第二話 「釣りをしながらできるのものは無駄話だけ」
嫌な夢を見た。
夢の中で僕は細い糸を持って宇宙空間を漂っていた。
糸は遠くに見える宇宙船につながっている。宇宙船にはドーム状の大きな窓があり(強度的に大丈夫なのだろうかと不安に思うほど大きい)、中には大勢の人間が見えた。きらめく照明とともに人々は踊っていた。
船体には大きく「DISCO」と書かれている。
……このまま行けばパーティに間に合う。
糸が切れた。
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目覚めは最悪だった。
宇宙空間を永久に漂い続ける夢を見れば当たり前だろう。
昨日、ガンダムの劇場版を見ながら寝たのが悪かったのか。
……宇宙空間を漂流させる処罰が出てくるのはVガンダムだっけ?
「いいよな、アムロもウッソにも帰れる場所があって」
ベランダに出ると高塔がいた。
ベランダには釣竿がかけてあった。小さい頃にもらった海釣り用の竿だ。一度使おうとしたが、糸が絡まって上手く使えず、それっきりだった。
竿から伸びた糸は階下へとぶら下がっている。ここは駅前の団地の7階。この棟では最上階だ。ベランダから下を覗くと釣り糸がフラフラと風に揺れていた。先に何か光ったものがぶらさがっている。
「何をやっているんだ?」
「さあな、俺も来たばかりだ。これがベランダにあった。懐かしいな」
高塔は肩をすくめた。
「たぶん、釣りでもしろってことじゃないか」
「何が釣れるって言うんだ」
「新たな出会い」
「……それはないな」
「ああ、ないな」
そう言いながらも高塔は釣竿の前に座った。
「釣れないだろ。それに近所迷惑だ」
「いいなじゃないか。昔から釣には興味あっただろ?」
「興味だけな」
「今日は安みだろ?」
「予定もないしな。いつもだけど」
僕は買っておいた菓子パンを食べながら高塔の横に座った。
釣りをしながらできるのものは無駄話だけだ。
「最近、何かいいことあったか」
高塔が尋ねた。
「昨日、ギザ十を釣りでもらった」
「ギザジュー?」
「縁がギザギザの10円玉だよ」
「それは知っている。発音がひどすぎる」
「ギザジュー」
「ギザのピラミッドが入ったジュースかと思ったよ」
「シャリシャリしそうだな」
沈黙が2分ほど続いた。
……ピラミッドってシャリシャリしているのか?
「で、それが一番良かったことか?」
「いや、それは二番目」
「一番目は」
「昨日、終末のフルクラム読んだらさ」
「ふむ」
「乳首が描いてあった」
「へえ、いつもギリギリ隠しているのに」
「少年誌なのに」
「……少年誌なのにな」
1分ほどの沈黙の後、高塔が言った。
「お前、今年で30才だろ」
「30才で少年誌読んでて悪いかよ」
「そうじゃねえ、30にもなって漫画の乳首で興奮するなよ。だいたい、お前の持ってるエロマンガはもっとえげつないのが描いてあるだろうが」
「少年誌で見るのは何か違うんだよ」
「……同じだろ」
また数分間の沈黙。
「じゃあ、逆に悲しかったことってなんだ」
高塔がまた尋ねた。
「人生は悲しみでできたレールだ」
「そう言うのはいいから」
「1年前……」
「ふむ」
「ギザ十持ってたのに、買い物で使っちまった」
「お前の人生はギザ十しかないのか!」
「……冗談だよ!」
怒鳴りかえした。
「まあ……でも、ここ数年では2番目に悲しかったかな」
「じゃあ、これまでの一番はなんだよ」
僕の脳裏に一人の女性の姿が映った。高校生の頃の話だ。彼女はある男にプレゼントを渡していた。今でも思う。あれを受け取るのが僕だったらな、と。
……高校生活の終わりの時期で焦っていたとはいえ、あんなパーティに行くんじゃなかった。
「言わない」
「言えよ」
そう言いながら取っ組み合いをしていると上の会から何かがぶら下がってきた。
ピンクの紙包みに包まれた箱だ。それがフラフラと空を漂っている。
「見ろ、あれ」
高塔が手を伸ばした。
「やめろ、危ないぞ」
「だって、あれは……」
「ありえない。何かの罠だ」
「罠ってなんだよ」
高塔は空を漂うプレゼントの箱をじっと見つめた。
「罠でいい。だってあれは……」
僕は黙った。ほんの数秒の沈黙だろう。
だが、お互いに同じことを考えているのはわかった。
あの包装紙を忘れるはずがない。
「俺は行く」
高塔が手を伸ばし、包みを握った。
「ずっと、これが欲しかったんだ」
その途端、彼の体が持ちあがった。
「……行って来いよ」
高塔は包みを握ったまま上へと登っていった。
僕は高塔が空に消えるのを見送った。
目に涙が滲んだ。
その後、食べかけだったパンを食べた。
……部屋に戻ろうとすると、釣り竿に反応があった。
リールを回すと下から箱を握ったままの高塔が上がってきた。
「……ただいま」
「お前に帰れる場所なんかない!」
僕が釣り竿を投げ捨てようとしたので、高塔は慌ててベランダの柵にしがみついた。