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4話 亜人

「······俺も帰ろ」


 もう二ブロック先の角を曲がって、銀鏡の姿は見えない。

 こんなところで悶々と考えていても仕方がないと、街風はぐっと腕を上に伸ばして歩き出す。


 まだ桜色の陽気が漂う柔らかな風。

 庭先に芽を出した草花が、気持ちよさそうに揺れている。

 まるで牢獄のようなコンクリ固めの豆腐家とは違い、心の中の糸玉を解いてくれる暖かい感覚が、街風は好きだった。


(わあ! ここの家、塀に沿って紫陽花(アジサイ)が植えてあって、一面白詰草(クローバー)とか雛菊(デイジー)とか、色んな花がぴょこぴょこ頭出しててキレイだなあ······!)


 足元で戯れる草花を眺め歩いていると、連なる山々をなぞるみたいに、ある家の庭に視線が流れる。


 枝一本乱れることなく、丸く切り揃えられた紫陽花(アジサイ)、白い斑点の新緑に浮かぶようにして散りばめられた雛菊(デイジー)と、色とりどりの花。

 まるで雲の上の花園みたいだ。


 プロの庭師が手入れしたような芸術っぷりに、目が離せずじっと立ちつくす。


「······あれ」


 美しすぎるもの、理想的すぎるもの。

 日常の範疇を越えたものに出会った時、人間は心酔や理解に脳の大半を陣取られ、疑うことは意識の外へ飛んでいってしまう。まさに街風が今そうだったように。


(ここって人が住んでる······んだよね? なら出入りの跡があってもいいはずなのに、白詰草(クローバー)は長いこと踏まれてないみたいだ。裏口から出入りしてるって可能性もあるけど、最近物騒なニュースが多いのに、玄関開けっぱなしはおかし······)


 ソレが目に入った瞬間、ひゅっと息を呑んで目を見開き、背筋に危険信号のような悪寒が駆け下りた。


 証明を落とされているため、奥までは分からないが、玄関先の石段に流れ出た赤黒い液体。街風から見て蕾にも満たない面積にも関わらず、気づいてしまえば目を逸らせない圧倒的な主張。


「······血、だ」


 やましい事をするつもりなどさらさらないが、どんな理由であれ、入ってしまえば不法侵入には違いない。

 どうすべきかと一瞬悩んだ街風は、左右の道に人影がないことを確認すると、おそるおそる敷地内に足を踏み入れる。


「失礼しまーす······」


 地面にスイッチでもついてるのかと疑いたくなるほど、一歩一歩規則的に鉄の匂いが強くなっていく。白詰草(クローバー)に窪みをつけてしまうことに心の中で謝りながら、草花の群生地を抜ける。


(たぶん、誰かが中で怪我をして倒れてるんだよね。白詰草(クローバー)がキレイな事もそうだけど、血の色がくすんでるし、腐卵臭みたいな、何かが腐った匂いもするし······考えたくないけど、もう手遅れって可能性もなくはない気がする)


 同居人との喧嘩だろうか、強盗と取っ組み合いにでもなったのか······。離れていても強烈な匂いだ、警察が動くだろうと考えながら、扉の枠に手を添えて家の中を覗きこむ。


「っ!」


 端的に言うと、『予想外』だった。


 ーー家には真っ直ぐ帰ること。


 さあっと氷水をぶっかけられたみたいに冷えていく頭の中に、久留米の言葉だけがはっきりと響く。

 いつもの倍以上に膨縮を繰り返す心臓が、鼓膜を揺らす。

 口を手で塞いで、出かけた悲鳴と吐き気を咄嗟に呑みこんだが、パニック寸前だ。


 家の中は裏口まで一本の廊下が伸びていて、片方の壁に三つ程の扉がただ静かに佇んでいる。

 通路には何も置かない主義なのか、物は散らかっていないが、それが余計にその光景を引き立たせていた。


 ゴリゴリとまるで煎餅でも食むように耳障りな音を立てて、亜人がここの住人だったであろう人間の腕を喰べていた。


(どういう、こと······? あの亜人があの人を殺したのか? いやでもそれだったら、殺されて時間も経ってるみたいだし、特化部隊が既に対処してるはず。この通りも人通りが少ないわけじゃないし、誰にも気づかれないなんて無理がある。けど、隠密系の異能持ちだったらありえないことない······でも、それって吸血鬼(ヴァンパイア)族に多いって······。昨日港の方に出たばっかりだよ!?)


 少し前まで、街中での亜人暴動事件は二、三年に一度くらいの頻度で起こっていたが、前回はこの辺りではないが、二週間前だ。明らかに異常である。


(そうだ、通報······)


 肩にかけた鞄の外側のポケットに、スマホを取り出そうと震える手を突っこむ。


(しまっ······!)


 恐怖で汗ばんでいた手からするっと抜け落ちる感覚に、全身の血の気がざっと引いた。

 地面につくより前に、反射的に壁に背を押しつける。


 カンッ!


 スマホは角から石段に落下し、ゴングのように音を響かせた。不愉快な咀嚼音がぴたりと止まり、亜人が街風の方を伺っている気配に切り替わる。

 来るなと願う街風の思いは虚しく、亜人は喰事を放棄して、突然の客人を確認しようと歩を進め出した。


(やばい、このままだと見つかる······!)


 心臓の鼓動はもはや周囲の音を掻き消すまでに激しくなり、息遣いでバレるかもと意識すればするほどに、呼吸は浅く煩くなっていく。

 動いても動かなくても変わらぬ結果に固まっているうちに、亜人は着実に街風へと近づいていく。


(死にたくない、けど、どうしたら······っ!)


 自分も喰われてしまうのかと、奥歯を噛んでぎゅっと目を瞑る。

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