5話「案の定」
空気が重い。淀みに淀みきっている。
カルロス付属病院の必要最低限の説明以外、後は凪のように淡々と、寡黙に、平然と歩き続ける美麗な女子、ナツノと人生そのものが静かだった俺、上敷 功はシュレンダーさんの提案からリハビリを兼ねて外を散策する事になったのだが、俺の脳内には「案の定」というテロップが堂々と一面に貼られるような気持ちだった。
元から勘づいていた気まずい雰囲気がそこにはあった。やはり、メアやシュレンダーさんのような第三者がいないのはとても辛い。壁の隔たりをモロに感じるようだった。
メアは言うまでもなく、シュレンダーさんもお仕事の関係で同伴が不可能だった。
そもそも第一、俺はナツノに初対面からあまり良いイメージは持たれていなかった。さらに加えて今までのお話で多少察しはつくと思うが、俺は心に思ったことを口に出せなかった。めちゃくちゃ考えてるんだけど。何なら彼女がまた心にもない罵倒を浴びせてきたとき、薄志弱行な俺が言い返せるような方法・「さりげなくディスる」言葉を模索している。所謂、
「悩みが無さそうでいいよね」
っていうやつだ。ちゃっとイラっとくるだろう。しかし相対する彼女・ナツノは、俺が見る限りでは絶対に俺のホコリかのごとく微細な抵抗に眉毛をピクリとも動かさずに対抗できるのだろう。精神面において屈強でありそうな雰囲気が、ナツノには醸し出されていた。
そうやって荒唐無稽なアホくさくて、進展しない考えを俺はひたすら考えていた。
外はこんなにも清々しくて、日も照っていて、緑も立ち並んで、老若男女、はたまた人種というか生物の種類問わずに患者さんたちが顔を綻ばせながら容態を回復させようとしているのに、俺の心はズタズタで(元からツギハギがあるようなものだが)それのせいでさらにも増して体が重くなるように感じた。
木製ベンチに座っている髭の生えていて顔はナマズで体はムキムキマッチョのおじさんがにっこり口角を上げに上げて微笑んでくれても俺はそれに相応する笑顔を作ることは難しかった。
結局、話が病院の件で留まるのみで病院を一周回る寸前だった。このままではまずい。何かを話さなければ…!何も収穫が得られない…!
そうだ…俺は肥沃な土壌だから一杯収穫ができるんだ…!
俺は勇気を振り絞った。
「ナツノ!あの…!」
「馴れ馴れしくタメ口で呼ばないで頂戴。」
即答だった。時間が止まったようだった。心臓も停止寸前だった。衝撃だった。
俺の性格は根暗で臆病。しかし、罵声には耐性がある。こんなものでは造作もない。しかし、この時点でナツノとはもう対面では喋れる可能性が断たれたのだ。全面的に否定された。この世界を生きる手段の一つが断たれてしまったのだ。俺はその事に対して又もやナツノに対してかつ、自身に対して、悲壮感ではない、強い劣等感を覚えた。
しかし、その後少し時間の間隔をあけてナツノが口を開けた。
「……好きな食べ物は餡蜜ぜんざいだから。」
その淡々と苦い雰囲気で放った食べ物が強烈に甘いものだったために、その印象も強烈だった。
そう言って彼女は俺を病院の前の大広間に残して、病院の中にスタスタ入っていった。
取り残された。でも、初めて会話できた。
「おっしゃあああああああああ!!!」
俺は溢れんばかりの慟哭を喉にかき鳴らした。
周囲が俺を怪しく見つめ返すので、俺は再び萎縮する。
一方的ではあったし、これを会話と言えるかどうかも微妙だが、俺は人との友好関係において少し前進した。生きる道を取り戻す可能性がゼロではない事が分かったのだ。
ただただ嬉しかった。俺の言った質問に答えてくれたのだから……ん?…あれ?俺質問したっけ?
まあ好きな食べ物だしありきたりな質問だからよくある事だ。俺は渓流のごとく流した。
俺は嬉しすぎてクネクネ体を捻りながら喜びを表現していたため、いつのまにか俺の周りに人は消失していた。
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翌週、俺に退院の許可が下りた。
それまではちょくちょくメアが差し入れを持ってきてくれてそれ以外はテレビを見て、雑誌を読んだりして時間を潰した。その時に知った異民族の関係などはまた別の機会にしておこう。
ちなみにナツノはあの時以来、一向に俺の前に姿を見せなかった。
入り口前でシュレンダーさんと別れを告げる。
「退院おめでとう。イサオくん。これからは好きなように自分のやりたいことをやりなさい。」
「はい。今までありがとうございました。でも、俺まだやりたい事はおろか住む場所とかが無くて…そういうところを相談できるカウンセリングとかがあれば…」
すると、その言葉に割り込むようにメアが入った。
「それに関しては心配しないで!私が引き受けるから!」
え…まさかの同棲…?
俺はまた心臓が止まりそうになった。