1.冒険前夜
母さんが倒れたのは、俺が冒険者になったばかりの頃だった。朝には元気に笑っていたのに、昼過ぎには高熱を出して意識を失い倒れてしまった。慌てて治癒師を呼んだけれど、回復魔法は効かなかった。この病気は回復魔法では直せないらしい。治癒師は「これは不治の病だ」と言って、慰めばかりの薬を置いて帰ってしまった。
母さんは翌日には意識が戻ったけれど、少し元気になっただけで、病気が治ったわけではなかった。休むように言っても、母さんは言うことを聞かなくて、元気なふりをしながら動き回っていた。
「母さん。洗濯場に行ってたんだって? 寝てろって言ったのに。また倒れたらどうすんだよ。これじゃあ、安心して依頼も受けられないじゃないか」
ある日、ついイライラして、母さんに酷い言葉を投げてしまった。
「ごめんね。心配かけて・・・」
母さんは困ったように、小さく笑うだけだった。
ある眠れない夜のことだった。俺は庭に置いた椅子に腰掛けて星を眺めていた。
「はぁ~~~」
大きくため息を吐くと、黒猫のケトが足元にすり寄ってきた。
母さんがどこで拾ったのかわからないが、いつからか家に居ついていて、ずいぶんと可愛がっていた。
「お前も心配してるのか? ケト」
俺はケトに話しかけた。
ケトはゆっくりとこちらを向き、まるでため息をつくように尻尾を揺らした。
「心配してるんは、お前だけちゃうんやで、レオンの兄ちゃん」
その声に、俺は驚いて立ち上がった。椅子が倒れた。
「・・・喋った・・・のか?」
俺はとうとう幻聴が聞こえるようになっちまったんだと思った。
「ワイはハンナはんの従魔なんやで」
「じゅ、うま?・・・え!お前、従魔なのか?」
「せやで」
「母さんがどうして従魔なんかを?」
従魔というのは、本来は人に敵対する魔物が人間と契約を結ぶことで主人の力になる存在だ。契約が成立すると、魔物は主人と魔力を共有して、呼ばれればすぐに姿を現す。けれどそれには、魔物と戦い、弱らせてから会話を成立させなければならない。力がなければとうてい契約できるものではない。それに、会話を成立させられるだけの豊富な経験と運が必要だ。
「だって、母さんは魔法も使えないんだぞ?」
魔法は生まれつき使える者とまったく使えない者がいる。この差は身分とは無関係だ。だが歴史的に魔力の強い血筋が貴族として残ってきたため、貴族の多くは何らかの魔法が使える。母さんは平民出だったから、もちろん魔法は使えない。
「ワイの気まぐれや。ワイは気に入った奴なら、誰でも従魔になったる心優しい妖精猫なんや」
「妖精猫って、ケット・シーの事か?」
「そう言うてるやろ」
ケトの瞳が金色に揺れた。
ケトは母さんが眠る部屋の窓を見て言う。
「この病は治癒師でも治せへん。ほんでも、妖精の森にある泉の水やったら直せるかもわからへん」
「妖精の・・・森? そんな森、どこにあるんだ?」
「エルフの国や」
「エルフの国だって!? そんなところに行けるわけないだろ!」
俺が住んでいる北方王国からエルフの国へ行くには、正統王国を通り、山脈を越え、港から船で行かなければならない。俺にとっては遥かに遠くの見たこともない地だ。
けれどケトは静かに俺を見ていた。俺はその知性のある瞳に馬鹿にされたような気がした。
「すまない。・・・行くよ。どんなに遠くても、母さんのためなら」
ケトは満足げに目を細めた。
「ワイも行くで。案内役は必要やろ?」
俺は母さんを説得して旅に出ることを決めた。その時、母さんは我が家の宝物だといって俺に小さな宝石を渡した。俺はその宝石を売った金で馬を買った。
俺は荷造りに忙しい日を過ごしながら、母さんのことを療養院の院長に重ねてお願いした。
支度を整えて旅立つ日、母さんは泣いていた。
「気を付けてね・・・レオン・・・」
「安心して、母さん。街道を行けば、魔物は出ないから」
「・・・そうね。・・・ケトちゃんと離れるのは寂しいわ」
「そっちかよ」
「ふふっ・・・そうよ」
最後は笑って送り出してくれた。
ここまでお付き合いありがとうございました。
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