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ハイファン 異世界 市井の素浪人

作者: 水渕成分
掲載日:2026/06/18

 マシューは憮然とした表情で夜道を帰途についた。


 すっからかんである。おけらである。持ち金はゼロになった。


(どうするか?)

 マシューはちょっとだけ考えたが、すぐにそれをやめた。

(考えたって金が湧いてくるわけじゃねえよなあ)


 結論は一つ。

(帰って、井戸で水飲んで寝よう。もう酒もねえしなあ)


 かくてマシューは小さな自宅に帰ると布団をかぶって、ふて寝を決め込んだのである。


 ◇◇◇


 何とも言えぬ温かみを感じて目が覚めた。


 目を開けたら、真正面に女の顔があった。


「ぶっ!」

 反射的に布団から飛び出す。


「あら、おはようございます」

 布団の中の女は極めて冷静に挨拶をした。


「まだ日が昇っとらんわ。何の用だ? アリス」


「はい」

 アリスと呼ばれた女は布団から出ると居住まいを直した。

「私としては私用でマシュー様をご訪問したい気持ちでいっぱいなのですが、残念ながら公用でのご訪問です」


「ふん。また、モーリスの奴が呼んでいるってんだろ?」


「正解でございます。さすがはマシュー様。モーリス様からのご依頼でございます」


「何が依頼だよ。いつも強制的なくせに。まあいい。ちょうど博打で、すっからかんになったところだ。話は聞いてやるよ」


「さすがはマシュー様。まずはこちらをご覧ください」


 アリスが取り出した透明な袋。中には植物が入っているが厳重に封をされている。


「ほう」

 マシューも興味を抱いたようだ。

「少しだけ匂いを嗅いでもいいか?」


「さすがはマシュー様。分かっていらっしゃる。少しだけでございます」


 マシューは袋の口を少しだけ開け、匂いを嗅ぐと顔をしかめた。

「やはり『魔草(まそう)』か」


「さすがはマシュー様。そのとおりでございます」


「出所は分かっているのか?」


「明確なところは分かりません。それを調べてほしいとのご依頼です」


「どこまで分かっている?」


「一部の貴族子息の間に出回っているらしいまでは」


「ふう」

 マシューはため息をついた。

「するってえと、政治力を持っている奴が相手か」


「ええ」

 満面の笑みで答えるアリス。

「しかし、高貴さではマシュー様は負けておりませんよね」


「それを言うな。全く」

 不機嫌そうなマシュー。


「久々に高貴なマシュー様が見られるなんて、わくわくが止まりませんわ」


「社交なんざ肩が凝るばかりで大嫌いだが、これも仕事じゃしょうがねえな」


 ◇◇◇


 ざわっ


 その日の夜会はざわめいた。


 あまり社交の場に出ないコンフォール大公の令息が姿を現したのだ。男も女もそのことが気になり、社交どころではない騒ぎになった。


 事情は複雑だ。現国王の実弟であったコンフォール大公。実は臣籍降下する前に謎の死を遂げ、大公の称号も死後に贈られたものだ。従ってコンフォール大公領なるものは存在しない。


 にもかかわらず、ここへきてコンフォール大公の令息マシューが社交の場に登場する。それが何を意味するか。


(国王陛下は甥であるマシューを登用しようと考えている)


 多くの者はそう思った。未だに婚約者のいない令嬢たちには注目の的だ。


 それでもマシューが見るからに知性溢れそうなクールビューティーをエスコートしていたことで、周囲の令嬢が声をかけるのは、はばかられた。


 ところがどうしたことか、会場に入ったマシューはエスコートをしてきたクールビューティーの手を振りほどき、壁に向かうよう指示。観衆の前に向き直ると両腕を掲げ、歓迎のポーズを示した。


