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後編








「なんだ」


 瞬間、ディディーを拘束していた青年が横に吹っ飛んだ。


遅れてやってきた破壊音と悲鳴に途切れかけた意識を繋ぎ止めた。上体だけで手を伸ばした間抜けな格好で、涙でぐしゃぐしゃの顔を先程まで青年がいた場所に向ける。

そこには大柄で、およそ神の遣いとは思えない程凶悪な顔をした神父が両手に剣を構えて立っていた。腰にはその他にベルトで括られた剣が4本程鞘に収められた状態で控えている。

絶句して喋れないディディーを見下ろし、アルディオは構えていた分の剣も鞘に収めると、何気なく転がっていた林檎を拾い上げ、「これか?」と軽い調子で幼子の掌に落とした。

あれだけ手を伸ばしても届かなかったものがあっさりと戻ってきた。しかも、あの日と同じように幼子の神様の手によって。

気付けばディディーの眸から新しい涙粒が溢れ、しゃくりを上げながら戻ってきた感触を抱き締める。やはり目の前の男は初めて会った時から、幼子の神様であった。

しかしそんなことを再認識してばかりいることも出来ない。瓦礫が崩れる音と、怒り狂った男の声が雪明かりのみの夜に響き渡る。


「いっってえぇなぁ!糞が!人の食事を邪魔しやがって!」


 吹き飛ばされた男は頭から血を流し、怒りの形相で神父を睨む。しかしアルディオはそれをものともせずディディーの前に立ち目を細めた。


「可笑しなことをいう。町にゴミがいれば直ちに清掃するのが教会(うち)の方針だ。ノコノコ狩られに来た己の低能を恥じろ」

「はっ!じゃあそのゴミをゴミから護ってるのはどういう了見だぁ?」


 ちらり、神父から視線を感じて林檎を掴む指に力が籠る。しかし誤魔化さず唇を引き結び見詰めながら頷いた。

噛まれていた太腿がじくじくと熱を持ち出し、痛みとも痒みともいえない感覚を脳に知らせる。虫刺されのように段々範囲を広げるそれを耐え、落ちそうになる意識を手繰り寄せてアルディオを見上げた。


「俺様を駆除したいのならそっちの餓鬼も残さず殺さなきゃ辻妻が合わねえなぁ?けど安心しろよ、その心配はないぜ?なんたって、今から俺様がお前を喰っちまうんだからなぁ・・・今までてめえには随分と煮え湯を飲まされたがそれも今日で終いだッ!」


 高らかに宣言した青年は腰を低くして雄叫びを上げる。

高笑いとも獣の咆哮とも呼べるそれに合わせ、彼の姿が徐々に変化していく。蝙蝠のような羽根はボコボコと泡立ち等身程の立派な翼に、細身だった四肢はぐにゃりと変形し強靭な鍵爪に、なるはずだった。

変化が終わらない内に男の背中に抜身の刃が突き抜ける。

瞬きの内にそれは倍の数になり、男は訳も分からぬまま仰向けに倒れる。最期に見たのは羽毛のような降りしきる雪と、無感動に最後の剣を首へ振り下ろす死神の姿だった。


 断末魔を上げる間もなく、中途半端な進化を晒した姿で化け物は絶命した。

アルディオは串刺しにしていた剣を鞘に収め、首の無い身体の心臓部へと一本の杭を宛がって短い祈りと共に突き立てる。瞬間、化け物の遺体は青白い炎が立ち昇り天へと還った。

それを最後まで見届けることなく彼は踵を返し、未だに倒れ伏す少女の元に戻る。服ははだけ、噛まれたところからは未だに血が流れている。土気色の顔色をどす黒く染め、焦点の合わない眸を虚空に注ぐ姿はもう永くないことを悟らせるには十分だった。

