたまりも無いだろう。
真っ昼間なのに森の中は薄暗く、初夏なのに寒いくらいだ。
ミソルさんは剣を掲げて慎重に歩いて行く。
「ここらあたりなら、それほど強い魔物はいない筈だ。ところで、お前さんの探している食材ってのはどんな物なんだ?」
「いやぁ、実は自分でもさっぱり」
「なんだそりゃ?」
それは本音だった。求めるものは、鶏豚牛に似た生物。鮭の時のように、外見から味が想像出来れば楽なのだが、魔物とくればそうもいかないだろう。魔物の餌にされているような、大人しい品種の生物がいれば楽なのだが、それは都合が良すぎるというものだ。
ブーン!!
「ひゃあぁっ!」
鷲ほどもある巨大なトンボに似た昆虫とすれ違い、俺は情けない悲鳴を上げてしまった。
「おい、大丈夫か?」
「へ、平気ですよ。なんなら指でくるくるってして、目を回させて堕としてみましょうか?」
「馬鹿野郎!あれは、デビルヤンマっていう獰猛な昆虫だ。指なんて出した瞬間に腕ごと喰いちぎられるぞ!」
冗談でも出さなくて良かった。
足を踏み入れるにつれ薄暗さは増し視界は狭くなり、どこからともなく不気味な嗚咽のような鳴き声や荒い息づかいが聞こえる。死の森の面目躍如ってとこか。
「下がれ!」
最初に出会ったのは巨大な齧歯類だった。ネズミに似ているが、腕は前足は4本尻尾は3本ある。
「きぃっ!」
魔物はミソルさんを見つけるなり、飛びかかってきた。新品の鋼の盾でそれを防ぐミソルさん。俺は彼の影に隠れながら、一応後方を監視する。
なにか来ても対応できないけど、無防備にしてるよりはマシだろう。
ぶんぶんとミソルさんの剣が空を斬る音だけが響く。相当すばしっこい奴のようだ。
だが、戦闘開始から五分も経った頃、ミソルさんの剣技にようやく魔物は息絶えた。
「どうだ、こいつは喰えねぇのか?」
肩で息をしながら訊いてくるミソルさん。
しかし、どうみても地面でぴくぴく動いているネズミっぽいそいつは美味しそうに無い。味を気にしなければ食べられない事も無いだろうが、今必要なのは美食なのだ。
ごめんなさい齧歯類さん。
「しかし、こんな雑魚っぽい奴でもこの強さだ。早いとこ獲物を見つけてくれよ」
ミソルさんをも弱気にさせる死の森の恐ろしさを俺は改めて思い知らされた。
その時、俺は小さな可能性にいきついた。
「少し待って下さい」
「どうした、小便か?」
「いや、小便ならさっき漏らしたから大丈夫です。あっ、いや冗談ですよ」
だが、もっと怖い魔物が出てきたらシュガーの言うように本当に漏らしかねない。
俺は集中する。彼女はどう言っていただろうか。
頭の中にイメージを浮かべる。鶏肉の……牛肉の……豚肉の……
頑張れ俺の『食道楽』
(頭の中でイメージを固定できたら、それを全身に行き渡らせるように)
ヴィネちゃんに魔術の基本を教えていたシュガーのセリフを俺は実践する。
唐揚げが、牛肉のグリルが、豚の生姜焼きが俺の体を満たしていく……
ぐぅぅぅっ!!
突如俺のお腹が大きな音を立てた。
ミソルさんは俺を呆れた目で見ている。
「お前、以外と豪胆なんだな」
俺は頭をかいて誤魔化してから、ミソルさんに告げた。
「あっちです。あっちに食材がいます」




