第三話 ブレスレット
ハナが新たに生み出したゴリラレイプのせいで、だいぶ時間をくってしまった。
火武輝は急いで身支度を始める。
悲しいかな、すでにパンツ一丁という事もあり、残された行程は着るのみ。傍から見れば、負の遺産ともいえる現状だが、そんな事をいちいち気にしていてはハナとは暮らせない。やり切れない気持ちを、手間が一つはぶけた程度に昇華させ、火武輝はクローゼットから学ランを取り出す。
火武輝の部屋はいたってシンプルで、最低限の物で構成されている。
クローゼットの他に、入って右側に先ほどまで死闘を繰り広げていたベットがあり、その向かい側には木製の勉強机が置かれている。
机の上はきちんと整理されていて、彼が几帳面な性格という事が見てとれる。
他に目立つものと言えば本棚と姿見くらいのものだった。
本棚にはぎっしりと漫画が並んでおり、少年向けのバトルものもちらほら見受けられたが、大半はラブコメ要素満載の少女コミックが棚を埋め尽くしていた。
常日頃から、実の姉に襲われるという退廃的な生活を送っているため、火武輝もたまにはキュンキュンしたいのだ。
心のオアシスとも呼べる本棚の横に、細長い姿見が立てかけられている。
火武輝はその前で、制服に腕を通していく。
鏡には、中性的ともいえる整った顔だちが映し出され、艶やかな黒髪は、ルビーのような赤い瞳をよりいっそう際立せていた。
ふと、火武輝は制服に目をやる。こまめにクリーニングに出しているため、汚れは見受けられないが、代わりに当初よりも色あせが目立つ。
長年着ていればそういう風になるのも当然か......。
時の流れを感じながら、火武輝は色あせた部分をそっと撫でた。
『これを着るのも今日で最後か...... なんだか寂しい気もするな』
静かな部屋にぽつんと火武輝の声が響く。
初めて制服を着た時はまだぶかぶかだった。
腕を下ろせば手が隠れてしまうほど袖は長く、何重にも折らないと着れなかった。
当初はそれを格好悪く感じ、冬でもよく袖をまくっていたものだ。
だが現在、鏡に映った自分の姿はそれをしっかりと着こなしており、今ではやや丈が短いくらいだ。
内面はともかく、この三年間で体だけはしっかりと成長していたんだな。
感慨深いものを感じながら、火武輝は最後のボタンを止める。
『よし!』
身なりを整え、机の引き出しからブレスレットを一つ取り出し、火武輝は部屋を後にした。
足早に階段を下り二階にあるリビングへと向かう。
憑神家は父親が一階でレストランを経営しているため、リビングは二階に設けられていた。
白を基調とした木製の扉を開き、火武輝は家族に声をかける。
『おはよー』
『おはよ』
返事が返って来たのは一人。先に朝食を取っていたハナからだ。
『あれ?父さんは?』
『仕入れ。式には間に合うって。ひーたん、コーヒーでいい?』
『あ、うん。サンキュー』
感謝の意を示すと、火武輝はハナへと目を向ける。
マーグカップにコーヒーをそそぐハナの姿は、先ほどまでとは打って変わって、きちんと制服を着ていた。
どこにでもあるセーラー服のはずだが、なぜかハナが着ると、魔法がかかったようにエレガントなものへと変わる。しわ一つない制服は、清潔感があり、優等生らしく凛とした雰囲気を醸し出している。その出で立ちはまさに可憐という言葉が相応しかった。
これで最悪の事態は免れたな......。
火武輝はほっと胸を撫で下ろす。
手にしていたブレスレットを机の上に置き、火武輝はハナからコーヒーを受け取る。
そして、ゆっくりと椅子へ腰掛けた。
リビングの中央には、大理石で出来たテーブルがどんっと設置されていた。その上にベーコンエッグとトースト、そしてイチゴをトッピングしたヨーグルトが用意されており、目の前のベーコンエッグからは、ほのかに湯気が立ち、香ばしい匂いが鼻孔をくすぐった。朝から一戦交えた事もあり、空腹だった火武輝の腹がぐぅーと大きな音を立てる。
食事を楽しむ前に、火武輝はテレビのリモコンへと手を伸ばす。
テレビをぼーっと見ながら朝食を取るのが火武輝のプレイスタイルだからだ。
適当にチャンネルを回していき、いつものようにニュース番組で手を止める。
コーヒーを一口飲み、何も考えずテレビを眺める。これぞ朝の醍醐味。火武輝はささやかな幸せを満喫する。
お天気キャスターの可愛いお姉さんが明日の天気を伝えている中、急に画面が変わる。
数秒前までのほのぼのとした空気は一変し、真剣な面持ちでアナウンサーが臨時ニュースを読み上げて行く。
『次のニュースです。先ほど、また新たに若い男性の遺体が発見されました。これで事件の被害者数は15人に上り、この事に警視庁は......』
ニュースを目にした火武輝の顔が恐怖で歪む。
理由はただ一つ。
この連続殺人事件が、火武輝の住む街で多発しているからだ。
