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現代小説 【私の失敗人生、聴いてくれる?】

作者: 虫松
掲載日:2026/02/19

挿絵(By みてみん)

深夜の雨は、街の灯りを溶かしていた。

ネオンも、看板も、濡れたアスファルトの上で歪み、

まるで最初から正体のないものみたいに揺れている。


その闇から、老婆がひとり、バーの扉を押した。


コートは重く、靴は擦り切れ、足取りは頼りない。

酒の匂いが、入ってきた瞬間に店の空気を変えた。


「……やってる?」


マスターは何も言わず、うなずいた。

それだけで、十分だった。


老婆はカウンターに腰を落とすと、

ポケットからスマホを取り出した。


画面をタップする指は、少し震えている。


「ねえ、これ」


そう言って、彼女はマスターに画面を向けた。


そこには、若くて綺麗な女がいた。

艶のある髪、張りのある肌、赤い口紅。

男たちに囲まれて笑っている、自信に満ちた顔。


「……私よ」


マスターは驚いた顔をしない。

ただ、画面を一度見て、ゆっくり視線を戻した。


「信じられない?」


老婆は乾いた笑いを漏らす。


「私もよ」


しばらく沈黙が落ちる。

雨音だけが、遠くで続いている。


老婆はグラスを求めた。

ウイスキーを一杯。

濃いめで。


一口飲んで、喉を焼いてから、彼女は言った。


「マスター……私の失敗人生を聴いてくれる?」


私はね、

最初から愛されなかった。


家に帰っても、誰もいない。

泣いても、叱られるだけ。

抱きしめられた記憶がない。


だから私は、学んだの。


”欲しがられなきゃ、生きてる意味がない。”


そして、

嘘を覚えたのは、子どものころ。


「大丈夫」

「平気」

「なんでもない」


本当は、全部ほしかった。

愛も、言葉も、温度も。

でも正直になると、捨てられる気がして。


だから虚偽で自分を守った。

嘘の上に、嘘を重ねた。


私の若さは、武器だった。

男たちは私を見た。

欲しがった。褒め称えた。


肉体的快楽は、

存在証明だった。


触れられるたびに、

「ああ、私はここにいる」と思えた。

でもそれは、愛じゃなかった。


快楽のあとには、必ず虚無が来た。


それが怖くて、また次の夜に逃げた。


裏切りも、数えきれない。


結婚と離婚を繰り返し、捨てられる前に先に捨てた。

傷つけられる前に関係を壊した。


「私を裏切る前に、私が裏切る」


それが、生き残る方法だと思ってた。


人格障害?心的外傷?


病名の名前をつけられると、

少し安心した。


壊れてるなら、仕方ないでしょうって。


酒を覚えた。

アルコールは、優しい神だった。

飲めば、過去がぼやける。

父の無関心も、母の冷たさも、

自分の価値のなさも。


薬も覚えた。

どこかへ羽が生えて飛べる気がした。

救われる気がした。

でも、朝になると、もっと深い闇が待っていた。


自殺未遂は、二度。


一度は手首。浅かった。

助けてほしかった。


もう一度は、男と心中未遂。

酒、薬物、大量の睡眠薬。

「一緒に死のう」って言ったけど、

本当は、一緒に生きて、って言えなかった。


私はいつも、言葉を間違える。

気づいたら、誰もいなかった。


若さは消え、条件は通じず、

スマホの中だけが過去を知っている。


「この顔を見て。」


老婆は、黒くなった画面に映る自分を指さす。


「これが、欲望の行き着いた先」


マスターは何も言わない。

ただ、グラスを磨いている。


私は、神を信じなかった。

信じたら、全部間違ってたって認めなきゃいけないから。


「私の人生って何だったんだろ。快楽と堕落で生きてきた

失敗人生よ。完全な。でもね。こうして話してる今だけは、

少しだけ正直。だから聞いてほしかった。」


「誰かに裁かれなくていい。神に赦されなくてもいい。」

ただ、私は、こうして堕ちました」


って。


「私ね、神を信じなかったんじゃないの」


一息、酒をあおる。


「赦されないって、最初から決めつけてただけ」


沈黙が落ちる。

闇から闇へ、話は続く。


老婆は、まだ生きている。

それだけが、唯一の事実だった。



【私の失敗人生、聴いてくれる?】 完

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