洞窟の中にて
洞窟内、『僕』は『そいつ』と対峙している。
『そいつ』は、その血に飢えた目をぎらつかせ、狩るべき対象である『僕』を睨みつけている。
殺気を宿し、目の前にある肉塊をいかに引き裂き、いかに臓物を引きずり出し、いかに味わおうかを頭の中で廻らせてるかのようだ。
突然、自分の住処の中に入り、眠りを妨げた愚か者に対する怒りも、その深い眉間の皺をより一層深いものにしている。下手な事をすると、一瞬で僕は骨と皮だけになり、大地と同化し、消えてゆくさだめとなるのであろう。
しかし『僕』は、目の前にいるこの残酷でおぞましい異形の獣を殺さなくてはならない。このような状況になってしまった以上、『逃げ出す』という選択肢はありえない。それを選んだ時点で僕は肉塊になるだけだし、そしてなにより、このまま消えてなくなるのだけはどうしても嫌だから・・・。
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『僕』は親の顔を見たことがない。物心ついた頃にはすでに親はいなかった。
その頃、『僕』は幼く、何もわからなかったので、どうして今いる村に流れ着いたのか、どうして『僕』には親がいないのか、そもそも人間がどうやってこの世に生を享けるのかさえもわからなかった。
そんな何も知らない『僕』が、その村で暮らすことになって待ち受けていたのは、理不尽であった。
親がいない、口もきけない、何を考えているのかわからない。そんな『僕』を村の人は初めは受け入れてくれた。『僕』を世話してくれた。言葉を教えてくれた。この世のルールを教えてくれた・・・。
しかし、『僕』が言葉を話すようになり、自分の考えを確立し、自分の考えを話すようになると、人々の『僕』を見る目が変わっていった。
『僕』の考える事、価値観と村の人々のそれとは違うらしく、あと、不器用な性分も手伝って『僕』はあっという間に除け者にされた。馬鹿にされた。数々の嫌がらせを受けた。
あげくには親のいない事、元々ここの人間ではなかったことなどを持ち出され、
「親なしの考えることは違うね。」だの、
「住んでた国が違う云々。」だのを、言われたりもした。さらに、
「実はあいつは○○の生まれだから云々。」といった確証の全く無い悪意に満ちた噂を流され、『僕』は年数を重ねていくうちに、どんどん村の隅に追いやられていってしまった。
どうして周りと違うだけでこんな目に合わなければならないのだろう。どうして異なった考え、価値観は受け入れられないものなのだろう。『僕』は数々の理不尽に遭う度に、疑問に思い、悔しさや悲しさで夜に枕を濡らす毎日を過ごした。
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そんな『養羊場の中の黒い羊』状態が何年か経ったある日、ある『事件』が起こった。
『探検ごっこしに行ってくる』と言って遊びに行った子供達が帰ってこない という事態が発生したのだ。
村中の人間が総出で探しても一向に見つからない。子供達の親は様々な悲劇を頭に描き、ある者は青ざめた表情でその場に立ち尽くし、ある者は取り乱し、周囲の人にすがりつき、ある者は地面に伏し、嗚咽をあげている。
周りに悲しみの空気が立ち込めてしばらく時間が経過したとき、『悲しみ』が『怒り』に変わった時、その怒りの矛先が『養羊場の黒い羊』に、理不尽な形で向けられるのに、そう時間はかからなかった。
「おい、お前。 そこの親なしのお前。 お前がやったんじゃないのか? いつも面白くなさそうな顔をしているお前が子供達を誘拐でもしたんじゃないのか? どうせこの世が面白く無いとか、そんなふざけた理由でこういうことをしたんだろ?どうなんだよ、なんか言えよ。ハッキリ言えよコラ!?」
いなくなった子供の家族であろうある男が突然そう言いながら『僕』の胸倉を掴んできた。
そんなことは身に覚えがないし、そんなことをしたいとも思わなかったので、違うと言ったら思いっきり彼にぶん殴られた。
