二話目
せめて思い出の品をとってきたい、とラビラントは訴えたが、無情にも女性は首を横に振った。
「無駄よ。ひとつも残ってないわ。だって、生きていた証拠はチリ一つも残ってないの。一つも」
女性は悲しげな目でそう言った。
この人は―――。
「じゃあ、私の荷物は?」
「持っていくものなどない」
それは思い出もか? と問いたくなったがそれよりも私の知っている皆は誰一人として私を記憶してないことに少なからずショックを受ける。
その上で私物まで消し去られたことがなんといっていいのか、一番近い感情では怒りだろうか。
ラビラントは口を開こうとしたが、女性がとても悲しそうな顔をしているのでやめた。八つ当たりをしても始まらないからだ。
それでも―――生きた証拠がない―――
失ったのは存在だけではない。失っただけではなく、この世界から拒絶されたのだと思うとラビラントはくしゃっと顔を歪めた。
泣くものか、とラビラントは思う。
泣くのなら、悲しさで泣くのではなく、嬉しさで泣かなければならない。
願いはかなったのだから。
天空魔法師になるという願いが叶った。
その事実はまだ受け入れられていなかった。
その前の段階でかなりのショックを受けすぎたため感動する時間が足りなかったのだろう。
ラビラントは奥歯にグッと力を込めた。
「さあ……」
女性が促す。
「―――はい……」
決別を決めた返答であった。
なぜかこういう時に限って懐かしい昔の思い出からつい最近あった出来事が一々思い出される。この記憶は誰とも分かち合うことはできない。
ラビラントの感情は乱れに乱れていた。
女性の背中についていくだけでどこを歩いたのかすら覚えていないほどに。
気づくと黒のマントで身を包み、黒のフードで顔を隠した数人に囲まれていた。
そして、目の前には大きな魔法陣が描かれている。
女性はいつの間にか黒い人たちの後ろに立っている。先ほどまでの悲しそうな表情は消えラビラントと目を合わせないよう俯いている。
何故?
そう言いたかった。女性が苦しむ必要なんてないのに。
黒ずくめの一人が手を差し出した。
ラビラントはその手に向かって歩き始める。
―――コレデサイゴ―――……
そう頭のなかに浮かんだ言葉にゾッとした。
もう、帰る場所はないのだ。胸がギュッと痛む。
そのときなぜか目は女性を探していた。
あと、一歩で魔法陣の真ん中に立つ。
足を上げて片方の魔法陣の真ん中に入った瞬間、分かった。理由なんてない。
ただ、ラビラントには分かった。
だからラビラントは口を開いた。もう一方の足が浮き真ん中に着く前に。
「あなたは天空魔法師だったのね」
疑問ではなく断言したラビラントに女性は虚ろな瞳でラビラントを見た。きっと女性もラビラントを忘れるのだろう。
だが、本質がなくなるわけではない。
女性の瞳から一筋涙が流れたことで確信した。
ラビラントは魔法陣の真ん中に立った。
魔法陣なら発動の言葉があるはずなのに何もしなくても魔法陣は発動した。
身体が熱かった。無理やり力を引き出される苦痛がギシギシと身体も精神も痛む。
それでもラビラントは声ひとつ上げず、耐える。
―――飛ぶ―――高く―――天の高みへ―――……
キーンと耳鳴りがしたと思ったらどんどんひどくなっていく。
身体が軽くなるような気がしたが、まだ軋み悲鳴を上げている身体の負担はそう軽くない。
しかし、力が溢れてくると気持ちが高揚していき、どんどん力が放出されていく。
そして、その力の粒子はラビラントの背中に羽のごとく集まり固まっていく。
最後の粒子が固まると魔法陣がラビラントの身体を包み弾丸のごとく勢いをつけて上に飛び上がる。
しかし、いくら魔法陣があっても天空までは遠かったらしい。
途中でぱりっと音がしたと思ったら砕け散った。
ラビラントはそのままの勢いを保ち自らの力で上に向かう。
それが当たり前のように軽々と上昇していった。
どこまで登っただろうか。
目の前に大きな光の魔法陣があった。
