3話 お人好し
「気にしなくていいよ、あんな分からず屋共」
銀鏡が街風の腕を引きながら、気遣うように言う。
「全く、純人のお人好しは、いつになっても健在だなー。あの二人、入学してからずっとあんな感じじゃん。ほっとけばいいのに」
「気になっちゃうんだよ。せっかく同じクラスになれたのに、ギスギスしたままなんて嫌でしょ?」
「それは······そうだけど······」
銀鏡は靴に履きかえる街風の頭をじっと見下ろし、注意して見ないと分からないくらい、僅かに眉を寄せる。
街風は、真面目で純粋で、自分の事より他人を優先するようなお人好しだ。疑う事を滅多にせず、命の危険すら顧みない無鉄砲さ。故に囲いこんでしまいたいような不安を覚える。明日、目が覚めたらフッと消えてしまっていたり――。
(あー! ダメダメ! そんな事考えたってしょうがないんだから!)
やけにリアルに想像できてしまった最悪の未来図を、ぶんぶんっと頭を振って払拭する。
「どうかした?」
「ううん、なんでもない! それよりさ、久留米先生さっき、血降らしの話しようとしてたよね。ニュース見た?」
これ以上何を言っても、街風の考え方の根本は変わらない。もはや本能のようなものだから。
キョトンと首をかしげる彼が、銀鏡の隣まで歩いてくると、いつものように横に並んで帰路につく。
「うん、見たよ。昨夜、港の方で亜人の襲撃があって、その場にいた人間は全員喰われちゃったんだけど、血降らしが亜人を全員倒しちゃったんだよね。なんでも、亜人複数に対して血降らしは単独だとか」
「そう! そうなんだよ! 人間の国の中で起こった亜人の虐殺行為の後に現れて、特化部隊が駆けつける前に姿を消す。誰一人として目撃した者はおらず、我こそはってカメラを持って追いかける人もいるくらいだって。つまりは余裕なんだよ」
「特化部隊が到着するまで、そんなに時間ないからね」
「一人でたくさんの亜人を一瞬で倒せるって、すごいなあ。私もいつか、血降らしくらい強く、いや、越えてみせるんだから!」
ふんすと両手を握って意気ごむ銀鏡。
(銀鏡さんは本当に血降らしの事が好きなんだなあ)
キラキラと瞳に星を散りばめる彼女を、街風は曖昧に笑って受け流す。
この話を聞くのは、一日二回。登下校時に一回ずつだ。もう流石に聞き飽きたとも言えず、街風はひたすら誤魔化すのである。
世界で最も多い種族、人間。
故に彼らは大地を耕し、海を渡り、他の生物よりも発達した頭脳で独自の発展を遂げてきた。しかし、人間がどれだけ鉄や電子の糸を捏ねくり回そうとも、進化を得られないモノがあった。
そう、肉体の強靭化や未知との共鳴である。
何かの突然変異だろうか、それまで隠れてひっそりと暮らしていたのか、彼ら亜人と呼ばれる、人型異能生物の出生から生態まで、何一つとして分かっていない。もっとも、政府の中枢機関には情報が出回っているのかもしれないが、それも仕方のないことなのだろう。混乱を招くような事は、安易に開示できないのだから。
そうして何の前触れもなく姿を現した彼らは、その人知を越えた力で人間を虐殺、服従させ始め、当時の人口から約四分の三にまで減少させた。飛ぶような勢いで、国を作り始めた亜人達の対策のため、世界の人間国は手を組み、亜人の中でも友好的であった妖精族と条約を結び、不法な侵入などを防ぐバリアを展開することに成功。それに伴い、特別な訓練を受けた人間を、亜人特殊部隊として編成し、国内の亜人の暴動を鎮圧する手段として設置した。そして、街風達は特化部隊になるための学校に通っている。各クラスの人数が少ないのも、適正がないと入れないからだ。
三大亜人の妖精族が人間側についた事により、他の亜人国も人間族に対する態度を変えていき、同じく三大亜人の獣人族とは交易の条約を結んだ。残る吸血鬼族は方針を変えるつもりはない意向を示している。
そんな空前絶後の悲劇を経て、今の情勢があるのである。
「······っていう話もあって······って、聞いてる?」
「聞いてるよ。血降らしが強いって話でしょ?」
血降らし。今巷を騒がせている、亜人狩りだ。彼が現れたと思われる現場は、総じて血の雨が降ったように飛沫が飛び散り、殺された亜人達の血で一面が水溜まりになっている事からついた通り名らしい。
右から左に流していた街風が慌てて取り繕うと、銀鏡はむうっと頬を膨らませた。
「違うしー。ボーッとしてたなー?」
「あ、いや、その······っ」
「あははっ。純人はウソ下手なのも変わらないなー。いいよ、同じ話ばっかりだとウンザリしちゃうよね」
上手い言い訳を探す街風がおかしくて、銀鏡は声を上げて笑う。それでも私はしたい話をするけど、と悪戯っぽく口の片端を上げて。
「血降らしが実は人間じゃなくて、吸血鬼国でのイザコザの延長じゃないかって言われてるの。知ってる?」
「人間じゃない? 血降らしが? 知らないな······」
「血降らしが襲う亜人は、毎回吸血鬼族なの。だから、血降らしは吸血鬼族に強い恨みを持ってる可能性が高い。殺し方も滅多刺しが多いしね。人間じゃないかもっていうのは、特化部隊が使うような、金属を媒体とした異能具を使った痕跡がないからなんだって」
「へえ、そんな考察があるんだ。······あれ、でも吸血鬼国でのイザコザなら、わざわざ人間国でやる理由が分からなくない?」
「確かに······なんでだろね? 国同士の摩擦を大きくしたいとか? それこそ理由がないか······あ、私こっちだから」
話しているうちに、それぞれの家への分岐点に到着し、銀鏡が立ち止まって自分の家の方向を指さす。
「じゃあまた明日」
「うん。またね」
毎日ここで別れる時に告げるルーティンワード。また明日会おうと言い合うだけの口約束。
街風は何も考えていないだろうが、銀鏡には大きな意味を持っていた。
(こんなのでちょっと安心しちゃうとか、私ってばチョロいなあ)
呆れと安堵の複雑な心の内に頬を引きつらせて、はっと息をつく。
「? しろ······」
「なんでもないって! また明日ね!」
影を落とした銀鏡は、不思議そうに首をかしげる街風に踏みこまれないよう、さっと身を翻して足早に去っていった。
(なんでもないわけ、ないと思うんだけど······)
銀鏡とは小学三年からの付き合いだ。
明るくて気配り上手な彼女は、悩みがないように振る舞っているが、実は一人で全て背負おうとする事を、街風は知っている。