「そんなわけないだろうが、てめぇはガキの頃から俺らとは違う考え方をしていやがる。俺達がある結論に至ったとするならば、お前は必ず『違う』というんだ。挙句の果てに違うとする理由をご丁寧に説明までしやがるんだ。子供の癖によ、親なしの癖によ。生意気なんだよ。空気を読めよ。そんなご大層なお頭をしたお前なんだ、俺達の考えの及ばないことを平気でやるんだろ? どうなんだよ。そうなんだろ?なんだよハッキリいえよおおおお!!」
彼は、子供達が行方不明になったショック、悲しみでパニックになっていたところに、『僕』のような恰好の捌け口を目にした瞬間、様々な感情が一気に溢れ出したのか、色んなことを叫びながらひたすら僕を殴り続けていた。理不尽な理由で殴られ続け、意識が朦朧とする中、『僕』も、生まれてきてから、心の隅に押し込んできたものが、徐々に込み上がっていく感覚を覚えた。その感覚が臨界点に差し掛かっていく寸前に一人の男が部屋の扉をバタンと開け、荒げた声でこう叫んだ。
「見つかった!!見つかったんだよ子供が!!犯人はそいつじゃない!!」
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意識が段々回復していくにつれ、この事件の全貌が明らかになっていった。
どうやら、子供達は村にある洞窟に探検ごっこをしに行っていたらしく、そして洞窟の中には、いつのまにか異形の怪物が住処にしていたようで、子供達はその怪物によって無惨にも殺されてしまった…とのことだった。子供達の家族は、この事故ともいえる結果にただただ涙するしかなかった。
そんな中、さっきまで『僕』を殴打し続けた彼が悲しみに暮れながらも、我に返ったのか。自分が間違っていた、殴ってすまなかった。などと謝罪の言葉を述べた。
さっきまで殴られ続けていた『僕』の精神は、今までの感情が溢れ出していて飽和寸前だった。しかし、彼の謝罪の言葉がトリガーになったのか、それが一気に溢れた。
あいつが、あいつが、あいつが、あいつが、化け物が、化け物が、化け物が、化け物が…。
『僕』は今まで出した事の無い獣のような雄叫びを発し、部屋に立てかけていた狩猟用の銃を手に取り、洞窟へと駆け出していった。
溢れ出した感情の渦の矛先が、何故今まで『僕』を虐げてきた村の人々ではなく化け物に向いたのだろう。 心のどこかで、流れ者の『僕』を育ててくれた、短い間だったかもしれないけど愛情を注いでくれた村の人々を嫌いになれなかった思いがあったのかもしれない。もしくは『僕』の中にあった理性が、人にこの危険な感情の濁流をぶつけまいと、なんとか頑張ってくれたのかもしれない。
気がつくと、『僕』は『そいつ』と対峙していた。
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我に返った『僕』は腹を括った。このまま引き返したって、死ぬだけだ。それならばいっそ、この猟銃で『そいつ』の頭をぶち抜き、生きて帰らなければ。
可能性は限りなく低いだろう、しかし、希望的観測もいいところだがゼロではないはずだ。仮に『そいつ』を殺すことが出来、首を持ち帰れば、村の人たちは『僕』の事を認めてくれるかもしれない。
可能性は低いかもしれない。低いのかもしれない。だけどこのまま消えてなくなるのはどうしても嫌なんだ…。
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僕の視界に赤黒い液体の噴水が広がっていた。『僕』は猟銃を構えて『そいつ』の眉間を狙って引金を引いたはずだった。一瞬だった。何もかもが一瞬だった。戦いも。痛みも。走馬灯も。
どうしてこういうことになってしまったのだろう、どうして『僕』は最期までこうなんだろう…。
どうして…。 どうして…。
*******けつまつ(・ω・( * )********