夢学氏作『巫女』について 檸檬 絵郎の日記に残されたウロエン=モレ・ワッレィノメル氏の著述抜粋。(※ フィクションです)
※ この小説はフィクションです。くれぐれも誤解なさらぬよう……^^;
以下の文章は、夢学無岳という画家の絵画『巫女』(以下の画像)への言及であるが、これは詳細不明の著述家、ウロエン=モレ・ワッレィノメル氏による日記の一部抜粋であり、檸檬 絵郎(レモンエロウ / lemon yellow)の見解とはなんら関わりのないものであることを先に示しておく。といっても、私が氏のことばを記そうとしているこのノート、これはただの日記帳であり覚書用紙であるから、私が有名にでもならないかぎり、だれに読まれるものでもないのだが。
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夢学無岳という画家の描いた『巫女』という絵画に魅了された私は、ひとつ、奇妙なことを考えた。この絵は壮大なだまし絵なのではないか、ということである。
この巫女の姿をした人物は、なにかを見下ろして微笑んでいる。それがなにか、この絵では示されていない。それもそのはず、この人物は全身像が見えない。バストアップでなおかつ横顔、そして背景にぼんやりと見える緑が、私に「彼女の見ているものはなんなのだろうか」という想像を始めさせた。
[……]人々はこの人物を等身大だと勝手に解釈しているが、それでは画家の思う壺というものである。そして、ここまで人物という表記をしてきたが、これもそうだ。これは、私の考えでは人間ではなく、西洋における天使を描いたものである。巫女風の衣服を着ているというのはおそらく、画家の遊び心と日本文化への憧憬からくるもの、そしてエンジェルであると容易に勘づかれないためのカムフラージュであろう。
そして、この天使は巨大である。画面左下に描かれている緑、人々はこれを低木であると決めつけるが、私はそうは思わない。輪郭をぼかして描いているところにまたこの画家の遊び心がある。葉の形を丁寧に描写してしまうとこれが樹高のある樹木であることが容易に判断できてしまう。あえてぼかし、さも植込みの低木のように見せかけているのだ。この木の樹高を仮に三メートルとしてみると、鑑賞者には、画面から見えていた絵とまったく違った世界が広がってくる。
さて、いよいよこの人物もといエンジェルの見下ろしているもの、エンジェルの足元にはなにがあるのかについて、私の想像へと言及しよう。答えは簡単だ。エンジェルの足元にあるのは、樹木の根に打ち倒された悪魔である。[……]涼しい顔をしたエンジェルはドラゴンの形体をしたサタンの腹の辺りを踏みつけにし、凛々しい口元と瞳はいまだ抵抗しようとするサタンの顔へと向けられて牽制・恫喝をしているのだ。そして、画面下中央に握られたエンジェルの拳には長く伸びたサタンのナマズのような髭の先が握られており、少しでも動こうものならこれを引き抜くぞという脅しをかけているのだ。ちなみに、サタンの手下はすでにエンジェルによって髭抜きの憂き目にあっており、そのとき抜かれた髭は血に染まったまま、エンジェルの髪を結い衣をとめるのに使う紐として使用されている。ちなみに、結わえられた髪につけられた黄金の飾りは引き抜かれた牙か角であろう。[……]そして、白い衣服に描かれた墨絵のようなものは、人類の祖といわれるアダムとエヴァ、そのうちのエヴァのほうである。鑑賞者から見て左側、赤い紐の近くに描かれたエヴァは腕を伸ばし、禁断の果実をとろうとしている。右側のエヴァは木陰に身を隠し、右下に小さく描かれている蛇の尻尾に見惚れている(これはいうまでもなく誘惑者サタンである)。そして、上に描かれたもうひとりのエヴァは、白い頭巾で頭を隠し、うつむき加減に歩いている。これは楽園から追放される姿であろう。[……]
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断片的な抜粋であり、かつ「[……]」で示した中略もあり読みづらいこととは思うが、以上がウロエン=モレ・ワッレィノメル氏による夢学氏の絵画『巫女』への言及である。なお、檸檬 絵郎(レモンエロウ / lemon yellow)はこの見解を一切支持するものではないことを断っておく。といっても、私が氏のことばを記したこのノート、これはただの日記帳であり覚書用紙であるから、私が有名にでもならないかぎり、だれに読まれるものでもないのだが。
平成30年10月2日 檸檬 絵郎
怒られないといいなあ……^^;