9.エルフの国
昼食をとってひと息ついたあと、すぐにエルフの船は出港することになった。
エルフの船にエルフ以外の種族が乗るには、紹介状が必要だ。今回はラヴァンの同行者ということで、俺は冒険者登録証を見せただけで乗船を許された。
出港の笛の音が鳴ると、エルフの船は水の上を滑るように進んだ。風と水の魔法で操っているらしい。帆を張っているのは、美しさを演出するためだと言っていた。
湾の東側には切り立った崖があり、その上に深い森が広がっていた。その先にエルフの国があるそうだ。森の木々の間から、ときおり鹿のような動物が顔のぞかせていた。
西側には切り立った岩肌がむき出しの岩壁が聳えていた。その地下にドワーフの国は広がっている。湾を出ると、西岸に鉱山港が見えた。そびえ立つ岩壁に開いた巨大な穴から、ドワーフたちが鉱石を運び出している。
船は陽が沈むと途中の小さな港に停泊して夜をやりすごした。
港と言っても桟橋が一本あるだけの、ひっそりとした無人の港だ。
夜の海は静かで、人々のささやき声と、木が軋む音だけが闇へ溶けていく。
その夜は、エルネアが皆に歌を聞かせてくれた。
船員たちは甲板の思い思いの場所に腰を下ろし、手にした酒を傾けながら聞いていた。
西の海へ旅立ったレンリアスというエルフが歌った歌だそうだ。
潮騒が胸を焦がす
白い翼が私を呼ぶ
打ち寄せる波は 古い記憶を洗い流し
風は休むことなく 水平線を示している
私を誘う 誘惑の声
広い世界が 私を待っている
煌めく波が 私を呼んでいる
日輪は黄金の軌跡を描き、西へ
何が待っていても 私は恐れない
西の淵へと滑り落ちようとも
古いランタンのすすけた橙色の光だけが桟橋を照らし、海面に反射して散らばった。
静かな港には、エルフの歌声だけが透き通った糸のように、海へと伸びていく。
俺はその美しさに、ただ心を奪われた。
二日目の昼、船はついにエルフの国の湖水地方に入った。
海から汽水湖へと入り込み、波は穏やかになって、水の色は深い青から明るい青へ、そして青緑色へとゆっくり変わっていく。
汽水湖の周囲には淡水湖がいくつも点在していて、進むたびに森の切れ間の向こうに別の湖が姿を見せた。水面と森が幾重にも折り重なり、奥へ奥へと続く層のように見えるその景色は、絵画のように美しかった。
やがて船は、汽水湖のほとりに築かれた玄関口港に着いた。
湖面に張り出した大きな桟橋は三本あり、どれも美しい船が整然と停泊している。
その周囲には細い桟橋がいくつも伸び、小舟が幾艘もつながれていた。
湖を渡り、他の集落へ向かうための交通手段だそうだ。
船から降りたエルフたちは、それぞれの目的地へ向かうため、小舟へと乗り換えていた。
港に並ぶ倉庫や作業棟は、湖水地方の森と湖に溶け込むように造られており、実務的でありながらも優雅で、美しい佇まいを見せていた。
船が桟橋に着くと、検疫官らしい一人のエルフが船に乗り込んできた。
「積み荷を確認します」
そう告げると、運び出されていく荷を確認していく。その間にも、旅のエルフたちが数人、桟橋へ降りていった。
俺たちも、エルネアに礼を言って船を降りた。
港にしては驚くほど静かで、思わず周囲を見回しながら歩いていくと、少し離れた別の船のそばで、数人のエルフが荷を積み込んでいるのが見えた。
彼らは声を張り上げる必要がないほど、調和の取れた動きで、まるで水の流れのように手際よく荷を積み込んでいた。きっと、声を張り上げる必要がないのだろう。
「エルフってみんな生きとんのかなと思う時ないか?」
「……無いよ。何言ってんだ、ケト」
俺は、肩に乗って囁くケトを、引きずり降ろそうとして失敗した。
「せやかて、みんな静か過ぎへんか?」
「そういうもんなんだろ、エルフなんだから」
「ワイ、こういうの苦手やねん」
ケトはそう言うが、俺は今更ながらに、星の光で形作られたようなエルフたちを見て、永遠への畏怖に圧倒されていた。
「でも本当に……エルフの国に来たんだな、俺。こんなにエルフを見るのは、初めてだ」
「俺も、一応エルフなんだがな」
ラヴァンが横から口を挟む。
「いや……だって、ラヴァンはあんまりエルフっぽくないから」
「俺はエルフっぽくないか?」
「あ、気に障ったんなら、ごめん」
「俺にとっては褒め言葉だ」
ラヴァンは珍しく子供みたいな顔で笑った。
そういえば、フェンリルに会ったのが人生で二度目だと言っていたラヴァンは、いったい何歳なのだろう。ラヴァンでさえフェンリルに二度しか会えていないと言うのなら、俺が次にフェンリルに会えるのはいつになるだろう。俺の人生でそんな機会は、巡ってくるだろうか。まあそんなことは、フェンリルを従魔にできる実力を、つけてから考えればいいか。
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