【3】
「この研究所では実験台にマウスやモルモットを使うことはない。どんなに危ない薬も、研究の第一段階の薬でも、人に死をもたらす薬でも、全て生身の人間を実験台にしてるのさ。そして実験台になる人間のことを《D.H.》と呼ぶ」
「狂ってる……」
憎しみを込めて吐き捨てた。
人間が使い捨ての実験台だなんて。
気が触れているとしか思えない。
「あんたみたいに〝普通〟の人間からすればそうなのかもね。最初に言ったでしょ? ここには人間味のある優しい奴なんかいないって」
「こんなの……人間のやることじゃない。あなたたちは人の皮をかぶった悪魔よ」
「何とでも言いな。とにかく《ステルリン・バージョン6》の実験はこれで終わりだよ。あとはさっきの研究員が実験結果を出してくる。そこから先のバージョンアップは、またあたしの仕事ってわけさ。ほら、あんたも自分の仕事に戻るよ」
麻里奈は私の腕を掴んで立たせようとした。それを振り払う。
「……触らないで」
「警戒? あんたを傷付けるつもりはないけど?」
「そういう問題じゃない」
「……ふん。生意気な口をきくようになったモンだ」
麻里奈が身を引くと自力で立ち上がった。実験室を出る彼女のあとに無言で付いていく。見たものの衝撃が大きすぎて何も考えられない。ただ無心でエレベーターに乗り込んだ。
「天馬が戻らないのをいいことにサボるんじゃないよ」
麻里奈はそう念押しすると、《研究室A》に私を残し出ていった。パソコンの前へ座り、電源の入っていないディスプレイをぼんやりと眺める。
じっとしていると、あの惨劇が頭の中にフラッシュバックしてきた。両腕で、震えの止まらない身体を懸命に抱き締める。
怖いのか、辛いのか、苦しいのか、憎いのか、悲しいのか。訳の分からない感情が込み上げてきて涙が溢れた。
私はどうしたらいいのだろう。
何食わぬ顔をして、与えられた仕事を繰り返していけばいい?
また凄惨な実験に付き合わされるときが来る?
拒否したら殺される?
私も《D.H.》として実験に使われる?
様々な疑問が頭に浮かんでは消えていく。
廊下に誰もいないことを確認し部屋へ戻った。着替えもお風呂も、何もかもやる気にならない。食事などもっての外だ。白衣を床に脱ぎ捨て、ベッドへ潜り込んだ。
――インターフォンの音で目が覚めた。
ベッドから起きることなく、返事をすることもなく、その音を無視する。
やや間を空けて「さっさと起きな! 仕事だよ!」という罵声が飛んできた。廊下にいるのは麻里奈だ。
ドアを開ける。
鬼の形相で待っているかと思いきや、麻里奈の表情は普段どおりだった。
「実験室でアホやらかした研究員がいて、床にガラスの破片と薬がブチ撒かれてるんだ。あんたに掃除してもらう」
「……何もしたくない」
「馬鹿なこと言ってんじゃないよ。自分の立場分かってんの?」
「分かってる。だからこそ何もしたくない。この組織に協力することは、悪魔の仲間になるのと同じだと思うから」
「……あんた、自分が何を言ってるか分かってんの? 協力しないってことは、殺されるのに同意するようなモンだよ?」
「もちろん分かってる。でも……あんなことに協力するくらいなら死んだ方がマシよ」
――そう、きっと。
得体の知れない恐怖感を押し殺すように奥歯を噛み締める。麻里奈は舌打ちすると、私を押し込みながら部屋へ入り、ドアを閉めた。彼女に何をされるか分からないという恐怖が後ずさりになる。
麻里奈は白衣のポケットから試薬ビンを取り出し、こちらに投げた。反射的に受け止める。試薬ビンの中で透明な液体が揺れていた。
「それを飲めばあの世行きさ。多少苦しむかもしれないけど、首を吊ったり腹を刺したりするより楽に死ねるよ?」
麻里奈の唇がにやりと歪む。
人を死に至らしめる液体が、私の手の中に――。