11.エルフの家
エルフたちは森の木々の上で暮らしている。広場や家々、休息の場など必要なもののほとんどが、樹々の上に作られ、梯子や階段で繋がっている。
中央の巨木にエルフの長老衆が集う館があり、中に入ると六人のエルフが静かに座っていた。
「長老衆」
ラヴァンが片膝をついて頭を下げた。俺も慌ててラヴァンと同じように片膝をつく。白銀の髪を背中で編んだエルフがこちらに視線を向けた。長老衆と聞いていたので老人を想像していたが、目の前いるのは皆、若々しい壮年の姿をしていた。それでも、漂う落ち着きと威厳はたしかに長老と呼ぶにふさわしかった。
「ラヴァンが参りました。お変わりなくお過ごしのようで、何よりに存じます」
「久しいな。元気そうで何よりだ。だが、あまり外の風にばかり当たっておると、森の声を忘れてしまうぞ。これからは、もう少し帰ってくる日を増やすことだ」
窓から差し込む光が、長老の白銀の髪を淡く照らした。
「心得ました。お言葉ありがたく胸にとどめておきましょう。ところで一つお願いがございます。ここにいる人間が精霊王の求めに従い参りました。どうかシルフに精霊の泉への案内を頼めるようお口添えいただければ幸いです」
「ちょ、長老殿。異邦の身ながら、この森に立つことをお許しいただき、恐れ入ります。どうかシルフ殿のご案内を……た、賜れますよう、心よりお願い申し上げます」
俺はあらかじめラヴァンから教えてもらっていた口上を、背中に冷や汗を流しながら言い終えた。俺の言葉を聞き終えると白銀の髪の長老は指先で空気をそっと払った。空気がわずかに震え、風が細い糸のように編まれて飛んでいった。
「シルフたちには伝えておいた。だが、精霊の泉へ向かうのは明日にしなさい。今日は久しぶりの帰郷なのだから、ゆっくり過ごすといい」
その声は穏やかだが、逆らう余地を与えない重みがあった。
ラヴァンは部屋を出ると肩をすくめて言った。
「エルフの時間感覚にはついていけん。急いでいるときにこれをやられると、本気で腹が立つ」
「いや、ラヴァンもエルフだろ?」
「ああはなりたくないものだな」
「そうか? あの穏やかな感じ、俺は嫌いじゃないぜ」
そう言う俺を見てラヴァンが笑った。
「あれは穏やかなどというものではない。記憶が積み重なり過ぎて、今を生きる力を失っているだけだ。まあ俺はそう言ってくれるお前も嫌いじゃないがな。とにかく今日は俺の妹の家に泊めてもうとしよう」
いくつかの木々を渡り歩いてラヴァンの妹、エミルの家にたどり着いた。家の扉をノックすると、すぐに二人の男女のエルフが姿を現した。
「まあ、ラヴァン、ちょうど良いところに帰って来たわ、エミルが大変なのよ」
女性のエルフが慌てた様子で言う。ラヴァンは落ち着いた声で問い返した。
「父上、母上、何があったのですか?」
そのやり取りに俺は思わず目を瞬いた。ラヴァンの両親がラヴァンと変わらない年に見えたからだ。
「エミルがね『もう私は森で死ぬ』と書き置きを残して居なくなってしまったの」
ラヴァンの母親が縋るような声で続ける。
「なぜそのような事に?」
ラヴァンが眉を寄せると、父親が重い口調で答えた。
「外から帰ってきたと思ったら、急にこんなことに。理由は言わなかったが、おそらく人間に心を許したのだろう。あれほど人間に恋などしたところで、すぐに死ぬと言い聞かせていたのに」
「事情は分かりました。俺が行って話を聞いて来ます。レオン、中で待っていてくれ」
「わ、分かった」
俺が返事をすると、ラヴァンと両親は慌ただしく出かけていった。
ラヴァンが森へ行っている間、俺は妹の家で待たせてもらうことになった。エルフの家は人間とほぼ同じ造りだが、家具は木肌や木の根で自然に形作られた物ばかりで、どこか森の延長のようだった。
ケトは家の中をうろつき、勝手に戸棚を開けてミルクを見つけ出した。
「おい、勝手に飲むなって」
慌てて止める俺に、ケトは不満そうな言葉を漏らす。
「何のミルクか匂い嗅いでただけやないか」
そんなことをしているうちに、ラヴァンと両親、そしてラヴァンの妹らしきエルフが引き摺られるように帰ってきた。エミルという名だったか。肩にかかる柔らかい髪が儚げに揺れていた。
「待たせたな、レオン」
