5話 玲瓏の吸血鬼
キィィ······。
亜人の足が一歩外に出たところで、家の中から錆びた扉を押す音がした。亜人はそっちに興味が向いたらしく、足を引いてぺたぺたと戻っていく。
(いっ、た······?)
未だ収まらない動悸に胸元を掴み、ふーっと長く細い息を吐く。
プールで泳いで水から出た時のような、疲労感がどっと全身にのしかかり、思わずへたりこみそうになるのを踏ん張って堪える。
また自分に注意が向く前に離れようと、体の向きを変えかけた時だった。
「······赤く光る石の耳飾りの吸血鬼を知ってるか?」
(人······!?)
落ちついた人間の声が耳の裏に聞こえ、バッと飛びつくように中を覗く。するとそこには、裏口から入ってきたらしい、街風と同じくらいの身長の少年が、臆することなく亜人と対峙していた。
目深に被ったフードの影で、彼の顔は全く見えないが、冷淡に亜人を見つめていることが声色から分かる。
「ミミ、カザリィ? シシシシラナイ。シッシッテテモモモ、オォシエナイィィ」
亜人は相手が子供であることを認識すると、だらりと垂らした腕を、ゆっくりと持ち上げた。
(攻撃する気だ······!)
亜人は人間よりも遥かに身体能力が高く、異能具に適正がある人達が訓練をして、やっと比肩するかどうかだ。一般人では動きを見切ることすらできない。
「危ない!」
少年が死んでしまう。
パッと思った瞬間、街風は弾かれるように一瞬動きを止めた亜人の脇を駆け抜け、少年の腕を掴んで裏口から飛び出す。バンッと足で思いっきり扉を蹴って枠を外し、開けられないよう壊す。
正面は見上げる程のコンクリの壁。
右か左か迷ったのも束の間、街風は塀に寄せられていた倉庫の梯子を引っ掴むと、壁に立てかける。
右も左も、どうせ正面に回ってからしか出られない。
亜人が正面玄関で待ち伏せていたら終わり。なら、裏の家に降りてから逃げた方が、成功率が高い。
そう考えての、咄嗟の判断だった。
「おい、何勝手な事してん······」
「君! 先に登って!」
街風の必死の形相に、少年は怒って開いた口を閉じる。
ぐいっと少年の腕を引っ張って梯子を握らせた街風の手は、パッと見て分かるくらい震えていて、安心させたいのだろうが、笑顔も頬が引きつって、逆の効果を生み出している。
「······お前、怖ぇーのか?」
「こっ······!? 怖くないよっ!」
声が引っ繰り返った。が、とにかく必死な街風はそんなこと気にしていない。
(コイツ、人間······だよな? 反応を見るに、亜人との戦闘経験はゼロ。どこぞのフツーの家庭で育ってきた一般人だろうが······。会ったことねーよな?)
街風の行動を何一つ理解できない少年は、世話しなく動き回る彼をじっと目で追う。
草むらに隠れたボールを探す子犬みたいだと、思いながら見つめていると、街風が腕くらいの太さの木の枝を手に戻ってきた。少年は目を点にして固まる。
(まさか······アレで戦う気か!? 冗談だろ!?)
街風はガクガクと、立っていられるのが不思議なくらい震える足で、少年を庇うように木の枝を構えた。
少年はもう、驚きやら呆れやらの感情が大渋滞で、ぽかんと口を開ける。
「どうしてそこまで······。怖ぇーなら逃げりゃいいだろ」
「君が逃げた後にね······っ! 怖いけど······君だけでも逃がしてみせるよ」
「意味分かんね。俺はお前からしたら他人だ。命張ってまで守る理由なんてねーだろ」
「関係ないよ。君が俺にとって他人でも、放って逃げるなんてできない。そういう性格なんだ」
そういう性格で片づけられるかよと、心の中で突っこみを入れる。
「だから、ね? いいから逃げて」
恐怖からか、ワントーン下がった街風の声が震えを帯びる。
有無を言わせぬ雰囲気の彼の背を、少年はじっと見つめたまま動かない。
(なんで動かないんだ······?)
もう一度声をかけようと、街風が振り返りかけた時だった。
バキョッ!!
叩き割る音でも吹っ飛ばす音でもない扉の断末魔が、瞬間的に爆発した。
等身大の金属の板が、まるで強風にあおられた看板のように街風に迫り、咄嗟に顔の前で腕を交錯させて目を瞑る。暴走車が突っこんでくるのを、真正面で受け止めるようなものだ。
それでも引かなかったのは、少年を守るためだ。
しかし当の本人は、ぐいっと街風の肩を引いて後ろに転がし、右手を突き出す。
「いてっ」
「怨恨の血」
ゴッ!
街風が引っ繰り返って塀に頭をぶつけるのと、扉が何かに激突する音が同時だった。
(えぇええ······!? 何今の!? 俺の頭、ちゃんとあるよね!?)
バッと跳ねるように体を起こした街風は、頭をワシャワシャとかき回し、さっきの激突音で自分の脳がスクランブルになっていないことを確認する。
後頭部にたんこぶができているくらいなことに、ホッと安堵の息を吐くも、目の前の光景に言葉を失った。
右手の甲と、左手の削ぎ落とした指の跡からは、鈍く光る無数の赤い槍が、真っ直ぐに突き出し、それぞれ扉と亜人を滅多刺しにしている。針山の餌食となった扉も亜人も、物言わぬ無機物と化していた。
時が止まったように、その状態が街風には長く感じられた。
(この人、きっとすごく強いんだ。ほとんど汚れてないし、夕日に透けてどこか孤独そうで······キレイ、なんて思っちゃうのは不謹慎かな)