神父は無言で彼女の頭上に立った。幼子の腕には大切そうに干からびた林檎が抱かれている。


「・・・お前が、あの男と同じ化け物というのは本当ですか?」


 短い息遣いの合間に頷きが返される。どうやらまだ耳は無事らしい。


「人間の血を飲んだことは?一度でも襲ったことは?」


 嘘は許さない。剣を構え、冷酷な眼差しが幼子の全身に刺さる。

雪が降りしきり白く染まっていく世界は凍える程に寒い。命が潰えようとしている最中、それでもディディーは穏やかな気持ちで首を横に振った。10にも満たない子どもの、それも弱って動けない化け物に襲われる人間などいないだろう。まして少女はつい先日まで自分が人だと信じていたのだ。

ふっと、今にも殺されそうな状況には似つかわしくない程幸福そうに幼子は笑う。己の信じる神に看取られる。なんと幸せなことだろうとディディーは心の底から喜んだ。

でも、けれど、最期に一つだけ、許されるならば。



―――あなたの手で、殺してほしい



 その言葉を実際に紡げたか、ディディーは分からない。

深淵に堕ちて行く意識が、視界が、黒く塗りつぶされる。あぁ残念、でも夢のような時間だったと幼子は瞑目した。目尻に溜まった涙粒が米神を伝う。

その時の神父がどんな顔をしていたのか彼女には分からない。彼はしばらくの沈黙の後に刃を持ち上げ、


一閃、鮮血が舞った。
















 ◆◆◆







 真っ白な世界にいる。


雲の上にいるように柔らかな感触に包まれ、レースのカーテンが舞う。嗅いだことのない優しい匂い。光溢れるそこは天国かと錯覚した。

微睡みに揺蕩い、再び惰眠を享受しようと瞼を下ろし掛ける。しかしそこで違和感に気付く。

口内が鉄臭い。いや、甘い?

初めての味わいに、舌が無意識に残滓を求める。

(舌・・・?)

 何故自分は体を動かせている?自分は死んだはずでは?

(死んだ?なんで私、そう思って・・・)

 そこまで考え、がばりとディディーは寝かされていたベッドから上体を飛び起こした。周りを見渡そうとして、しかし急な動きに眩暈を起こし両手をついた。

は、と息を整える。自然に己の手元を見下ろすと、使用感はあるもののまっさらで清潔そうなシーツが目に入った。


「起きたか」


 反射的に声の方を振り向き、瞠目する。どうして、呟きは誰にも聞かれることなく零れて消えた。

今し方まで読んでいたのだろう本をパタンと閉じる。目に入った表紙は何度も読み返されたのだろう、使い古された聖書のもの。窮屈そうに簡素な椅子に座った巨体が此方に向きを変える。近付いてきた人相の悪い男は呆然とするディディーの髪を払い、頬や首筋を撫でた。


「ふむ、まあ顔色は悪くないな」

「えっ、あっ、アルディオ・・・さま・・・?」


 下手すれば彼女の頭よりも大きな掌は温かい。さかむけや乾燥した皮膚が当たり撫でられた部分がさりさりとくすぐったい。神様に触れられている、そう自覚した途端、ぶわりとディディーは首まで真っ赤に色付いた。


「あっ、あの・・・あの、」

「うん?」

「えと・・・どうして、私は生きているのでしょうか・・・」


 掠れずスラスラと自然に出てくる言葉に幼子は話しながら驚いた。自分でも初めて聞いた声は思ったよりも澄んでいて、何だか慣れなくて無性に気恥ずかしい。

しかし自分で言った言葉にそうだと思い直す。己は確かにあそこで死を覚悟した、あの状態で生き残るなどいくら化け物であったとしても考えにくい。

しかも今の状態はなんだ。天国かと見紛うた室内は簡素ながら整えられ、清潔な生活空間だ。路地裏で生活していた少女にはまるで見覚えが無い。

訪ねられたアルディオはスッと目を眇め幼子を見下ろす。放される気配の無い熱にドキドキと心臓が煩かったが、無言で答えを待った。


「お前があいつと同じ吸血鬼なら生かす方法は簡単だ」


 どうやら本当だったみたいで助かった。そう言って神父が左袖を捲ると、その下には包帯が巻かれていた。おまけに微かに漂う甘い香りに既視感を覚え、ハッと口許を抑える。怖々アルディオを見上げ、幼子は自分の閃きが間違いではないことを悟り顔を青くした。