「いや、俺はいいけど……」
エミルの不貞腐れた横顔を見ながら言うと、彼女はちらりと俺を見て、すぐにプイと視線を逸らした。そして椅子に腰を下ろすなり、ふてくされた顔のまま華奢な膝を抱えた。
「死なないって言ってたくせに、あいつ死んじゃった」
エミルがぽつりと言った。母親がため息をつき、肩を落とした。
「だから言ったでしょう。人間に恋をしてはダメと」
父親も同意するように頷いた。
「残念だが、エルフは人間とは深くかかわらないほうがいいのだ」
「そんな話は何度も聞いたわよ!」
エミルは机を叩いた。俺は驚いて椅子からずり落ちそうになったが、いたたまれない気分で座り直した。ラヴァンが優しい声でエミルに話しかけた。
「エミル。お前のことが大切だから、父上と母上は言うのだ。何度も聞いたなら分かっているだろう?」
「お兄ちゃんまでそんなこと言うの? 人間の世界に飛び出して行ったきり帰ってこなかったくせに。好きな人が死んで一年泣き暮らしていたのは誰よ?」
その言葉で両親は息を呑み、ケトでさえ尻尾を丸めて固まっていた。
「俺は人を好きになるなとは言ってない。俺たちエルフは病気や怪我では滅多に死なない。けれど、心を病んだだけで簡単に命が途切れてしまう生き物だ。お前が好きだった人間は、自分が先に死んで、お前が悲しみに沈み、心の病で死ぬことが分かっても、お前の気持ちに応えてくれたと思うか?」
ラヴァンの問いに、エミルの目は遠くを見つめた。
「彼は……」
まるで最後に交わした彼との言葉を思い出しているようだった。ラヴァンは静かに続けた。
「俺は一年、泣き続けていたかもしれない。だが、死のうとは思わなかった。彼女が望んでいない事は分かっていたからだ。彼女は俺に言ったんだ。『花も季節も森の風もいつかは消える。それでもあなたは自然を愛しているでしょう? 私もきっと同じ。だからたくさん人間を愛して。いつか消えてもまた愛せるはずだから』と」
「お兄ちゃん……」
エミルの声は震えていたが、確かにラヴァンの声は心に届いているようだった。
やがて家の中に落ち着いた静けさが戻ると、両親はようやく俺の存在を思い出したらしく、「あらまあ」と慌ててお茶を出してもてなしてくれた。そして、テーブルには急ごしらえの夕食が並べられた。森で採れた果物とワイン、そして木の実を練り込んだ柔らかそうなパンとケトの好物のミルクが並んだ。パンはひと口かじると小麦の香りが広がって、驚くほど美味しかった。
「うまいっ」
思わず声が漏れる。
「ラヴァンがお友達を連れてくるなんて初めてね」
「そうだなぁ。外の世界に飛び出していったときは心配したが」
食事が終わり、両親がラヴァンの可愛い子供時代のエピソードを語り出し始めると、ラヴァンの顔がみるみる不機嫌になった。
「……もういいかげん帰ったらどうだ?」
耐えきれなくなったラヴァンは、両親を半ば押し出すようにして外へと追いやった。
その夜はいろいろなことがあって、俺は寝台に横になってもなかなか寝付けないでいた。何度か寝返りを打ったところで、部屋のドアを叩く音がした。
「……はい」
返事をすると、そっと扉が開き、エミルが顔をのぞかせた。
「今日はごめんなさい。お客様に申し訳ないことをしてしまったわ」
「いや、俺が悪いんだ。突然押しかけてしまって」
俺がそう言うと、翡翠色の瞳を伏せたエミルがポツリと尋ねた。
「……人間はエルフのことをどう思っているのかしら?」
窓から差し込む月明かりが、エミルの顔を半分だけ白く照らしていた。
「俺は……憧れてるよ。もしエルフが俺の彼女になってくれたら、すっごく大事にする。それで、俺が死んでも悲しまないようにクズ男になって彼女を困らせる、ってのはどうだろう?」
「……あははっ、……バッカみたい。レオンって面白い」
エミルはその日初めて俺に笑顔を見せてくれた。
「……ラヴァンのことが好き?」
エミルが尋ねた。
「ああ。ラヴァンは俺の憧れだ」
「じゃあお兄ちゃんにも、クズ男にならないといけないね」
「大丈夫だよ。今でも十分、ラヴァンには頼りない男に見えてるだろうからな」
今度は二人で笑いあった。
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