【7】
強引に腕を引っ張られ、麻里奈とともに部屋を出る。ガラス部屋を抜けて廊下に出たところで、彼女は私の腕を放した。会話を交わすことなくついていき、エレベーターの前で立ち止まる。
「天馬は組織の全貌を知っている。でも、あたしや他の研究員には知らされない。その差は何だと思う?」
「……逆に訊くけど。麻里奈以上に何も知らない部外者の私に、答えられると思う?」
「だからこそ訊いてんの。内部の人間には気付くことのできない、完全に盲点となっている発想が出てくるかもしれない」
「確かにそういうこともあるって、ついさっき身に染みたばかりだけど。私に思い付きそうなこと……組織のボスが、実は天馬のお父さんとか?」
「ガキでも思い付きそうな話だね。あんた、ホントに頭良いの? 期待して損した」
「……麻里奈くらい優秀な開発者なら、組織の上層部に意見できるんじゃないの? せめて、ボスがどんな人なのかだけでも教えてくれとか」
「最初はしつこいくらい訊いたよ。でも毎回『組織の機密を話すわけにはいかない』でおしまい。大地みたいな無能はともかく、あたしは天馬と同じように毒薬を生み出すことができるってのに……。所詮あたしも使い捨ての駒だと思われてんのか、それとも傷物だからこの扱いなのか」
「傷物?」
「持病のことだよ。治療に必要な薬は安価な鎮痛剤だけじゃないからね。あたしを生かすためにカネが掛かってる」
「逆に言えば、それだけ麻里奈という人材が必要とされているってことでしょ? いっそ研究をボイコットしてみるとか。交換条件として上から情報をもらうの」
「どうせダンマリだよ。あたし自身、薬品をイジってないとストレスで狂いそうになるから。長いこと放棄なんて無理」
「もはや依存症じゃない」
「天馬だって似たようなモンだよ。あいつは仕事に取り憑かれてるんだ」
到着したエレベーターに乗り込むと、麻里奈は《B7》を押した。数秒でエレベーターが止まる。降りた先には相変わらず殺風景な廊下が伸びていた。
案内された部屋は病院の診察室のようだった。仄かに消毒液の臭いがする。
カーテンで仕切られたベッドゾーンがあり、その隙間から女性の顔が覗いていた。三十代前半程度だろうか。一つに束ねられた栗色のロングヘア、真っ赤なルージュ。ベッドの上で上半身を起こす彼女の指には煙草が挟まっていた。こんな場所で吸っているなんて、衛生管理は大丈夫なのかと疑ってしまう。
「またゴロ寝かよ。良い身分だね、桃花さん?」
「今日は当番の時間終わったし、ズタボロの《D.H.》が来ないから退屈なだけですー。この際、適当にザクザクと傷付けて持ってきてくれません? 処置するモノがないと暇死にしちゃいそうなんで」
桃花と呼ばれた女性はベッドから降りると、テーブルの上の灰皿に煙草を押しつけた。一見ごく普通の女性だが、やはりこの人も組織の悪に染まっているようだ。
「暇そうなあんたにピッタリの仕事だよ。こいつ肩を切ってるから、手当てしてやって」
麻里奈は私の腕を引っ張って桃花の前に出すと、即座に部屋を出て行こうとした。
「ちょっと麻里奈さん。どこ行くんですか?」
「天馬と話すことがあんだよ。邪魔だから、そいつ預かっといて」
「麻里奈さんはいつも天馬と一緒にいられていいですね。私も毎日会いたいなー」
「相変わらずな女だね。あんな堅物のどこがいいの?」
「クールと言ってくださいよ」
「はいはい。とにかく、そいつの手当てよろしく」
麻里奈が出ていくと、桃花は消毒液の並ぶテーブルの上に腰掛けた。ハイヒールのつま先で、テーブルの前にある椅子を差す。「ここに座れ」という意味だろう。大人しく腰を下ろすと、白衣を脱ぎ、天馬の貼ってくれたガーゼを剥がした。
「うーん。大した怪我じゃなさそうだね」
桃花は消毒液の入ったビンを手にすると、逆さまにしてそのまま肩の傷口に振り掛けた。ぼとぼとと流れる液が服を濡らしていく。
「そんなやり方で大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。ちゃんと資格持ってるから」
消毒液で濡れた肌を雑に拭きながら言われても、あまり信用できないが……黙って様子を見守ることにした。
「あんた見ない顔だけど、天馬と一緒に仕事してるの? 新人?」
「……はい。天馬のもとで研究開発をしている桜庭夏希といいます」
「そう。天馬はイマイチ興味を示してくれないけど、いずれ彼は私のものにすると決めてるから。麻里奈さんみたいに野蛮な女はさておき、あんたみたいに柔らかい雰囲気の女が天馬の傍にいるのは心配だなー。あの人に色目を使わないでよ?」
「……たぶん私、桃花さんが思うほど柔らかい女性じゃないですよ。『大人しそう』って言われがちですけど、割と図太いタイプだと思ってます」
「それもそっか。こんなヤバイ組織に入るくらいだもん、強心臓に決まってるよね」
「えっと……私は自ら加担したわけじゃなくて。城之内製薬の研究チームに所属しているのですが、ここで行われた実験に巻き込まれてしまって……」
「ふーん。麻里奈さんといい、天馬は頭のいい女を近くに置いておきたいのかなぁ」
「麻里奈は私とは比べ物にならないくらい、頭の切れる女性だと思いますけどね」
「でも元は城之内製薬の研究チーム所属なんだし、似たようなもんじゃないの? 二人とも」
――二人とも?
「あの、それ、どういう意味ですか?」
「動かないでよ。ガーゼずれちゃったじゃん」
「ごめんなさい、あなたの言葉が気になって。〝二人とも〟って……つまり麻里奈も、城之内製薬の研究チーム所属だったんですか?」
「だと思うよ。社員証見たもん」
「麻里奈が城之内製薬の社員証を持っていたということですか?」
「ゴミ処理を担当したときに見付けたの。城之内製薬株式会社・第一開発部・研究チーム何とか……って書いてあった」
「ゴミ、漁ったんですか?」
「漁ったなんて人聞きの悪い。たまたま回収ボックスの中に落ちてたのを見付けて、気になって拾ってみただけ」
「それ、いつの話ですか?」
「そんなの覚えてないよ。もう何年も前なのは確かだけど」
「あなたはいつからこの組織に?」
「四、五年前くらいかな? 当時の記憶、ちょっと曖昧なんだよね。酷い目に遭ったせいでさ」
「麻里奈の社員証はどこに?」
「ゴミの中に戻したよ。とっくに焼却済みだね」
私が城之内製薬の研究チーム所属ということは、天馬も麻里奈も出会った当初から知っていた。私は相当な期待を持たれていたようだが、それは組織にとって重要な開発者・麻里奈という前例があるからだったのか。
第一開発部と言えば城之内製薬最高の頭脳が集結する場所。
天馬は組織の人間が近付いてきたことがきっかけで加担したようだが、麻里奈にも組織の人間が接触したのだろうか。彼女の性格ならあっさり城之内製薬を捨て、怪しげな組織に加担したとしてもおかしくない。
もしかしたら城之内製薬が疎ましかったという可能性もある――だから私が組織に加わったことも不満だった、とか。