【6】
「……私は平気。それより大地はどうなったの?」
天馬は「気絶させただけだ」と答え、戸棚から救急セットを出してきた。私の隣に腰を下ろし、手当ての準備を始めてくれている。
麻里奈は気だるげに立ち上がり私を見下ろした。
「あんたが反応してくれなかったら、あたしにナイフが突き刺さってたかもしれない。助かったよ」
「借りを返しただけ。ここに来られたのは麻里奈のおかげだから」
「……まぁ何でもいいや。それよりこいつ、アレを飲んでたんだ。何を使って気絶させたか知んないけど、起きるまでに時間掛かんないんじゃないの?」
天馬が答えるより前に「アレって何?」と訊ねた。
「開発チームが作った薬だよ。睡眠とか麻痺とかの薬を、数倍の早さで打ち消す効果がある。『《D.H.》をすぐ使い回せるように』ってのが本来の狙いなんだけど、こういう使い方もあるわけだ」
「大地は誰かに裏切られたときに備えて、その薬を飲んでいたってこと?」
「たぶん。案外アタマあったんだね、こいつ」
麻里奈の発言を耳にしながら、いつの間にかすっかり忘れていたことを思い出した。
ここがどんなに危ない研究所かということ。
常に死と隣り合わせと言っても過言でない場所であり、天馬や麻里奈のように組織にとって重要な人材でも、それは例外ではないかもしれないということ。
「こいつ、さっさと連れて行かせないとね。ここのチームの奴を呼ぶよ」
ポケットからスマホを取り出した麻里奈は、どこかに電話を掛け始めた。一分も掛からないうちに通話を終え、天馬に声を掛ける。
「こいつは《D.H.》に回す、それでいいね?」
「……そうだな。意識が戻れば、またお前に手を出そうとするだろうから。上には俺から説明しておく」
麻里奈は引き出しから細いロープを取り出し、倒れている大地の両手を縛りつけ始めた。傷を手当てしてもらった私も天馬と一緒に立ち上がる。
大地の手足を縛り終えた麻里奈は「さて」と改まった様子で言い、鋭い目で天馬を睨んだ。
「あんたに訊きたいことがある」
「何だ」
「大地のチームの奴ら、何であたしが加入三年目の研究員だと思い込んでるの?」
「……」
「組織の中じゃ異端レベルの優男のくせに、深いところまでちゃっかり介入して……。上とほぼ対等な立場にいるあんたなら、この組織が何なのか知ってるんじゃないの?」
テーブルにもたれながら問い掛ける麻里奈の言葉が引っ掛かった。
「どういうこと? 麻里奈は組織の全容を知ってるんじゃないの?」
「誰がそんなこと言ったんだよ」
「人に言われたわけじゃないけど、ずっとそう思ってた。あまりにも――」
態度が偉そうだから、という言葉を飲み込む。
それにしても盲点だった。
優秀な研究員である麻里奈は天馬と同じ――組織の中で重要な立ち位置にいて、全てを把握しているものだと思い込んでいたが。私の勝手な思い違いにすぎなかった。
「あんただけが上と仲良しこよしな理由とか、ボスの正体とかについては追々聞かせてもらうとして……。大地の勘違いについても、何か知ってることがあるんじゃないの?」
天馬は突っ立ったまま顔を伏せている。痺れを切らしたのか、麻里奈がテーブルを叩いた。暗く険悪な空気に呼吸が止まってしまいそうになる。
「……俺は組織発足当時からここにいて、ボスとも深い付き合いがある。組織の全容を把握する数少ない研究員の一人――それは認めよう。だが、大地が勘違いしている理由は俺も分からない」
「嘘じゃないね?」
「あぁ。心当たり……のようなものならあるが、憶測で喋るわけにもいかない」
「憶測でもいいよ。それが間違ってたとしても、あんたを責めたりしない」
「いや、確証のない発言をしてトラブルが起きてからでは遅い。間違った情報が流れている以上、怪しい行動を取っている研究員の存在も疑われる」
「あたしに恨みを持つ奴がいるかもしれない?」
「お前は日頃から他者に攻撃的な態度ばかり取っているからな。改めるよう忠告したのに聞かなかったのはお前だ、命を狙われていたとしても文句は言えないぞ」
「……バッカみたい」
吐き捨てられた麻里奈の声に、ドアの開く音が重なる。男性研究員が三人入ってきた。彼らは床に倒れている大地を見て困惑したようだ。
「何でリーダーが……」
「こいつ、《D.H.》の部屋に放り込んどいて。反逆しようとした罰だ」
「しかし――」
「早く運んで!」
ドスのきいた麻里奈の声に、研究員たちは「分かりました」と口を揃えた。三人で大地を抱え上げ、部屋を出ていく。
「――さ、続きを話そうか」
「その前に、夏希を治療室へ連れていく」
私の傷は簡単な止血を施してもらっただけ。天馬としては心配半分、話を逸らしたい気持ち半分……といったところだろうか。麻里奈は「分かったよ」と言い部屋を出ようとした。それを天馬が呼び止める。
「お前はここで待っていてくれ。俺が連れていく」
「別にいい。夏希が怪我したの、あたしを庇ったからだし」