「これが、天空魔法陣?」
小さな声で呟くと次にラビラントの目には神殿らしき白い建物が見えてきた。そして、その周りに人が数人いることも見て取れた。
それだけ近くになったという証だった。
その神殿でこの魔法陣を守りながら一生を過ごすのだと思ったら少しだけ、家を思い出した。
貧しい暮らしだったが毎日が楽しかったあの頃に戻ることはないと改めて噛み締めた。
皆がラビラントを忘れたというのならラビラントも過去を思い出にして忘れてもいいだろうかと発送の逆転を試みる。
それだけで心がすっとしたような気がラビラントはした。
†††
着地するが誰も近寄ってこない。
ラビラントはどうしようかと困っているところにひとりの女性といってもラビラントよりちょっと年上のまだ子供の部類に入る。
「今年の生贄?」
ぞんざいな言葉遣いでその人は言った。
「イケニエ?」
繰り返して言うと女性はやれやれと困った風を装って肩をすくめた。
そして、地上では知ることのなかった事実を女性は語り始めた。
†††
「天空魔法陣は天空魔法師の魔術で成り立っている。
魔法陣は常に魔法師の魔術の力を食べる。つまり生命を削り取っていくのよ。
あなたにもあるこの背の羽の粒子が尽きたとき、魔法師は生命が尽きた証拠となる。
言っている意味わかるか?
つまり私たちは魔法陣のための生贄」
―――イケニエ……―――
ラビラントに突き刺さった言葉がより一層深くなる。
「で、でも。家族が裕福になるのなら、私は―――……」
「我慢できる?
バカだね。本当に何もわかっちゃいない。イナイ存在のために誰が金を払うっていうんだい。それにイナイ存在の名義で金なんてもらっても薄気味悪いだろ」
目の前が真っ暗になった。
「嘘……だって―――」
ラビラントは言葉が紡げない。
女性の言い分の方が正しすぎて言葉が出ない。
では、残してきた家族はずっと貧しいままなのか。そんな酷い仕打ちをするなんて、許せない。
騙された私も馬鹿だが、信じ込ませるための演技をしてきた世界が許せなかった。
魔法学校に行くために、必死にお金を集めてきてくれた家族になんのお返しもできないなんて。
「私はなんて愚かな過ちを」
頭を抱え込んでしゃがみこんだラビラントを見て女性はニッと笑う。
「それでも、あんたは泣かないんだね。いい根性してる。気に入ったよ。あたしはレイウン。あんたは?」
しゃがみこんだラビラントに手を差し出して聞いてきた。
「ラビラント」
嘆いても時は戻らない。そのことを試験を受けて何度も味わってきた。だから、今度は間違わないと信じてラビラントはレイウンの手を取った。
―――もし、裏切られても、選んだのは私―――……
手を取り、立ち上がると遠巻きに見ていた人々が集まってきた。
レイウンが目で皆のもとへ行こうと促す。
皆の中に入って挨拶をした。
レイウンが仕切っているのか、レイウンのお墨付きをもらったラビラントは皆に優しく迎え入れてもらえた。
建物の中と部屋を案内してくれるとレイウンはラビラントの世話を焼きたがった。
ラビラントもレイウンが本当の姉のように思えてきてならなかった。
「毎年、誰か知らないが部屋を綺麗にして新しい住人を待っているんだ。ほら、ここがラビラントの部屋だ」
そう言って開いた部屋は広く綺麗だった。
「もう、仲間なんだから遠慮すんなよ」
レイウンは念押しにそう言ってニッと笑う。
その声にラビラントは励まされる。いつもの強気なラビラントが戻ってくる。
「あ、ねえ、レイウン。天空魔法師だって女性を見たの」
ただ、思い出したから言っただけだったのに一気に周りが静まり返る。
「レイウン?」
ラビラントの問いかけにレイウンは濃い顔をしていた。
―――行ってはいけない言葉を言ってしまったのか
ラビラントは不安にかられる。
「アイツは―――……」
そのあとの言葉は聞き取れないほど小さな呟きだった。
でも、ラビラントにはしっかりと届いていた。
あの女性があそこにいたわけも―――。