6話 玲瓏の吸血鬼2
ふっと血の槍が液体に戻ると、扉や亜人、血液は、思い思いの音を立てて地面に落下する。
「逃げねーの?」
「え?」
「次、お前かもしれねーぞ」
彼は振り返ることなくだらりと腕を垂れ、手指の先から血を滴らせてつぶやいた。
どこか儚げで寂しそうな空気を纏う少年を、街風は心底不思議そうに見つめる。
「なんで? 君は俺を助けてくれたんだよ? 逃げるわけないじゃん」
「でも、俺だって亜人で······」
「人間も亜人も、心があるんだよ。人間にもいい人と悪い人がいるように、亜人も悪い人ばっかりじゃない。俺は君がいい人だと思うから。亜人とかって、今は関係ないよ」
街風の純粋な言葉に、少年は考えこむように黙る。
「異能を見た時からそうかなって思ってたんだけど······君は血降らしだよね?」
「っ!」
少年の手がぴくっと動く。
「あ、当たり? だったら尚更ありえないよ。血降らしが人間を襲ったことなんてないし」
「······なんだ、知ってたのか」
少年が肩越しに横目で振り返ると、街風は穏やかな笑顔を浮かべて座っていた。
(今さっき目の前で、亜人殺したの見せたばっかなのに、なんでそんなマヌケな顔······。意味分かんねー)
会ったことはない。全くの初対面だ。
なのにどうして、自分を守るために、怖いのに逃げず、敵わないと分かっているのに立ち向かったのか。
(そういう性格、ねぇ。自己犠牲とか無謀とか自殺志願者とか······色々言い様はあるが、要は極度のお人好し、お節介ってところか)
少年は無意識にふっと口角を上げる。
「······死んだら終わりなんだよ」
「? 何か言った?」
「なんでもねー。損な性格してるよな」
「え、損? 誰が?」
「お前が」
言葉の意味を理解できないとでも言いたげな表情で、街風はきょとんと固まる。
(なんでだよ)
損だなどと、微塵も思っていない純粋な表情。かといって、特別誇りでもない。
自分の性格が、行動が、自分にとってどんな利害をもたらすのか。
そんな損得など、考えたこともないような反応だった。
「······人間らしくねーやつ」
「俺が?」
「そう」
「人間だよ?」
「知ってるわ。らしくねーって言ってんだよ」
「ええ······」
困ったように、眉をハの字に寄せる街風がおかしくて、少年は思わず吹き出す。
「っふ、はははっ」
「なんで笑うんだよー」
「わりーわりー······っ」
少年は笑いを堪えるように口に手を当て、体をくの時に曲げる。不満そうに頬を膨らませる街風は、その意外にも明るくて澄みきった笑い声に、そんな風に笑えるんだと、少年の裏を少しだけ覗けた気がして、嬉しく思った。
「俺は叶?八崎叶だ。お前は?」
「街風純人。純粋の純に人で純人」
「へえ、純人か。お前にピッタリ、だな······」
八崎が突然、倒れるように膝をついた。
「八崎君!? 大丈夫!?」
「いい! 俺に近づくな······!」
八崎を支えようと立ち上がりかけた街風を、吠えて怯ませる。
「近づくなって······でも······」
膝をついているにも関わらず、時折引っ張られるように傾く体。苦しそうに胸で呼吸してるせいで、肩が跳ねるように上下し、ゼェゼェと喉が鳴っている。
(何もするなって? ······無理だよ)
街風は中途半端な姿勢から再開すると、今にも倒れてしまいそうな八崎の隣にしゃがみこみ、肩を貸した。
「っ!?」
瞬間、八崎がぐいっと右手で街風の胸元を掴んで引き寄せ、首に顔を近づける。
その乱暴な所作は、まるで肉に飢えた獣のようで、何が起こったのか理解できない街風は、動けず固まってしまう。
初めて見えたフード下のルビーみたいな瞳が、爛々と光っていた。
「っ、おれ、は······っ」
針のような鋭いモノが、街風の首筋に当たったと思うと、八崎の絞り出すような生温かい吐息が皮膚を撫でた。
押し出すように街風を離すと、おぼつかない足取りで立ち上がる。
「八崎く······」
「近づくなって、言っただろ」
八崎は視線で凍らせてしまえそうな程、鋭く街風を睨むと、一跳びで塀を越えて、奥へと吸いこまれるように消えてしまった。
(さっきまであんなに優しく笑ってくれてたのに、なんでまた冷たく······俺、余計なことしちゃったかな)
八崎の寂しそうで悲しそうな拒絶の瞳が、脳裏に焼きついて離れない。
恐らく、街風が襲われたのは吸血鬼族の吸血衝動。吸血鬼族が主に、自身の中の血が足りないときや、好意の相手に噛みついて血を吸う行為。
今回は前者で、八崎は街風に噛みつこうとしたことを気にしているに違いない。昨晩も亜人と戦って、大量の血を失っているのだから。
(吸血衝動って、自分の意思で抑えられるものじゃないらしいし、抑えてた八崎君に迂闊に近づいたのがいけなかったかな)
腹が減ったら何かを食べたくなる。眠くなったら目を閉じたくなる。
吸血衝動は、そんな本能と同じ類に分類される。が、吸い始めたら最後、止められなくなって、吸血対象の血を吸い尽くしてしまうこともあるらしく、八崎はそれを恐れたのだろうと、配慮なしに近づいたことを反省する。
「君! 大丈夫!?」
「うわあっ!?」