最初に事件が起こったのは約半年前、海岸で一つの変死体が発見された。死体には数カ所の刺し傷や骨折など、様々な外傷が見つかったが、代わりにあるモノがなくなっていた。それは、捜査範囲を広げても、深めても、発見する事はできなかった。世間を恐怖のどん底に陥れたその死体には、本来あるべきはずのモノーー被害者の頭部が無かったのだ。
この猟奇殺人の犯人は、未だ捕まってはいない。
警察も総力を挙げ事件解決に取り組んではいるが、手がかりさえ掴めていないのだ。
そして被害者は皆、火武輝と同じ歳くらいの少年ばかりであった。
火武輝が顔を引きつらしていると、目の前のハナから声がかかる。
『大丈夫。ひーたんはハナが守る』
『......おい、どの口が言ってんだ?僕は朝からお前に犯されかけたんだぞ』
『あれは愛情表現の過多』
ハナはそう言い、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
『はぁ......自覚してんならもうちょい普通の表現にしてくれ』
『おしりの穴に指を入れるとか?』
『どこが普通なんだよ!マニアック過ぎるわ!』
こいつ本当に頭良いのか?甚だ疑わしい......。
疑念にかられながらも、火武輝は考える。
たとえイカれた殺人鬼であっても、たかが人間、それに比べてハナは超人だ。
二人の戦闘力の差は、アリと戦車ほどの開きがあるだろう。
殺り合ったとしても、間違いなくハナが勝つ。
しかし、犯人が捕まった際、ハナの事をあれこれ話されるのはまずい。
仮に自分が襲われたとしても、ハナだけは絶対に守らないとな。
幸せそうにトーストをかじるハナを眺め、火武輝は静かに決意を固めた。
ふと思い出したように、壁にかかった時計へと火武輝の視線が送られる。
時計の針は、すでに8時40分。
教室への集合は9時だが、家から学校まで歩いて30分はかかる。
このままだと完璧に遅刻だ。
『やばい!!!』
慌てて火武輝は朝食を口へとかき込む。それ見て理解したのか、ハナもつられてコーヒーを一気に飲み干した。
『よし、行くぞ!こんな日に遅刻だなんて笑い者だ』
『うん』
ハナは頷くと、リボンを外し、スカートのジッパーを下ろしていく。
目の前で起こる奇怪な行動に、火武輝は呆気にとられる。
『え?......お前、何やってんの?』
『ちょっと待って。いま脱ぎます』
『脱がんでいい!!!』
また全裸になろうとしたハナの手を引き、火武輝は疾風のごとく家を出る。
机の上に残されたブレスレットが、淡く光を放ち去り行く二人を見送った。
火武輝たちの住む街は海辺に面しており、主に漁業が盛んな土地だ。
季節に合わせ、色々と新鮮な海の幸が獲れるため、父親が経営するレストランでも魚介類をメインディッシュとして出す事が多い。
港にはいくつもの漁船が並び、波の動きに合わせてゆらゆらと大きく揺れている。
その上空をカモメが自由気ままに飛び交う。優雅に空を舞う姿は、さながら、朝の散歩を楽しんでいるようにも思えた。
港から少し離れるとそこはリゾート地、真っ白な砂浜が広がっていた。
砂はきめ細かく、裸足で歩いてもじゃりっとした感覚は無く、砂漠の砂のようにさらさらとした心地よさがある。それに加え海の透明度も高く、難なく水中の様子が見渡せるため、夏には海水浴を楽しむ観光客でごった返すほど日本でも有数の人気スポットだった。
その浜辺から2キロほど山間に入った所に、火武輝とハナが通う風見中学がある。
校門前には卒業式と大きく書かれた看板が立てかけられ、その横を生徒達が和気あいあいと通って行く。
そんな中、荒い息づかいが一つ。
『はぁ、はぁ、はぁ......なっ、なんとか間に合った』
火武輝は両手を膝につき、息を切らす。額からは玉の様な汗が吹き出し、全身からは蒸気が立つようだった。
死ぬ気で全力疾走したかいあって、なんとか遅刻せずにすんだ。火武輝は手で汗を拭う。
『ほんとギリギリ。だから屋根をぴょんぴょん飛んでこうって言ったのに』
『アッアホか!誰かに見られたらどうすんだ!それに、僕にそんなスペックは無い!』
火武輝を横目に、ハナは汗一つかかず、涼しげな表情を浮かべている。
ハナからすれば、火武輝の全力疾走など普通に歩いているのとなんら変わらないのだ。
突如、潮風が二人の間を吹き抜ける。
海から近い事もあって、ここら辺では時折、突風が吹くのだ。ハナは、乱れた髪をおもむろに耳へとかけた。
その時、ハナの手首がキラリと光る。自ら輝いているともとれる光源の元は、見事な金細工を施した黒翡翠のブレスレット。それが、ハナのか細い手首を飾っていた。
火武輝はハッとし、自分の右手首へと目を向ける。だが予想通り、残念な結果に終わった。
(あちゃー。忘れてきちまった......。見つかったらハナにどやされるな)