 このマシューの行動に、一人の令嬢が意を決したようにマシューに近づいた。


「あ、あのマシュー様でよろしいのでしょうか。もし、よろしければ私と一曲踊っていただけませんか」


「その前に君の名前を教えてもらえると嬉しいな」

 マシューは変身前の髭もじゃ、ボサボサ長髪のむさ男はどこへやら、さわやかな笑顔で令嬢に問うた。


「あ、は、はい」

 令嬢は大慌てでカーテシーを取った。

「私、シアラー伯爵家のバーバラです」


「バーバラ。今宵、君と素敵な夜を」


 現国王の甥という血統がそうさせるのか、ビジネスに徹したが故か、市井のムサ男マシューは華麗なダンスを踊ってみせた。


 必然的にマシューへの注目度は跳ね上がった。


「マシュー様。あの今度は私と踊っていただけませんか?」


「君の名前は?」


「トーヴィー伯爵家の三女プリシラです」


「プリシラ。今宵、君と素敵な夜を」


 ◇◇◇


 かくて入れ代わり立ち代わりいろいろな令嬢と踊っていると令嬢の方も慣れてきて、突っ込んだ質問をする者も現れた。


「マシュー様。今回、夜会におみえになったのは国王陛下からお話があったのですか?」


「いや伯父上からは何も聞いてはいないよ。僕に夜会に出るように言ってきたのは宰相のモーリスさ」


「……」

 ともに踊る令嬢は沈黙する。頭の中で計算しているのだ。国王陛下が直に呼んだのではない。しかし、宰相のモーリス閣下が呼んだということは、すぐの登用ではなくて、その前段と考えているのかもしれない。それでもこれだけ無難に社交をこなす人ならそれなりに将来有望?


 ◇◇◇


 マシューからも問いかける。

「君は趣味は何なの?」


「あ、刺繡とか好きです。後は読書でしょうか」


「ふーん。真面目でおとなしいのかな。もうちょっと冒険的というか。やんちゃなことでやってみたいことはないの?」


「そうですね。お友達では乗馬が好きなんて女の子もいますが、私にはちょっと。マシュー様はそういう活発な娘がお好きですか?」


「いや社交に出るのは初めてなもんでね。いろんなことを聞いてみたいだけさ」


(やはりそうそう「魔草(まそう)」をやっていますなんて話は出てこないな。一応俺もこの中ではいきなり婚活市場に現れた上玉という位置づけだ。向こうもそう簡単に尻尾は出さないし、出せまい。となると……)


 マシューはちらりと壁際のアリスの方を見た。予想通り何人かの下級貴族の子息とおぼしき者に囲まれている。


(やはりそっちが本命だ。頼むぞ。アリス)


 ◇◇◇


 アリスとしては市井のムサ男マシューが「私、実は大公の子息で、このたび社交デビューしました」とばかりに柄にもなく高貴ぶるのを見て笑いを嚙み殺すのに大変だった。


 しかし、それでもこれは愛するマシューとの大切な仕事、共同作業。


「ねえ。君」

 来た来た。柄のあんまりよくなさそうな貴族令息ぽいのが。


「君はコンフォール大公令息の婚約者ではないの? どうして放っておかれているの?」


 アリスはあえてすねたような顔を見せて答えた。

「私はマシュー様の婚約者ではありませんよ。マシュー様は今回が社交デビューなのでエスコートする相手がいないのです。私の母が亡くなられたコンフォール大公の侍女だった関係で呼ばれただけです」


 作り話もいいところだが、貴族令息たちは信じたようだ。コンフォール大公自体が謎の人物であることも大きい。


「君は貴族令嬢なんだよね?」


「はい。ローナン男爵の娘です」


 存在しない架空の家だ。だが、貴族令息たちは気にかけた様子もない。聞いたこともないような小さな下級貴族の家の娘なら弄んで捨てるのに好適だとでも思っているのだろう。


「それでも寂しいよね。エスコートしてきた人に放り出されるなんて。まあせっかく来たんだし、これでも飲んでよ」


「私、お酒は苦手で」


 貴族令息たちの目が光る。酒が苦手とは好都合。酔い潰してしまえと考えているのだ。


「大丈夫。この酒はそんなに強くないし、口当たりがよくて美味しいんだよ」


(来たな)

 アリスは思う。

(本当にエスコートしてきた相手に放り出された寂しい下級貴族の令嬢なら……ここは……)


「ならちょっとだけ」


 にんまりする貴族令息たち。グラスを受け取り、一瞬ためらうポーズを見せてから口をつける。


(!)

 アリスはすぐ気が付いた。

(クスリを混ぜているのは予想とおりだけど、これは一番安いクチだわ)

 

「ゲーホゲホゴホゴホ」

 アリスはむせてみせる。安いクスリは体質が合わないとむせる。飲み込んでもアリスには影響のないレベルだが、吸収せずに済むなら吐き出しておきたい。体全体鍛えてはあるが、肝臓を労われる時は労わりたい。


(ちい。この女、クスリを吐き出しやがった)

 自分たちが安いクスリを仕込んだことは棚に上げ、舌打ちする貴族令息たち。だがその後に見えた光景は彼らを内心小躍りさせた。


「何だかフラフラしますわ。上手く歩けない」


 フラフラと歩く(様子を見せる)アリス。


(やった。この女。クスリは体質的に合わなかったみたいだが、酒にも弱かった)

