第6章
魔王リヤンは礼拝堂を寝床にすることが多い。
礼拝堂といっても、窓は壊され、壁には飛び散ったであろう血がこびりついて黒い染みを作っている。床には壺やら燭台やらが散乱して足場が無い。
更に悪く言うのなら、神聖なるその場所には魔王が居座っている。神がいるなどと誰も思わない。
今この場で音を発しているのは魔王の吐息と窓から吹き込む荒々しい風のみ。
数年前のことだ。リヤンが人の姿をする前の話し、この礼拝堂も魔王と英雄の戦いの場に成ったことが数度ある。しかしその大半は魔王に剣を向ける以外に、『対話』、つまり話し掛けられたことがあるのだ。
神聖な場所で剣を振るいたくないと、信じる神に剣先を向けたくはないと。
リヤンが覚えてる記憶での多くは、おそらくそのどちらかだろう。
一人を除いては。
「リヤン様、またこのような場所に寝ておられたのですか」
「……ルシスか」
ルシスはリヤンを睨むが、どこ吹く風というようにリヤンは相手にしなかった。
呆れたのか、溜め息を吐くルシス。文句を言おうとして目を開けたその時、ルシスは一点を見て固まった。
「これは、随分と懐かしいですね」
表情がにこやかなものへと変わったと思えば、その手には小さな短刀が握られていた。
短刀の柄には細かい装飾が施されていて、誰しもが目を引く事だろう。
そんな短刀にも目もくれない魔王は、座っている背もたれの長い椅子に深く座り直す。
「リヤン様、覚えておいででしょうか、ここでの戦いを」
「それは、一体誰のだ?」
頬杖を着く魔王は適当な相づちを打ったのだが、ルシスは、否、女神ルシスは表情を綻ばせて微笑む。
「決まっています。リヤン様と初めて出会った日のことです」
金色の瞳は割れた窓ガラスの向こうを見ていた。
「はあっ! せいやッ!」
「……」
剣を振るう青年の技を軽い動作で避けるリヤン。目深くフードを被っているというのに、まるで未来が見えているかのような足取りで華麗にかわす。
獲物を逃がした剣は燭台やら壺やらを叩き壊す。
「はあ……、はあ……」
ついに青年は息が上がり、その場で膝を着いた。
「はあ……、くそっ、魔王とはここまでの実力を持っているのか」
青年の表情には怒りと無力さを混ぜたような色を伺わせる。
この戦士の踊りは2時間にも及ぶ長いものだった。息が上がるのも当然であるのに、魔王はふんと鼻で笑うだけに済んだ。
「どうした? もう終わりか? 人間の体力など所詮ここまでの物なのか? 悔しければ立て」
試すように、促すように、魔王自身が勇者を鼓舞する。
命のやり取りをしているなどという認識は魔王にはない、故の鼓舞である。魔王の声色は既に飽き飽きとしたもので、その行動はどこか新しい変化を求めているようにも見える。
「はあ……、はあ……。敵に塩を送るとは、俺も舐められたものだな」
自傷気味の言葉を上げる青年、魔王はそれを聞いても何も感じないらしくただその場で仁王立ちしていた。
「……魔王、俺はあんたを絶対に倒す。あんたによって殺された仲間の無念を晴らすためにな!」
青年は再びその双眼に闘志を灯らせると魔王に向かって剣を突き立て全身全霊に駆けた。
青年の体には二時間に及ぶ剣の舞いによって疲労がたまっている。しかしそんな素振りを一切見せずに走るそのさまは正に英雄と呼んで過言ではない。
きっと青年の記憶によぎるのは愛する人達や故郷で待つ親しい人々だろう。
けれど、相手が魔王だということを忘れてはならない、不意を突いた一撃も、魔王にとっては何の脅威でもないのだから。
「遊んでくれた礼だ」
そういって、魔王は迫る剣先に指を添え、ひょいと方向を変えてみせる。その刃は持ち主の首を切り取って床へと落ちていった。
「そのような悪あがき、もう見飽きたわ」
最後に残したその言葉は、あまりにも冷淡極まるものであった。
一人の戦士が亡くなった後の礼拝堂に、声が響く。それは魔王のものではない。
「貴様が魔王か」
「……そうだ」
その声は男にしては高いもので、けれど戦士にしては気高いものだった。
その者が礼拝堂に訪れた瞬間、張り付く様にあった薄影は、身を引く様に姿を縮ませる。
「相手をしてもらいたい、構わぬな?」
「よかろう、その短刀が我を掠めることが出来るか、試してやろう」
戦士の瞳は、金色に輝いていた。