テーブルの上に置きっぱなしだった事を思い出し、火武輝は肩をすくめる。
一目で高価と分かるこのーーハナが付けているブレスレットは、二人が生まれた記念として父親から贈られたものだ。
昔から、外に出る際は必ずこれを付ける様にと、父親から言われてきた。
なんでも、黒翡翠には魔除けの効果があるらしく、あんな事件が起こっているせいもあって、最近はやたらうるさく着用を義務づけられていた。
意外と迷信深いハナにこの事がばれると厄介だ。
火武輝は気付かれぬよう、そっとポケットに手をしまい込んだ。
『あっ!花水楼さまだわー!』
どこからともなく、そんな声が上がった。
それをきっかけに、徐々に声は広がっていく。
『わぁ本当!火武輝くんも一緒よー!二人ともちょー可愛い』
『花水楼さま、俺のほう見てくださーい!』
『あっ!お前抜け駆けすんなー!花水楼さまは俺のもんだー』
『火武輝くーん!今日も素敵ー!』
やがて黄色い声援が二人を取り巻く。
みるみる人だかりができ、男女問わず雪崩のようにおしよせてきた。
『ねー!花水楼さま。卒業式が終ったら一緒に写真撮ってくれませんか?』
『あっ、俺も俺も!』
『うん』
ハナはこくりと頷く。それを目にした周りからは歓声が上がり、我も我もと注文が殺到する。その輪とは別に、火武輝の方も賑わっていた。
『ねー火武輝くーん!第二ボタン私にちょうだーい!』
『だめです先輩!それは花水楼さまのモノ!』
『うーん。じゃあ、他のボタンでもいいからー』
『分かった分かった!後でやるからちょっと離れてくれ』
女子に免疫はあれど、あまりに近寄られるとさすがに照れる。
火武輝は後ずさりしながら、校門をくぐる。その時、背中にドンと何かがぶつかった。
『きゃっ!』
『あっ!わりー!』
慌てて振り返った火武輝に、電流が走る。
火武輝の目の前にいたのは、まさかの人物であった。
美人としか言いようのない端正な顔立ちに、黒曜石を思わせる純黒の瞳。
滑らかな黒髪は潮風を受け、ふわりと宙を舞っていた。
『あっ......揚羽』
黒志摩 揚羽。
彼女こそ、ハナに続く学園のアイドルであり、クラスメイトであり、そして、火武輝が密かに思いを寄せる人物であった。
黒志摩 揚羽は、半年前に風見中学に転校してきた。
あと半年で卒業という微妙な時期に転校してきたばかりに、彼女はなかなかクラスに馴染めずにいた。
それを見兼ねた火武輝は、率先して彼女に声をかけるようになった。揚羽は極度な人見知りのため、最初はなかなか話してくれなかったが、根気づよく話しかけた結果、ようやく火武輝に心を開いてくれた。
それからは徐々に友達も増え、持って生まれた容姿も相まって、今ではハナと並んで風見中の2大アイドルと言われるようになっていった。
人見知りで、引っ込み思案な所もあるが、周囲にとけ込もうと一生懸命に頑張る姿が、火武輝にはとても輝いて見えた。そんな彼女にいつのまにか、火武輝は恋をしていた。そして今日、この思いの丈を彼女に伝えると決心して、登校したのであった。
『ごっ......ごめんなさい。私、ちょっとぼーっとしちゃって』
揚羽は驚いた表情で火武輝を見つめていた。
丸く大きな目をより見開き、下から上へと目線を運んでいく。
『こっ!こっちこそごめん!ケガはないか?』
『あっ、うん。大丈夫。それより、火武輝くん......だよね?今日は何か、いつもと違う......』
『え?そんな事ねーよ!いつも通りだと思うけど?』
火武輝は両手で自分の全身をまさぐり、くまなくチェックしていく。
ぱたぱたと制服をはたく火武輝の右腕に、揚羽の目が止まった。
『あれ?火武輝くん......いつものブレスレットは?』
『あっ!シーッ!あんま大きな声で言わないでくれ!今日忘れちまってさー。ハナにみつかると厄介なんだ......。黙っててくんねーか?』
『なるほど......そうゆう事だったの』
揚羽はうつむくと、ぼそりと呟く。
ほんの一瞬だが、火武輝には揚羽がニヤリと笑ったようにも思えた。
『ねぇ、火武輝くん。今晩ひま?』
『え!?なっ、なんだよ急に!』
火武輝は必要以上に動揺する。思いもよらぬお誘いの言葉に、少しばかりいやらしい想像をしてしまったのだ。そんな事とは知らず、揚羽は懇願するように両手を組み、潤んだ瞳で火武輝を見つめる。
『あなたに、大事な話があるの。......私のこの気持ち......あなたに聞いてもらいたい。20時に海浜公園の噴水前で待ってる』
そう告げ、揚羽は足早に校舎へと去って行いった。
その後ろ姿を見送り、火武輝は冷静に揚羽の言葉を分析する。
(え?私の気持ち?......聞いてもらいたい?......これって......もしかして!)
答えはすぐに出た。
右手を天高く突き上げ、腹の底から声を絞り出す。
『きたー!!!』
火武輝の咆哮が、雲一つない青空に響き渡った。