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18話 亜人

 タイミングを見計らったように、完璧に街風の言葉に被る。


 小悪魔のようでいて気怠げな声の主に、全員の視線が集まる。


 空き地の入り口の、電柱の傍。


 肩で切りそろえられた、血塗られた髪に、ルビーのように輝くどんぐり眼。

 彼らより一回り以上小さくて小柄だが、ピンと尖った耳にコウモリのような黒マント。


 吸血鬼だ。


「赤い石の耳飾り……」


 八崎は、吸血鬼の耳に揺れる赤い石を、穴が空きそうな程見つめる。


 硬直状態というよりかは、完全に自分の世界に入りこんでいるようだ。


「吸血鬼……! しかも一ツ星かくそっ。久留米!」

「分かっています!」


 八崎を捕獲し、街風を連れて退避させるーーそのつもりだった。


「なっ……!?」

「弾いた……!?」


 蛇のようにしなやかに、かつ無駄のない最速の軌道。


 対象に触れれば一瞬にして絡みつくはずの鎖は、八崎が爪で裂いた手の甲の傷からの血槍で、足元に跳ね返される。


(久留米の鎖は完璧だった。かわされる事はあっても弾かれるなんて、俺が知る限り一度もない。それに、相手を見れば、俺も久留米も力量くらい分かる。コイツの強さなら、久留米は余裕なはずだ。何が起こってる……?)


 戸惑う三人を見向きもせず、八崎は吸血鬼をただ静かに睨んでいた。


「俺を覚えているか」

「んー? そうだなあ、」


 溢れる感情を抑えこむような平淡な声色。


 吸血鬼は斜め上を見て、首をかしげる。


「心当たりがありすぎて、どれか分かんないや」

「っざけんな! 俺から全部奪っておいて分かんねーだと!? そんなんで通るとでも思ってんのか!」


 叫び声に近い大声が爆発し、三人は息を呑んで固まる。


 吸血鬼は子犬の鳴き声を流すように、首をすくめた。


「わーぉ怖あ。君さあ、友達ってやつ、できないでしょ」

「答えろ!」

「分かった分かったぁ。聞こえてるからさぁ、そんな怒鳴んないでよぉ」


 大げさに怯えた演技をすると、はぁと面倒くさそうに息をついた。


「いちいちどうでもいい実験体(マウス)の事なんか覚えてらんない。これが答えだよ。満足?」


 ハッと、まるで家畜でも見るような目であざ笑う。


 街風には、輪ゴムが千切れる音が聞こえた気がした。


「てんめえええぇええぇぇえ!!」


 八崎は、怒り狂った闘牛のように、一直線に吸血鬼へと突っこんでいく。


「八崎君!」


 街風の呼びかけなど、まるで聞こえていないのだろう。


 一切の躊躇なく、両手のひらと甲を爪で引き裂く。

 あっという間に、血のスプリンクラーと化した。


 見ていられず、追いかけようとした街風を、久留米が鎖で拘束する。


「離して下さい! 八崎君が!」

「駄目です! 骨折している事をもっと自覚して下さい! 皇さん、すぐ戻ります」

「最速な。アレはソロじゃ厳しい」

「はい」


 暴れる街風の手足を鎖で縛って背に負うと、グッと膝を曲げる。


「八崎君!」


 久留米は数十分前と同様、衝撃を殺しながら宙を舞う。


 地を駆ける足音が尾を引いて遠ざかる。


「八崎君! 八崎く……ぃっ!」


 届かないと分かっていても、声を出さずにいられなかった街風に、今さらながら、横腹に刺すような痛みが走る。


 久留米は呆れたように息をついた。


「言ったではないですか。もう十分でしょう」

「十分じゃないです。結局何も話せてな……」

「いい加減にして下さい。今街風君がいても、ただの足手まといにしかならないんです。分かるでしょう?」


 なだめるように続ける久留米の言葉を、街風は黙って聞いている。


 現場から離れた事で、自分の立場を第三者からの視点で考えられるようになってきていたのだ。


「彼に気がかりがあるとしても、これ以上はボランティアのお人好しでどうにかできるような問題ではないんです。引けと言ったら引く。楽々君と約束したでしょう。破るんですか?」