「な、ん」


 咄嗟に神父の左腕に縋りつこうと手を伸ばす。が、その前にアルディオの両手がディディーの顔を挟み、額が触れ合う程近くまで引き寄せられる。

覗き込んだ眸は以前見た時よりも鮮やかな朱色。万華鏡のようにきらきらと光の度合いで輝きを増す不思議な光彩はまさしく魔性の色。

意識を失っている際に己の血を分け与えて顔色がグンと良くなったことでほぼ確信していたが、逃れようもない決定打を確認し解放する。愕然とする幼子はまだガリガリに細いが、路地で出会った頃と比べたら比較にならない程マシになっている。


「理由を尋ねたくてね」

「理由・・・?」

「あぁ、何故あの時笑ったのか。それがずっと気になってた」


 あの時と言われ思い出すのは死ぬ直前。

自分は死の瀬戸際に笑っていたのだろうか?・・・笑っていた気がする。

真剣に此方を見下ろしてくるアルディオに本当のことを言っていいものか一瞬悩んだ。きっと理解されない、けれど自分が唯一信仰している相手に嘘など吐けそうもない。

だから正直に話した。自分が化け物だと自覚したこと、神父に林檎をもらい嬉しかったこと、人に危害を加えて神父に嫌われるくらいならその手で始末されたかったこと。そして、アルディオの手で殺されるのなら何より幸福だと思ったこと。

包み隠さず洗いざらい吐いた。自らの罪を懺悔する信者のように、ディディーは居住まいを正し両指を胸の前で組んで首を垂れた。

その様は断頭台の前で死刑を待つ罪人のようだった。しかし気持ちは、これから極楽浄土に赴くように晴れやかだった。


「どうかどうか、お願いします。私のような化け物には過ぎた願いだとは分かっています・・・でも、どうか私を断罪する時は貴方の手で、殺してほしいのです」


 座るベッドのシーツに鼻先が付きそうなくらい深く頭を下げる。長い髪が垂れ幕の如く懇願する彼女の顔を覆い隠して窺い見ることは出来ない。

沈黙が落ちる。やはり駄目かと諦めかけた所で頭上から、「ディディー」と、先日承ったばかりの名前を呼ばれた。

じわりと歓喜から目頭に熱が宿る。

(嗚呼、嗚呼・・・これだけでいい。私は救われた、もう十分だ)

幼子は息を詰めて静かに笑った。落ちそうになった雫はシーツに押し付けて拭う。これ以上を望むのはそれこそ罰が当たるだろうと、素直に受け止めた。

気付かれないように鼻を啜る。そこで、頭上から溜息が聴こえたと思った途端に景色がぐるりと回った。驚きに声を上げる間もなく眼前に再び己の神様の顔が映り込み、己の名を呼ぶ声が鼓膜を震わせる。


「ディディー、人の話はきちんと聞きなさい」

「わっ・・・は、い。申し訳ありません・・・」

「はぁ、お前は泣き虫だな。会うたびに泣いている」


 怒ったように見えるが、恐らくこれは呆れているのだろう。ディディーは脇の下に腕を差し込まれ、顔を上げさせられてベッドに片膝をついたアルディオの膝に乗せられている。向かい合わせの現状にディディーの頬にまた朱が滲んでくる。

しかしそんな幼子の様子を意に介することなく、アルディオは口を開いた。


「お前は殺さない」


 一拍、ディディーは言われた言葉を反芻し、口の中で噛み砕いて意味を理解し瞠目した。あり得ない。そんな馬鹿な。顔色を変えた子供に見詰め返されても、神父は平然と受け止め、本気なのだと悟ったディディーは咄嗟に投げ掛けようとした否定を飲み込んだ。代わりに出てきたのは単純な疑問だった。