(これはいけそうだぞ。酔わせてやっちまって後は知らぬ存ぜぬだ)


「ああああ、何だか危なっかしいよ。支えてあげるね」

「これはどこかで休んだほうがいいね。コンフォール大公令息も君のことなんか忘れているみたいだし」

「僕の家がここから近い。馬車で行って休もう」


 かくて貴族令息たちは酔っぱらった(演技をしている)アリスを連れ出すことに成功した。


 ◇◇◇


「ふいー」


 ゴレッジ子爵邸。酔っぱらった(演技をしている)アリスを仲間の貴族令息二人と部屋に連れ込んだ令息ブラッド。アリスに襲い掛からんとしたが頸動脈を強打され気絶した。ウーリー子爵令息ポール。エルキン男爵令息ロブも何が起こったのか理解できないうちに気絶させられた。


(クスリ使うってのなら、せめてこれくらいのを使いなさいね)

 アリスは懐から粉薬を取り出すと三人の貴族令息に嗅がせた。これで当面は昏睡状態だろうが、念には念を入れ、寝具をナイフで切り裂いてロープを作り、三人を縛り上げた上、やはり寝具から作った猿ぐつわをかませた。


(ご丁寧にもゴレッジ子爵令息が『こっちから声をかけるまで絶対部屋に入ってくるな』と強い口調で侍女たちに言ってくれたから大丈夫だろうけど、長居は避けたいところね)


 アリスは手早く家探しを始める。しかし出てくるのは安酒に愚にもつかないことが書かれた手紙などなど。今回の本命、クスリも出てきたが、アリスが飲まされそうになった安いものばかりだ。


(今回は空振りだったか)

 アリスがそう思いかけた時、花びんに気が付いた。


 この部屋の主は、花とか愛でるタイプの人間ではない。絵画等の芸術品は全く部屋にないし、入っている花も傷んだまま放置されている。恐らく侍女の手入れも禁じているのだろう。


 アリスは花びんから傷んだ花を除けると、中に溜まっていた水を静かに外に出した。底を観察する。


 ビンゴ! 二重底だ。丁寧に花びんの上下をねじると底が外れる。そこから出てきたのは……


(『魔草(まそう)』だ。しかも半分は粉末にしてある)

 アリスはすばやく呼吸を止める。「魔草(まそう)」の威力は他のクスリの比ではない。不慣れな人間は匂いを嗅いだだけでトリップする。すりつぶして粉末化するとその威力はさらに増す。


 そんな危険な「魔草(まそう)」をビニール袋に入れる。だが、本当の収穫は「魔草(まそう)」そのものではない。一緒に入っていたメモ書きだ。


(レッドブリックストリート12-2。3F。Tues Thurs half past 1)