 そういえばそうだ。


 街風はぐっと唇をかむ。


 結局、何もできなかった。何も話せなかった。


 目の前で、手が届く所で、苦しんでいる友を傍観する事しかできなかった。

 ……友と呼ぶ事さえ、拒まれてしまった。


 それでも、と街風は痛みを堪えて身をよじる。


「っ!」


 その時ちょうど目に映った光景に、街風は目を見開いた。


「……先生。やっぱ俺、無理そうです」

「え?」

「友達が傷ついてるのに、自分だけ逃げるなんてできないです」


 何を言い出すんだと、肩越しに街風を振り返った時たった。


 街風を包むように、若葉色の火が燃え上がる。


「な……っ! 鎖を……!? 戻りなさい、街風君!」


 まるで手品のように抜けていった街風に、久留米は驚愕に表情(かお)を染める。


 慌てて呼び止めるも、火の玉は既にアーモンドサイズ。


 減速どころかスピードを上げていく。


(体が軽いどころじゃない。重力が消えたみたいな……そう、ちょうど急降下する直前の浮いた感じが、ずっと続いてるような。全速力で走った後くらい体が熱いし、頭も酸欠を起こしたみたいにフワフワしてる)


 しかし、空も飛べるような錯覚が起きる程に調子がいい。


「っ!?」


 バランスを崩して守りに入る皇に畳みかけるように、距離を詰めた吸血鬼が、バッと跳び退いた。


 街風はダンッと、まるで小隕石を彷彿とさせて着地する。

 一秒前まで、吸血鬼がいた場所だ。


「は……? 純人……?」

「円錐の角に鬼火……。君、人間じゃなかったんだぁ!」


 街風を見るなり、皇はぽかんと口を開け、吸血鬼は目を輝かせる。


 街風は土煙をまとって壁にうなだれる八崎に近づくと、眉間にしわを寄せた。


 足元に広がる血溜まり。

 吸血鬼に貫かれた、八崎の腹から流れ出てできたものだ。


 辛そうではあるが、浅くても呼吸している事に、少しだけホッとする。


「お前が八崎君を……!」


 キッと殺気をこめて吸血鬼を睨むと、一瞬で間合いを詰めて腕を横に凪ぐ。


「鬼族なんて、とっくに絶滅したと思ってたよぉ。君達は一目につきすぎて、退治の的だったからねぇ」


 空を切った感触。


 背で聞こえた声にノータイムで回し蹴りするも、手応えがない。


「にしても、鬼族の異能は聞いてた以上だなあ。髪も目も、さっきと色全然違くなぁい? あっ、こんな所に目が一つ増えてるぅ」


まばたきの間に、目の前に吸血鬼が現れた。


 吸血鬼は街風の前髪を指で挟み、鼻がつきそうな程顔を近づける。


「……!」

「いっ……!」


 遊ばれている。


 額に筋が浮き立った街風は、ゴッと鉛を落としたかのような鈍音を立てて、頭突きをした。


 回避が間に合わなかった吸血鬼は、鼻を押さえて後ずさる。


「鬼族とか異能とか……なんなんだよ! 俺は人間族だから、異能なんて持ってない!」

「えぇ……。君、人間族でソレできたら化け物だよぉ。……っと、危ない」

「チッ」


 街風に気が向いているうちに、背後から忍び寄った皇がナイフを振り下ろすも、半身でよけられる。


 すぐさま半転して跳び退くと、街風の隣に着地し、横目で彼を見る。


「純人、アイツの言ってる事は本当だ。今のお前を人間族として見るのは、俺もできねぇ」

「そん、な……。じゃあ俺は本当に……」

「ああ。亜人だな」


 真珠のような純白の髪に、エメラルドの瞳。

 周囲を浮遊する火の玉。

 耳から数センチ離れた所に、同じくミルク色の角が、長短二本ずつ生えている。

 髪のすき間から覗く額には、黒い線が一本引かれており、閉じられた瞳だという事が分かった。


「なんでこんな事が起きてんのかは分かんねぇが、とにかく久留米と避難……」

「いえ、俺も戦います」


 街風は、未だ動かない八崎をちらりと見ると、吸血鬼に視線を戻す。


「体に変化が起きて、俺も少しは役に立てると思うんです」

「確かにお前のスピードは使えるが……。呑みこみ早ぇな?」

「正直混乱はしてますけど、折れてたはずの骨も治ってるみたいですから。亜人だからって、俺が俺である事は変わりませんし」


 手のつけ根で脇腹をとんとんと叩いてみせる。


 街風の言葉に目を細めた皇の横に、追ってきた久留米が着地する。


「随分変わりましたね、街風君……。ここまで立派な角は獣国にもいないと思います」

「後にしろ……」


 ひゅっと、風が街風の服を揺らすと、視界から久留米と皇が消えた。

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