2話 喧嘩の仲裁
キーンコーンカーンコーン。
チャイムの間伸びした機械音に、数人の生徒が腰を浮かして、机の横の鞄に手をかける。
「起立、気をつけ、」
号令などあってないも同然で、立ったはいいものの、鞄に手をかけたまま中腰だ。走り出しの構えである。
「さような······」
ら、を言い終わる前に鞄を引っ掴んで、扉へと走り出しかけた二人の生徒が室長に睨まれ、ごまかし笑いですごすごと席に戻る。毎日の光景である。
「全く······。高校に入学して間もないというのに、皆さん弛んでいます。早く帰りたい気持ちは分かりますが、せめて帰りの挨拶くらいしてから動き始めて下さい」
室長は眼鏡の縁をくいっと上げる。
「それに今日は、先生からお話があるんです。重要な連絡を聞き漏らさないためにも、もう少し周りを見たらどうでしょう。ですよね、先生」
「へっ? え、えっとまぁ、そう、ですね······」
真顔で淡々とクラスメイトに正論を語った室長に、B組担任の久留米先生が、目を泳がせて前髪を弄る。何かに怯えるような動作に、室長は首をかしげるが、原因は言わずもがなだ。
(分かる、分かるよ先生ッ!)
帰る事を遮られ、同い年である一般生徒からの真面目な説教。喜んで聞くような生徒はいるはずがなく、数人が敵意剥き出しの視線を向けている。その先は一番前の室長なのだから、先生ももろに受けているも同然なのである。
(俺も二列目の真ん中だから、背中にビシバシ当たって痛いよ!)
俺――街風純人も、ガルガルと唸る肉食獣に、背中を狙われているような寒気を感じていると、早く終わらせたいと思ったのか、久留米先生が早口で話し出す。
「昨晩の港での出来事は、今朝のニュースなどで知っている人もいると思いますが、最近吸血鬼を中心とした、亜人の出没が増加しています。授業でもお話したと思いますが、亜人は人間とは比べ物にならない程強いです。家には真っ直ぐ帰る事。万が一遭遇してしまった場合は、刺激しないように逃げて、対亜人戦闘特化部隊に連絡して下さい。それと、血降らしと遭遇した場合も⋯⋯」
「⋯⋯長ぇ」
誰かが低くつぶやき、先生がビクッと肩を跳ね上げる。すかさず室長がキッと振り返って睨んだが、どうやら特定できないらしく、クラス一人一人の顔を流し見ている。
「れっ、連絡は以上になりますっ。じゃあ、先生はこれで⋯⋯っ」
「あっ先生!」
わたわたと慌てて荷物をまとめた先生は、ピャッと逃げるように教室を飛び出していく。
バサバサッ、ドンッ。
階段を転げ落ちる音と悲鳴が派手に響いたが、表立って心配する素振りを見せる者はごく少数。皆、目をつけられたくないのだ。誰に、というと――。
「先生のありがたいお話に、あのような言い方はありえません! 忙しいにも関わらず、私達を心配して時間を割いて下さっているのですよ!? もう少し感謝の気持ちというものを⋯⋯」
「ハッ。アレのどこがありがたいってぇ?」
金髪モヒカンに、ピアスやらチェーンやらのアクセサリーをつけた、一昔前の典型的な不良。卜部仁之介である。
彼はポケットに手を突っこんで机にふんぞり返り、その不良顔に挑発的な笑みを浮かべた。
「ひぐっ、うぐ⋯⋯っ」
毎度の事⋯⋯というと冷たく聞こえるかもしれないが、彼の投げ出した足元には、床に伏せて土下座状態の女子、望月沙夜。
ふごふごと鼻を鳴らしながら、涙と鼻水と嗚咽を流している。
(これは流石に見てられないと思って、数回声をかけに行ったことあるけど、放っておいての一点張りだったんだよね)
無駄だったとは思わないが、どうしても、この状況を放っておいてというのは強がりではないか、と考えてしまう。
「卜部さん! 望月さんをイジめないで下さいと、何度言えばいいのですか!」
「いっ、いいの、卜部君は悪くないの、うちが⋯⋯」
この調子である。
「分かっています、そう言えと言われているのですよね」
「んなわけねーだろ。そんなメンドい事するかよ」
「ではなぜ⋯⋯! 踏みつけられて嫌な思いをしない人など、いるわけがないでしょう! 望月さんは貴方が怖くて言えないに違いありません!」
「ごちゃごちゃうるせーな! 違うっつってんだろ! 首突っこんでくんな!」
「クラスでイジメが起こっているのに、見て見ぬフリをしろと!? できるわけがないでしょう!」
「ハッ。優等生サマはご苦労なこった。飼い犬はせいぜいセンコーに尻尾でも振ってな!」
「なっ⋯⋯!? 私は犬などでは⋯⋯!」
少しずつ論点がズレて、彼らの言い合いはもはやどうでもいい話題で沸騰している。
卜部の煽りに、ムキになる室長。終わりが見えない。
喧嘩に気を取られているうちに、二人の生徒はさっさと帰宅し、教室には五人の生徒が残っていた。
(この状況を放ったらかして帰れるなんて、なかなか図太い神経してるな。⋯⋯いや、普通そうか?)
既にこの場にいない人の事を考え、半ば現実逃避する街風に、一本の視線が突き刺さる。
まるで肩を掴まれているような力強さに、ちらりと振り返ると、ツインテールの生徒、銀鏡光が微笑みを彼に向けていた。やるなら早くしろと言わんばかりの圧力スマイルに、ヒュッと息を呑み、言葉の嵐を巻き起こしている卜部と室長に視線を戻す。
(放っとけないとはいっても、コレに突っこむのはちょっと⋯⋯)
銀鏡の圧が、一層ブワッと叩きつける。
「やります、今すぐやります⋯⋯」
銀鏡の圧と、卜部室長の仲裁はどちらも怖かったが、銀鏡の方がインパクトが強かったのである。
街風は肩を膨らませて深呼吸をすると、卜部と室長の間に割って入る。
「あの⋯⋯」
「ああ!?」
「なんですか!?」
二人同時にぐりんっと顔を向けられ、うっと息が詰まる。が、一度意識を向けられたなら、どうしたって同じだ、と奮い立たせて口を開く。
「く、クラスメイトなんだしさ、喧嘩じゃなくて、一度冷静になって話そうよ。ほら、興奮したままだと言いたい事もあんま伝わらないし。それが原因で亀裂が入っちゃう事だって⋯⋯」
自分の思う、全力の穏やかスマイルを浮かべて、言い合いをやめるように勧める。
「俺様は骨の髄まで冷静だぜ? 我忘れてんのは、そっちの頭でっかちだろ」
「私はいつだって落ち着いていますし、要点を簡潔に伝えられています。そちらのカルシウム不足は、メチャクチャな事を言っていますが」
卜部に張り合うように室長が言い放ち、再び視線をかち合わす。
どうやら不評だったようだ。
「え、あの、二人とも仲良く⋯⋯」
「はいタイムアウトー。行くよ」
おろおろと険悪な顔を往復する街風の腕を、銀鏡が引いて強制終了させる。
仲直りさせられなかった未練から、ちらりと肩越しに振り返ると、彼らはまだ元気に火花を散らしていた。