「……」


 ◇◇◇


 レッドブリックストリートのとあるビルの3階。火曜日。時刻は深夜1時半。


 やや緊張を伴いドアはノックされる。


「合い言葉を」


「分からない。但しここの紹介者はゴレッジ子爵令息ブラッド」


 これは賭けだ。相手が受け入れてくれれば、危険はあるとはいえ、調査の幅は広がる。こっちを殺しにかかれば、それはそれで分かることもある。


 問題は相手がこちらに対応せずに逃走を図った場合。その時は待ち時間を決めて踏み込むまでだ。


「入れ。カギは開けた」


 ノックした者。アリスはゆっくりとドアを開ける。


 ◇◇◇


 アリスがドアを後ろ手で閉めたと同時に魔弾の狙撃。しかも二方向から。


 しかし、アリスにとってみればどうってことはない。短刀(ショートソード)で難なく撥ね返す。


 相手は更に魔弾の狙撃を続けるが、全て撥ね返すアリス。


 相手方は業を煮やしたか二人同時に飛び掛かってきた。これもまたアリスは短刀(ショートソード)でその頸動脈を次々に切り裂く。


暗殺者(アサシン)か」

 後方から体格のいい男が姿を現す。アリスは無言のままだ。


「しかも相当の力量と見た。誰に雇われた? いやそれは言わなくていい。いくらで雇われた? その倍額を言い値で出そう。我が配下となれ」


 ここでアリスは初めて口を開く。

「金の問題じゃない。今の雇い主が好きなんだよ。私は」


「そうか残念だが」

 体格のいい男は長刀(ロングソード)を抜く。

「使用人にならないという奴は殺すしかない。死ね」


 男は真っ向からアリスに斬りつける。その動きは体の大きさに似合わず俊敏だ。アリスは辛うじて初太刀をかわすが、男は早くも第二撃を振り下ろす。


 ガキッ


 男の長刀(ロングソード)を受け止めたのはアリスではない。後方に控えていたマシューだった。


「ありがとうございます。愛していますわ」


「そんなことを言ってないで援護しろ。こいつは相当の凄腕だぞ」

 マシューの言葉にアリスは後方に下がり男の隙を窺う。しかし、そうそう隙は見つからなかった。


 二合三合。マシューと男は打ち合う。

「貴様」

 マシューは気が付いた。

「騎士だな。太刀筋で分かる。何故騎士がこんなところにいる?」


「その質問には答える必要もつもりもない。貴様こそ何者だ。何故暗殺者(アサシン)と一緒にこんなところにやってくる?」


「俺はただの市井の素浪人だ。金で頼まれて仕事しているだけだ」


「なら貴様も雇おう。今の雇い主の倍額を言い値で出そう」


「悪いな。俺は俺で今の雇い主に渡世の義理ってもんがあるんだよ」


「ならば死ね」


 男が振り下ろした長刀(ロングソード)をマシューは力の限り受け止める。


 ピシッ


 ひびが入ったのは男の長刀(ロングソード)の方だった。


「なっ」

 信じられないという表情で驚く男。マシューはそんな男にはかまうことなくひびが入った場所に二度三度と打撃を加える。


「貴様。ただの市井の素浪人が騎士の(ソード)にひびを入らせる(ソード)を持っているわけがないだろう。何者だ? 貴様」


「うるさいな。俺はただの市井の素浪人だって言っているだろうが。ほれほれそれよりほれ」


 男の長刀(ロングソード)は粉々に砕け散った。


 マシューは長刀(ロングソード)を構えて言う。

「勝負あったな。騎士である貴様は体術も相当優れていそうだが、長刀(ロングソード)を持った俺にはかなうまいよ。降参していろいろ教えてくれねえか」


 男はそれには答えず、何やら呪文を唱える。次の瞬間、先にアリスに倒された二人の男の死体が爆発。部屋にあった本棚が自然発火し、建物全体がグラグラと揺れ始めた。


「貴様。何をした?」

 さすがに慌てるマシュー。しかし、男は答えずに反対側の抜け穴から脱出を図った。


「待ちやがれ」


 男の後を追わんとしたマシューだが男はダストシュートのような抜け穴を通って脱出。しかも男が通った後は抜け穴が崩れ落ちて使えなくなるという念の入りようだ。


「くっそうー」


 悔しがるマシューを諭すアリス。

「マシュー様。お気持ちは分かりますがここは逃げましょう。命あっての物種です」


「うっ、うーむ」


 かくてマシューとアリスは崩壊する建物から間一髪脱出した。


 ◇◇◇


「あの後、崩れた建物のところに行ってみたが結局証拠らしきものはみんな燃やされちまった。また一から出直しか」


「まあまあマシュー様。ここは私の作ったライスボールとグリーンティーでもおめしになって落ち着いてくださいな」


「つーかアリス。何でずっと俺の家にいるの? いったん里に帰れば?」


「ふふふ。私がここにいるのはここにいたいというのが一番ですが、他にも理由があるのです」


「何だ? それは?」


「すぐに分かります。ほおら来ました」


 家の周囲がにわかにざわめいてきたと思ったら、外から声がかかった。

「騎士団の者だっ! ここに容疑者が潜伏しているとの情報が入った。中にいる者は全員外に出てこい」


「どういうことだ?」

 マシューは訳が分からんという顔でアリスを見る。


「おそらく私に縛り上げられた貴族令息たちが騎士団に訴え出たんでしょう」


「おい、そいつら正気か?」

 心底驚くマシュー。

「そんなことしたら自分たちがクスリや『魔草(まそう)』を隠し持っていたことが明るみに出かねないじゃないか」


「騎士団にも一味がいるんじゃないですかね」


「あ」


「そうそう。昨晩、マシュー様が相手方の人間を騎士と見破っちゃったじゃないですか。それで相手方も相当危機感持って、政治力でこっちを潰そうと思っているんじゃないかと」


