【第13話/25日目】 遥香の告白──「あなた、覚えてないのね」
昼休み、誰もいない旧校舎の階段裏。
少し埃っぽい空気のなかで、彼女は待っていた。
「……ありがとう。来てくれて」
結城遥香。三年生の先輩。
いつも落ち着いた笑みを浮かべていて、その目は何かを見透かしているようだった。
「話したいことがあって、ずっとタイミングを探してたの」
そう言って、彼女はスカートのポケットから、ひとつの小さな札を取り出した。
色あせた布の端には、かすれかけた筆跡が残っている。
――《けっこんしよう はると》
「これ……」
見た瞬間、息が止まった。
心の奥が、ギリギリと軋んだような痛みを覚える。
「やっぱり……覚えてないのね」
遥香の声は、どこか哀しそうで、どこか誇らしげだった。
「昔、祠で会ったの。まだ小学生だった頃。……あなた、私にこう言ったのよ。“大きくなったら、お嫁さんにしてやる”って」
思い出せない。でも、何かが、心の深い場所で反応している。
誰かと、手を繋いだ記憶。
笑いあった顔。
風に揺れる髪と、境内の匂い――
(……夢、じゃなかったのか)
「でもね、あなたは来なかった。祠に、約束の日に。札も破れて……私、ずっと、ひとりだった」
風も吹かないのに、心だけがざわついていた。
遥香の手の中にある、その小さな札が、なによりも重たく見えた。
「それでも、わたしは待ってた。もしかしたら、また会えるかもしれないって。……そして、再会したあなたが、“女の子”になろうとしてるなんて……ね」
遥香は、言葉を止めたあと、静かに微笑んだ。
「私、後悔してないよ。……だって今のあなたは、すごく綺麗になったから」
その一言に、胸の奥がじわりと熱くなった。
責められてるわけじゃない。
悲しみをぶつけられてるわけでもない。
ただ、“過去の自分”がしたことの重さが、ようやく今になって、心に降ってきた気がした。
「……ごめん。俺、ほんとに……覚えてなくて」
「ううん。いいの。思い出すのは、これからでも」
そして、遥香はひとつ息を吐いたあと、言った。
「私は、“今”のあなたが好き。……それだけは、ちゃんと伝えておきたかったの」
教室に戻るチャイムが鳴る。
でも、俺の中ではまだ、鐘の音よりもずっと深い“鼓動”の音が鳴り続けていた。
──25日目。忘れていたはずの記憶が、心を揺らし始めた。
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