「・・・どうして」

「まず第一に、お前が今まで一人も人間を襲っていないのなら殺す必要が無い」

「で、でも、これから人を襲わないとは限らな・・・」

「お前は襲うつもりがあるのか?」


 言葉に詰まった。事実ディディーは人を襲うつもりなど毛頭なかった。しかしまさかそれをアルディオが看破しているとは思わなかった。

しかしこれから生き永らえることを考えれば、一度も人の血を飲まずにいられる可能性は低い。苦し紛れにそれを指摘すれば、それについても想定済みだったアルディオは軽く答えた。


「お前一人くらいなら私の血で賄える。まあ、あまり多くはやれんがな」

「・・・どうしてそこまで」


 噂ではアルディオは相当な化け物嫌いだったはずだ。いくら人を襲ってこなかったとはいえ、あまりにも自分に都合の良い待遇に訝しがらずにはいられない。勿論アルディオが何かの企てにディディーを利用しようというのなら喜んで我が身を差し出そう。だが目的の見えない、自分にばかり有利な条件に戸惑うのは当然であった。


「何故か・・・どこかの国の言葉で“毒を以て毒を制す”という言葉があるのを知っているか?」

「いえ・・・」

「お前は化け物のくせに何故か私には酷く従順だ。本気で私に殺されてもいいと思っている。現に今、天敵のはずの私の傍に無防備でいるのが何よりの証拠だ」


 確かに、今アルディオが片手でディディーの細首を捻り上げるのは赤子を殺すよりも簡単だろう。戯れに彼が子供の首を緩やかに締め上げてみたが、ディディーは抵抗も見せず恍惚とした表情で甘受するのみ。

パッとすぐに潰れていた気道が解放され、咳き込みながらどこか残念そうにしている。そんな幼子の顎を掴み、無理やり顔を剥き合わせ歯を剥き出しに嗤った。


「これを使わない手はあるまい?化け物を退治するのに同じ化け物をぶつける、面白そうじゃあないか」

「!!」


 ディディーは驚愕した。

大きな眸をこれ以上なく見開き、信じられないように神父を見詰め返した後、とろりと蜜が溶け出しそうなほど甘く、そして至上の幸福とでもいうように微笑んだ。

(嗚呼、嗚呼!まさか私の使い道まで用意してくださるなんて、なんて方だ、これ以上の名君はきっといないに違いない)

「ええ・・・ええ・・・!必ず、アルディオ様のお役に立ってみせます・・・必ず化け物共を倒せるくらい、強くなってみせます・・・!」


 全身から溢れる歓喜をどう表現しよう。神様の役に立てる、使い道を、道筋を示唆されている。期待されている。なんと素晴らしく甘美な響きだ。

高揚に身体の芯から溢れる震えが止まらない。胸の前で指を組み、夢見る乙女の様に高らかに、密やかに同胞の殲滅を約束する姿はアンバランスだが酷く美しい。


「―――契約成立だ」


 神父ではなく悪魔だと言われた方が納得する程笑みが凶悪に歪んだ。きっと目の前の少女は近い将来化けるだろう。人間の救世主として、己の貴重な手駒として。化け物共にとっては恐怖の対象として。長年の勘がそう告げている。

そして、きっと自分のことを決して裏切らないだろうと、確信があった。


(ひとまずは私の養子として扱おう。教会のシスター見習いとしても修行させた方が後々都合が良い。あぁ丁度いい、ハルベル司祭殿から言われていた褒美の件はこれでいいか。何十年も教会のために駆けずり回って来たんだ、化け物退治の道具を育てる後ろ盾くらいは貰っても罰は当たらないだろう)


 さあ、これから忙しくなるぞ。

喉の奥で嗤った神父は新しく手に入れた道具を抱え、まずは服から新調しようと脳内のメモに書き留めた。




 化け物殺しの神父とその使い魔がその名を轟かせることになるのは、これからそう遠くない未来の話。





信仰や盲信が好きです。そんな想いだけで書き散らかしました、楽しかったです。

いつかこの二人の小話とかも書けたら・・・いいなぁ(願望系)

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