「そんなこと言ったって奴が騎士だってことは太刀筋から見え見えだし、最後にはあいつは自分で『騎士の(ソード)』って言っていたぞ」


「ふふふ。予想外にマシュー様がお強かったので口が滑っちゃったんじゃないんですかね。相手も。それで焦ってこういう行動に出たと」


「はああ、そういうわけかい」


 ◇◇◇


「ええいっ! ここまで待っても出てこないということは、騎士団に対する反逆行為と見なすっ! 踏み込むぞっ!」


 号令一下、マシューのあばら家に乗り込んだ騎士団の面々は、唖然とした。


 何事もなかったようにライスボールを頬張り、ゆっくりとグリーンティーを飲むマシューとアリス。


「あらあなたがた。あなたがたも召し上がりませんこと? このライスボール。いい素材で作ってありますのよ。大丈夫。毒など入っていませんことよ」


 あまりのことにしばしの間、絶句した騎士団の面々であったが、さすがに気を取り直した。

「そこの女。ローナン男爵などとありもしない貴族の家の令嬢を語り、夜会に潜入した上、紛れもなく本物の貴族令息三人を縛り上げて、遁走したとの訴えが出ておる」


「ああそれなら事実ですわ。しかしよくもまあ恥ずかしげもなく訴え出ましたね」


 アリスの言葉にまたも凍る騎士団の面々だったが、今度の立ち直りは早かった。

「詮議する故、連行する。従わぬことは許さん」


「はいはい。そう急かさなくても行きますとも。最後にグリーンティーの一杯くらい飲ませてくださいな」


 アリスはゆっくりとグリーンティーを飲み、ふうっと息を吐く。


「それでどうするつもりだ? これから」

 マシューは呆れたような顔でアリスに問う。


「あら言わなくてもお分かりでしょう? あなたは聡明な方ですから」


「分からんよ。さっぱり」


「ふふふ。それはご自身を見くびっておられますね。さあて行きますか」


 アリスは笑顔で立ち上がると、騎士団の方に向かった。


「うっ、うむ。いや待て。何かされると困る。手枷をつけるぞ」


「どうぞー」

 アリスは自分から両手を揃えて差し出す。騎士の一人は戸惑いながらアリスに手枷を付ける。


「逃げださぬように腰縄も付けるぞ」


「どうぞー」


 かくて手枷腰縄を付けられたアリスは連行されていった。


(さて……)

 マシューは考え込む。

(間違いなく言えることはアリスについては何の心配もいらないということだ。あいつなら絶海の孤島の牢獄に繋がれても脱出できるだろうしな) 


(考えなければならないことはアリスが何を考えて自ら囚われたかということだ。これについては、うーん、さっぱり分からん)


 ◇◇◇


「コンフォール大公令息」


 不意に声をかけられ、振り向くマシュー。


「あなたにもご同行願いたい。貴族令嬢を詐称した女を自宅にかくまった容疑で」


「ふむ」

 マシューは頷く。

「分かった。同行しよう。ほれ」


「何です。それは?」


「俺には手枷と腰縄を付けないのか?」


「あなたは陛下の甥御ということになっているので、そこまではしない。但し、暴れて抵抗するなら話は別だ」


「そんな面倒くさいことはしねえよ」


 ◇◇◇


 マシューが連れていかれたのは、見るからに取り調べ室といった殺風景な部屋だった。


「さて……」

 マシューの尋問担当は見るからに強面の騎士だった。更に後ろには二人の騎士がつけている。そして当然にマシューは丸腰だ。


「コンフォール大公令息。我々はあなたが本当に亡くなられたコンフォール大公の遺児であるか、極めて疑わしいと考えている」


「俺もそう思うぞ」


 マシューの返答に毒気を抜かれる尋問担当の騎士。


「孤児だっていうんで、田舎で他の孤児や庶民の子どもと遊んで育っていたら、いきなり王宮から使者が来やがった。『ここにコンフォール大公の子息がいる』と言ってな。てっきり村長が『ここにはそんなものはいない』と言って、追っ払ってくれるもんだと思っていたら、よりによって俺がその子息だときたもんだ」


「……」


「そんでもって王族の一員だから礼儀作法を身に着けてもらわなければいけないって、俺はそんな面倒くさいことはまっぴらなんだよ」


 バンッ


 尋問担当の騎士は威嚇するように机を叩いた。

「じゃあ何か? 貴様は自分が王族ではないという自覚があるんだな? となると貴様も王族を詐称したということになるな」


「知るかっ! だが宰相のモーリスのじじいが言うには、俺がコンフォール大公のせがれだという確固たる証拠があるらしいぞ。俺はてめえで『陛下の甥御様でござい』と言ったことは一度もねえ。むしろ放っておいてもらいてえんだ」


