外にいる私
外にいる私は、
生きている「私」ではなかった。
それに気づいたのは、
壁に手を当てた瞬間だった。
冷たいはずの壁が、
ぬるりと脈打っていた。
――コン、コン。
中から返ってくる音は、
鼓動と同じリズムだった。
「……あけて」
その声は、助けを求めていなかった。
確認しているだけだった。
生きているか。
まだ、そこにいるか。
私は、はっきりと思い出した。
壁に入ったあと、
誰も助けに来なかったんじゃない。
来た。
警察。
救急。
近所の住人。
でも――
私が見つかった時、
もう「遅かった」。
壁の中で死んだ私は、
そこで終わらなかった。
強すぎる後悔と、
「外に出たかった」という執念が、
部屋に染みついた。
それが、
今、外にいる私だった。
私は“出られなかった記憶”から生まれた、
殻。
残響。
空っぽの存在。
だから、
過去を思い出せなかった。
履歴がなかった。
前の人生がなかった。
最初から、
この部屋にしか、いなかった。
――コン、コン。
壁の向こうの私は、
まだ「人」だった。
肉体があり、
恐怖があり、
時間が流れている存在。
私は、
ただの置き去りの影だ。
「……あけて」
私は、ゆっくりと首を振った。
「それは、できない」
壁を開ければ、
入れ替わる。
人は外へ出て、
影は消える。
それは、
救いじゃない。
それは、
私が完全に消えることだった。
壁の向こうで、
叩く音が止まった。
長い沈黙のあと、
静かな声が聞こえた。
「……そっか」
その声は、
不思議なくらい、穏やかだった。
次の瞬間、
胸の奥で、何かがほどけた。
――コン。
最後の一回。
それを合図に、
壁の鼓動は止まり、
部屋は、ただの古いアパートに戻った。
翌日。
私は、いなくなった。
この部屋に新しく越してきた人は、
夜中に音を聞くことはない。
ただ、
壁の一部だけが、
なぜか少し温かいと感じるだけだ。
それが何かを、
誰も知らない。
もう、
叩く音はしない。




