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16話 まだ?

 どう衝撃を殺しているのだろうと、首を伸ばして久留米の足元を観察する。


「街風君、下ばかり向いていてはもったいないですよ。ほら、顔を上げて」


 見慣れている、無機質な箱の集合体など……。


 そう思いながら視線を上げる。


「……っ!」


 地平線まで続く白い蛍光。

 規則的に整列する線は、背中合わせの箱を挟んで一本の道を再形成している。


 自分のための通路。

 どこまでも駆け抜けていけそうだと錯覚する程の解放感。


 街風は一瞬で目を奪われた。


「広い……」

「そうでしょう? これが、我々特化隊の見ている景色です」


 久留米の満足そうな声色に、街風は長い息を吐き出す。


 特化隊が見ている景色。


 今は久留米の背から見下ろしているが、いつかは自分の足で、自由にこの景色の中を飛び回れるのだろうか。

 自分の手で、あの地平線の果てを開けられるのだろうか。


 想像するだけで胸がいっぱいになって、ただひたすらに見とれてしまう。


「まあ最も、謹慎中の僕が言えた話ではありませんが」

「え」

「一方的な痛撃を見ると、スイッチが入ってしまって。つまりは反射ですが、今回は僕に全面的に非がかるので、今後は対策を……っと、こんな事聞かされてもつまらないですよね」


 九十度盛り下がる話である。


 まるで世間話でもするように、久留米は軽い口調で流す。


「それって外に出たらいけないんじゃ……」

「すぐに戻れば問題ありません。僕は教師ですよ? そんなものに縛られて、生徒の危機に駆けつけられないようでは、失格です」


 当たり前の事だ。


 そう暗に言い放った久留米に、街風は口を閉ざす。


 感動的な事を言っている事に違いはないのだが、それはつまりーー。


(バレなきゃセーフって事だよね!? それこそ教師が言っていい事じゃ……)


 そういう事である。


 平然と肯定しそうなので、あえて言葉にはしない。


(でも、久留米先生が来てくれてなかったら俺は確実に死んでたから、ありがたい教え?なのかな……?)


 そんなわけはないのだが、一理なくもないだろうと、この非常事態に呑まれるように解釈する。


「……いますね、八崎君。と、あれはおそらく皇さんですね」

「なっ……! もう……!?」

「楽々君の話では、僕と彼にのみこの場所を伝えているとの事でしたので、他はいないと思いますが……。早めに降りましょう。衝撃が強くなりますが、大丈夫ですか?」

「平気です。お願いします」

「ははっ。そう答えると思っていました」


 久留米は電柱の先から飛び降りると、家の屋根に着地し、膝が地面につきそうな程身を沈ませた。


「っ!」


 速い。


 口など開けたものではなく、目にも止まらぬ速さで駆けぬけているため、本来であれば感じるはずの着地の衝撃は、街風にはあまり伝わってこない。

 そもそも久留米の疾走は、彼の目には瞬間移動のように映っているのだ。感じる間もない。


 鎖で縛られていなければ、とっくに吹っ飛んでいただろう。


 久留米は、体重を感じさせない身軽さで地面に着地すると、空き地でたたずむ皇に近づいていく。


「久留米お前、謹慎中じゃねぇの?」

「そうですが、生徒の救出がてら様子見をと思いまして」

「そうか、それならもう帰……救出?」


 皇は半身振り返って目をこらす。


「純人……!? ……東か」

「はい」

「どうして連れてきた」

「僕は教師ですから。生徒の要望に応えたまでです」


 動じる事なく答えた久留米に、皇は露骨に顔をしかめた。


「その鎖の巻き方……骨折れてんだろ。教師サマはドクターストップもできねぇのか?」

「一緒に来る事が、最善だと判断したので。這いずり回って八崎君を探されるより、こちらの方が安全です」

「病院にでも放りこんでくればよかっただろうが」

「今更でしょう」

「なら今すぐ行ってこい」


 大人の火花の散らし合いを背中で見ている街風の耳に、バチバチッと電気が爆ぜる音が入った。


 幻聴かと思いつつ、皇の奥に視線が流れる。


「八崎、君……?」


 威嚇するように背を丸め、牙を剥き出しにしている。

 目を爛々と光らせる彼の印象は、まさに血に飢えた吸血鬼だった。


 皇は、目を見開く街風に気づくと、鼻で笑った。


「ずっとあんな調子だ、お前のお友達ってやつは。言っただろ? 亜人と仲良くなれるわけないってな」

「……八崎君に、何したんですか」

「何もしてねぇよ。アイツが攻撃してくるから、捕縛用異能具を使っただけだ」


 皇は考えるようにうつむいた後、片眉を上げて馬鹿にするように口角を上げた。


「そこまでするなら見せてみろよ、友情ってやつ。荒れてる亜人落ちつかせるくらいできんだろ」

「皇さん、それは……」

「やります」


 即答する街風に、皇は笑みを深める。


「正気ですか!? いくら異能具で捕らえているといっても、万能ではないんですよ!? 人間の姿を模倣した亜人は特に……!」

「大丈夫です。八崎君は、俺達を傷つけたりなんかしない」


 肩越しに振り返った久留米は、波立たぬ湖面のように澄んだ瞳に息を呑んだ。


(人間という生き物は、自分と少しでも異なれば別区分に分類するものですが、この、吸血鬼との境の無さ。素晴らしい事だとは思いますが……)


 今考える事ではないと、息を吐き出す。


「分かりました」


 一切の曇りのない街風の目から視線を外すと、皇の横を通り過ぎて、八崎の目の前に膝をつく。


 その距離、約一メートル。


「っ!」


 腕を振り上げた八崎に、久留米は彼の真横に跳ぶ。


 バチッ!


 八崎の指先から白い閃光が走り、彼は反射的に手を引っこめる。


(八崎君の異能? ……いや違う。アレは異能具の効果だ)


 街風も、何もない夜闇に目をこらすと、月明かりが反射して小さく孤を描いた。


 地面に鉄キノコーー手のひらサイズの釘ーーが四本、八崎を囲うように突き刺さっている。


 その外に出ようとすると、閃光が散る仕組みのようだ。


「……確かに、襲うように見せかけて、軌道が雑でした。あれでは僕達には当たらない」


 大丈夫だろうと判断した久留米は、鎖を袖に戻すと、街風を横に座らせた。

 近い方が座りやすいだろうと思ったからである。


「……あれ、八崎君?」


 街風は八崎と目が合うなり、じっと覗きこむように見つめる。


 次の言葉に、皇と久留米は目を見開いた。


「本当にまだ吸血衝動の状態なの? 俺にはそうは見えないけど」

「はあ? 攻撃してきてんだぞ?」


 皇は怪訝に眉根をぎゅっと寄せる。


「攻撃といっても、当てるつもりなんてないと思うんです。現に先に接触した皇さんには、傷一つないですし」

「それは、俺が二級だからで」

「それに今の八崎君の目は、映像で見た時よりずっと明るい。俺と出会った時と同じなんです」

「目の明るさ、だと……? そんな感覚的なもので判断するなど……っ!」


 街風は、八崎を真っすぐに見つめたまま淡々と言う。


 そんな彼に、野蛮人でも見るかのような視線を向けていた皇は、どさっと倒れるように座りこんだ八崎に息を呑んだ。


「すげえな純人。誰も違和感すら抱かなかったのに」

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