「……」

 尋問担当の騎士は沈黙する。さすがに宰相を出されたら面倒と思ったのかもしれない。


「まあ、あなた自身の王族かどうかという疑惑については置こう。だがあなたが貴族ではない女を貴族令嬢と言って、エスコートして夜会に連れてきたことは事実だろう?」


「知るかっ!」

 マシューは尋問担当の騎士を一喝する。

「俺はあの女が貴族令嬢だなんて一言も言ってねえ。元は言えば、ろくに社交なんざ行ったことがない俺をいきなり夜会に呼ぶモーリスのじじいが悪い。エスコートする女なんか一人もいねえからな。知っている庶民の女を化けさせて連れていくしかねえだろ」


「ではその女が三人の貴族令息を縛り上げたのは、あなたの指示か?」


「知るかっ! あの女と俺の知らない貴族令息がどんな変わった性癖を持ってようが俺の知ったことじゃねえ」


「貴族令息の部屋からその女が何か持ち出した。それについて聞きたい」


「知るかっ! あの女の手癖まで俺は知らん。それに『何か持ち出した』って、何がなくなったんだ? 俺は知らねえぞ」


(ぐっ)

 尋問担当の騎士は口ごもる。なくなったのは「魔草(まそう)」だ。だがそれを口にしては貴族令息たちが「魔草(まそう)」を持っていて盗られたことを知りながら、騎士団は放置したことになる。


 だがマシューがとぼけていることは間違いない。そうでなければあの「魔草(まそう)」を盗られた直後にマシューとあの女が「魔草(まそう)」取引のための部屋に現れるはずがない。

 

 これ以上の追及は騎士団側が墓穴を掘りかねない。背後に宰相モーリスがいるとは厄介な相手だ。ならば……


「なあ」

 

 尋問の終了とともにマシューの方から騎士に声をかけた。


「あの女も俺とは縁もゆかりもないとはいえ、こっちから頼んでエスコートに付き合ってもらった身だ。貴族令嬢を詐称したってえのなら確かに犯罪だから処罰されるのは仕方ねえが、せめて一度でいいから面会させてもらえねえか?」


 尋問した騎士は、他の二人の騎士と顔を見合わせて相談していたが、やがてにやりと笑った。

「本来なら認められないところだが、特別に面会を許そう。おい、牢番を呼んで来い」

 

