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呪い殺されない方法  作者: 西田三郎
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診断:責任能力アリ

サイコホラーとオカルトをミックスして悪趣味と鬼畜で割った暗黒小説です(笑)

人間の屍体を見ると

何がなしに

女とフザケて笑つてみたい

~夢野久作






 その精神科医がわたしのことを鑑定した。


 かいつまんで話せば、責任能力はある、という結果である。


 精神科医は三〇代半ばの、なかなか魅力的な女性だった。

 こんな形で出会わなければ、わたしたちの関係はそれなりにロマンチックに発展していたかもしれない。


 いやいや、前言撤回する。それは有り得ない。


 わたしはちっともロマンチックな男ではないからだ。



「ふつうの人ですよね」彼女は言った。「ほんとうにふつうの人。山ほど症例名をつけられるけど、わたしのあなた に対する評価はたったひとつ。ふつうの人」


「ふつう、というのもけっこう大変なんですよ、先生」わたしは笑みをたたえて答えた。「とくにこんな世の中じゃね。それだけで立派なことだと思いますが」


「でも、ふつうであることに満足していないでしょう? あなたは」


「ほう」


 わたしは思わず、じっと彼女の顔を見た。


 ショートカットの髪にふちどられた顔は、少し幼く見える。


 そこには壁があった。


 べつにわたしを睨んでいるわけでも、非難がましい視線を向けているわけでもない。

 ただ、彼女は顔でこう言っていた。


『ここから先は、誰ひとりとして一歩も踏み入れさせません』と。


 彼女の顔は壁だった。

 美しいが、砦のような女性だ。



「あなたは、ふつうと呼ばれてうれしいですか?」


 精神科医が美しい顔を近づけで聞いてくる。


「まあ、それなりに。こんな立場ですし」


 思わず、意味なく笑みを作っていた。


「それはつまり、あなたはどこにでもいる、どうでもいい、どうってことない人間だ、ということですよ。そう言われると、イヤじゃないですか?」


「ううん……」


 どうだろう? 

 そんなこと、考えてみたこともなかった。


「あなたがしたことは個性的です。でも、あなた自身はちっとも個性的じゃない……ようするに、あなたがやったことの背後には、自分の凡庸への拒否感、凡庸 な自分からの脱却への願望が見えます」


「へえ?」


 これは心外だった。


 少なくともわたしは……

 自分が認識している範囲では……

 自分が凡庸であることを十分に認識しているつもりだったし、それを否定するつもりもない。


「あなたのやったことの根底にあるのは、自分という人間の凡庸さに対する苛立ちです。あなたは自分の行為で、自分の凡庸さを否定したかった。だから、犯罪 を重ねた。そうじゃありませんか?」


「ううーん……」


 どうも話が見えてこない。


 この精神科医が言っていることが正しいのかもしれないが、聞かされているわたしはちっともピンとこないのだ。


 


 確かにわたしは凡庸な男かもしれない。


 しかし、それのどこが悪いのだろう?

 個性的であることはそれほど重要なことなのだろうか。


 わたしがやったことは確かに犯罪だ。


 しかもかなり凶悪なも のに分類される類の。


 わたしはそれを楽しんだ。


 実際、手間ばかりかかり、自分にとってそれが「楽しい」ということ以外は、何の得にもならないことを繰り返してきた。


 しかし、趣味というものは本来そういうものではないだろうか?


 ゴルフだったり、釣りだったり、アウトドアだったり、さまざまなスポーツだったり……

 まあ、将棋や読書や映画鑑賞ならそれほど手間も掛からないのかも知れないが。


 いや、それらにしても、何の得にもならないことを楽しんでやることは、この魅力的な精神科医先生の言う『凡庸な自分からの脱却』とは違うような気 がする。



「自分がやったことで、あなたは解放されましたか? ……抑圧を忘れることができましたか?」精神科医先生の目 は、ほとんどギラギラと輝いていた。「あなた は凡庸な自分に、飽き飽きしていたんでしょう? ……そうでしょう?」


 この人のほうがふつうではないのではないか、とわたしは思った。


「普通がいちばんですよ、先生」


「はい?」


 精神科医が小首を傾げる。その仕草は、ちょっと愛らしかった。


「まともに生きること、普通に生きることは、近頃じゃあとても難しいことです。そうでしょう? ……わたしの知り合いにだって、心を病んでしまった人間はた くさんいます。まあ、はっきりいって普通に生きようとする人間にとって、この世はあまりに厳しい世の中じゃありませんか? ……だれだって、少なからずおか しくはなってしまいますよ。まともな神経があればね。わたしの身近な人間は、今も精神病院にいます」



 これは事実だ。

 最近ではふつうに生きて、正気を保つのも一苦労だ。



「知ってます……その“身近な人”のことは」精神科医が長い睫毛を伏せる。「あなた自身も相当奇妙な人ですけれど、あなたの周りではもっと奇妙なことが起こってますね?」


「奇妙……ですかね?」


「わたしのような立場の人間にとって、あなたの身の回りに起こっていることと、あなたがしたことを結びつけて考えることは、有り得ないことです。両方とも、あまりにも異常なことですが、これらが繋がっているなんてことは……わたしの理解や専門を超えたことです」


「待ってください、先生。わたしは何もしていませんし、わたしの周りでも確かに……不幸なことは起こってますが、単なる偶然に過ぎません。わたしは やってないことで逮捕され、裁判にかけられて、おまけにあなたが『おまえはこんな人 間だ』と決めつけるのを聞かされている。こんな不条理なことがありますか?」


「不条理?」精神科医が顔を上げる。彼女はまだまだ経験不足なのかも知れない。目に怒りが見えた。「あなたのやったことは、不条理じゃないんですか? あなたが自分の凡庸さから逃れるためにたくさんの人々を手にかけ……」


「だからー……」わたしは精神科医の言葉を遮った。「……わたしは何もしていません。先生が考えておられるような恐ろしいことは何もね」



 魅力的な精神科医は、声に出さずに『やれやれ』と首を振って気持ちを示して見せた。


 残念だ。


 警察に拘束される前に、彼女に出会いたかったものだ。



 そうすれば、わたしはもちろん、彼女も大いに楽しんでくれたはずだ。 

 もちろんわたしも、大いに楽しんだ。


 わたしは頭のなかで、この精神科医が首を締められているところを想像していた。

 締めているのは、言うまでもなくわたしだ。

 

 彼女はいま来ているスーツのスカートと下着を剥ぎ取られ、下半身におむつをつけている。

 彼女の目が大きく見開き、わたしを見る。


 その黒目に、希望が消え、意志が消え、最後に生命が消えていくのを見守る。

 まるでライターのガスが消えるみたいに。

 

 まるで点滅を続けていた家電の電源が、最終的に途切れていくみたいに。


 わたしは咳払いをした。

 なにを考えているか、彼女に悟られていないか気になったが……

 まあ、相手は精神科医だ。


 たぶん、わたしが何を考えていたのかを見抜く力はないだろうが、それを無視するスキルは持っているはずだ。


 それにしても……あの細い首筋はなかなか魅力的だった。

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