 しばし後、背が低く猫背の貧相な老人が姿を現した。手には鍵がいくつもついた丸いリングを持っている。この男が牢番なのだろう。


「ご案内申し上げます」

 牢番は蚊の鳴くような小さな声で言った。酷く怯えているようだ。だがマシューはそれを気にする様子も見せず、牢番の後をついていった。


 ◇◇◇


 アリスが入れられていたのは地下牢だった。牢は天井、壁、床とも堅固な石造りで、わずかに外側に向けた壁面に明りとりのための鉄格子の入った窓が一つあるのみ。


 アリスは床面にゴザらしきものを敷き、背中を向けて震え、すすり泣いているようだった。


「お近くによってみますか?」

 牢番は蚊の鳴くような小さな、そして、震える声でマシューに問うた。


「いいのか?」

 マシューは驚いたような表情を見せる。それに更に怯える牢番。しかし、それでも声を絞り出す。

「と、特別です」


 牢番は鍵を使って開錠し、扉を開けるとマシューに中に入るように促した。

「ど、どうぞ。近くに寄ってあげてください」


 その言葉にマシューはアリスに近づかんと牢の中ほどに歩み寄る。


 その直後だった。牢の扉を閉める音がし、更に施錠する音がしたのは。


 どやどやと三人の騎士が駆けてくる音がした。先頭にいるのは先ほどマシューを尋問した騎士だ。


「何? コンフォール大公令息がおまえを脅して、牢の扉を無理やり開けさせたので、中に入り込んだ隙を突いて、再度扉を閉めて、鍵をかけた? よくやった」

 尋問した騎士は怯える牢番の肩を叩き、一気に言った。もはや牢番の顔は真っ青だ。


「コンフォール大公令息」

 尋問した騎士は得意満面の表情で牢の前に立つ。

「いかに王族といえど、未決囚を脱獄させんとした罪は重い。こちらで詮議し直す故、女と一緒に仲良く処分を待て」


「……」


「まあ王族籍のはく奪は最低限。それにどれだけ上乗せできるかだな。はっはっは、こりゃあ楽しみだ」

 尋問した騎士は真っ青な表情のままの牢番の背を押しながら、地下牢から離れ、階段を上っていった。


 ◇◇◇


「ぐすんぐすん」

 アリスはなおもすすり泣いていた。


「おいっ!」

 マシューはそんなアリスに情け容赦なく声をかける。

「もう泣きまねはいい。次にやることは何だ?」


「いや拷問を受けた私をもうちょっと労わっていただいても罰は当たらないと思いますわ。マシュー様」


「おまえがあんな連中の拷問で音を上げるタマか。で、次にやることは何だ?」


「さすがは我が愛しのマシュー様。次の謀略が何かお分かりなんですね」


「いや分からん。だがアリスのことだから何か策があると思っただけだ」


「さすがは我が愛しのマシュー様。そういう大らかなところも素敵ですわ」


「大雑把と言え。で、何をすればいい?」


「それでは……」


 ◇◇◇


(さてコンフォール大公令息はあの女ともども牢に閉じ込めた。このまま脱獄の手引きをした罪で告発だ。王族籍をはく奪し、追放した上、刺客を送って始末だな。そして、あの男を登用しようとした宰相のモーリスを糾弾だ。目の上のたんこぶのモーリスを辞任に追い込んで、その先は……)


 とんとん


 今後のことを懸命に考える尋問をした騎士デリック。その左肩が叩かれた。


「何だ? 失礼な」

 振り向いたデリックの左のほおに肩を叩いた男の右中指がさした。


「貴様っ! 無礼にもほどがあろう」

 立ち上がったデリックの前にいたのは……

「貴様っ! 牢に閉じ込めたはずだぞ」


「牢に閉じ込められた? 俺が? 何の話だ? それは」

 しれっとした顔でデリックの前に立っていたのはもちろんマシューだ。


「おい、牢番。こいつが外に出ているってどういうことだ? あ」


 怯えていた牢番は二人の騎士にがっちりガードされている。


「おまえみたいな騎士は少数派。殆どはまともなんだよ。そこの二人。宰相モーリスの任を受けたコンフォール大公が一子マシューが命ずる。その牢番の命を何としても守れ」


「「はっ」」


「さて牢番の証言は得た。おまえデリックはそこの牢番を脅し、この俺を牢に閉じ込めるよう命じたそうだな。俺に文句があるなら剣でこい。関係ない人間を巻き込むな。あ、おまえの剣はレッドブリックストリートのビルで砕けちゃったんだっけ?」


「貴様あ」


「魔法で顔変えたくらいでばれないと思っていたのか? おめでたい奴だな。もう神妙にお縄につけ。聞きたいことは山ほどあるわ」


「くっ」


 形勢不利と見たデリックは逃走を図る。だが、そんなデリックの右耳を一本のナイフがかすめ、後方の壁に突き刺さる。


 デリックは足を止めると共に驚愕した。

「きっ、貴様っ! 何でここにいる? 貴様は貴族令息たちを縛り上げた罪で入牢していたはずだっ!」


「うん。そうなんだけど、仕事ができちゃったんで出てきちゃった。大丈夫。仕事が終わったら、また牢に入るから」


「貴様ぁ!」

 しれっと答えるアリスの様子に、デリックの顔は怒りで真っ赤だ。

「牢番っ! マシューだけに飽き足らず、この女まで牢から出したのかっ? マシューはともかく、この女は未決囚だぞっ!」


「とんでもございません」

 二人の騎士にガードされながらも、なおも怯える牢番は答える。

「そもそも牢の鍵を開けたのも私ではなくその女性で、マシュー様を出した後、『自分は未決囚だから』と外に出ず、ご自分で再度鍵をかけて、牢内におられました。その後のことは私には分かりかねます」


「それは牢番、貴様がその女に鍵を渡したのだろうが」


「ああ、もう鬱陶しいね」

 アリスは二本目のナイフを投じ、今度はデリックの左耳をかすめ、壁に突き刺さる。

「何でも牢番さんのせいにするんじゃないよ。鍵は全部私が開け閉めしたの。これで」


 一本の曲がった釘をデリックに見せるアリス。


「……」

 デリックはもう言葉も出なかった。


「まあアリス(こいつ)からすると、あの程度の施錠はかかっていないと同じということだ。分かったらとっととお縄につけ」


 しばらくの間、下を見ていたデリックはやがて顔を上げた。

「かくなる上はもはやこれまで」


 デリックは周りを見回す。

「分かっているんだろうな。今回のことで噛んでいる奴はいずれどこかでばれる。とぼけきれる状況にはねえ。これを切り抜けるにはこいつらを殺して、口を塞ぐしかねえ」


 がたがたがた


 デリックの後方で十人ほどの騎士が立ち上がる。


「うひょう」

 歓声をあげるマシュー。

「こいつあ騎士団の腐った部分の大掃除ってことになったな。モーリスには謝礼を弾んでもらわねえと」


「そのモーリス様から伝言です」

 盛り上がるマシューに静かに言うアリス。

「殺さないようにと。生かして捕縛しろとのことです」


「あーもうメンドくせえ」

 マシューは一度抜いた剣を再度鞘に入れる。

「これでぶっ叩けばいいんだろう。だったら死にやしねえだろう」


「貴様ぁ!」

 デリックがマシューに激怒したのはもう何回目かも分からない。

「舐めるのもいい加減にしろっ!」


「うるさいな。今すぐ相手してやるからそう怒るな。おいみんな、モーリスの親父が殺すなと言ったそうだから、倒さないでいい。自分の身とその牢番を守れ。ぶっ倒すのは俺がやる」


「もう許さねえ。殺すっ!」

 ついに堪忍袋の緒が切れたかデリックがマシューに斬りかかる。デリックの仲間の騎士二人も続く。


 マシューは剣の鞘でデリックの斬撃を振り払うとデリックの左側の騎士のみぞおちを正確に突く。突かれた騎士は悲鳴を上げてうずくまる。


 更にデリックはマシューを狙うが、マシューはこれも撥ね返す。


「みなさーん。手を出すなというマシュー様のお達しでーす。ご自分の身と牢番さんを守ることに専念してください。相手をぶちのめすのはマシュー様と私がやりまーす」

 アリスはそう言うが早いか、吹き矢で次々相手方の騎士を狙う。アリスの放つ吹き矢には痺れ薬が塗ってあるのだ。


 アリスの吹き矢で刺された相手方の騎士は立っておられなくなり、崩れ落ちた。味方の騎士は倒れた相手方の騎士を縛り上げていく。


 他にもマシューのみぞおちや頸動脈への打撃で相手方の騎士は倒された。残るはデリックのみである。


「デリック。後はお前一人だ。おとなしくお縄につかんか?」


「やかましい。貴様だけは、貴様だけは殺す」


 デリックは渾身の力を持って剣を振り上げるが、マシューは鞘をもって、剣を撥ね飛ばす。返す刀でデリックの脳天を直撃し、ついに気絶せしめた。


「ふいー」

 マシューは大きく息を吐く。

「終わった終わったー。こっちの仕事はこれで終わりだ。後はモーリスの親父の仕事だ。報酬もらって飲みに行くぞー」


 ◇◇◇


「何? デリックが死んだ? 何で?」


 またもやアリスに寝起きを襲われそうになったマシュー。間一髪で逃れ、「何しに来た? アリス」と問うたところ、アリスの答えは「デリックが死んだと報告にきました」だった。


 そして冒頭の問いになる。更なるアリスの答えは「毒殺だそうです。侍女が出したお茶を飲んだ後、吐血して昏倒。そのまま死んだそうです。


「ふん」

 寝起きのパンツ一丁のまま柄にもなく真面目な顔をするマシュー。

「その侍女。暗殺者(アサシン)の変装だったってわけか。殺った奴に心当たりはあるか? アリス」


「ありませんわね」

 しれっとした顔で答えるアリス。

「飲んですぐ吐血するなんて犯行がバレバレな毒なぞ、私の里じゃあ絶対使いません。もっと遅効性で証拠が残らない毒を使います」


(それはそれで怖いなあ)

 マシューはそう思ったが、もちろん口には出さない。

「口封じってことだよな」


「そうですわね」

 アリスは頷く。

「あの時、こちらに立ち向かった騎士たちの家宅捜索をしたところ、結構な量の魔草(まそう)がみつかったそうです。ただ、その全員がデリックから買ったと証言したんですよね」


「そりゃあ相手方はデリックを殺しにくるわな」


「騎士団もお阿呆ですわね。マシュー様や私にガードさせればそんなことさせないのに」


「騎士団にもプライドってもんがあるからな」

 さすがに肌寒く感じたかマシューは一枚上着を羽織る。

「ただでさえ自分のところで魔草(まそう)が蔓延していて面子丸つぶれなんだ。後始末くらいは自分たちでしたいんだろうさ」


「私にはつまんないプライドとしか思えませんが」


「俺はかまわねえぞ。報酬もらったし。これ以上は夜会への潜入なんかまっぴらだからな。後はモーリスの親父と騎士団で何とかしろってんだ。それはともかく腹が減ったな。なんか食いにいくぞ」


「お供します」


 しかし、事件の方がマシューを放っておいてくれるはずがなかったのである。

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― 新着の感想 ―
カテゴリー名が題名とは斬新ですね。
これはマシュー大忙しですな! やがて国家を揺るがす大事件へと!
これは、まだまだ続きがっ? マシューとアリスのコンビ、なかなかいいですね〜。
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