14話 遭遇
街風の純粋な疑問に、楽々は少し間を置いた後、笑い飛ばすように言った。
「気分だよ気分。つぶやきたくなっただけだ。じゃあね、気をつけろよー」
「え、あはい。ありがとうございました」
半ば強引に切れた通話に首をかしげつつ、ズボンのポケットに携帯をしまう。
楽々の言った通り、C地区に向かおうと一歩踏み出した時だった。
とんとん、と右肩を叩かれ、ほぼ反射で振り返る。
街風が人に助けを求められる時、声をかけられるか、肩を叩かれるかの二択だからだ。
「どうかしまし……ッ!」
相手が視界に入るより先に、まるで人間が体当たりしてきたような衝撃が腰に走り、一瞬息が止まった。
ふっと力が抜けて倒れこんだ街風は、腕を立てて背後を見やる。
(な……っ!? 吸血鬼……っ!?)
街頭に照らされて姿を現したのは、街風より一回り程大きい吸血鬼だった。
筋肉がむき出しで、手足が異様に長細い。
最後にとってつけたような目玉は、今にも転がり落ちそうだ。
話せないのか、声は聞こえないが、あざ笑っている事は容易に読み取れた。
吸血鬼は、ぺたぺたと水分を含んだ足音を立てて、横を通り過ぎたと思うと、乱暴に街風の首を掴んで引っ張り上げた。
「ぅ……!」
(逃げなきゃなのに、息が……っ)
このままでは絞め殺される。
頭では分かっていても、痺れて感覚がなくなっていく手足が思うように動かない。
(力押しじゃ百%勝てない……。そうだ、携帯のライト……!)
服の上を滑らせてポケットに手を入れ、携帯の電源ボタンをいつもより強く押す。
触り慣れた金属の液晶をぎこちなく操作し、ライトモードに切り替える事に成功した。
後はこれを、吸血鬼の眼前に突きつけてやるのみ。
怯んだ間に全力で抵抗して逃げるーーつもりだった。
(やば……ッ!)
カンッ。
ぼやけた指先から滑り落ちた携帯が、乾いた落下音を立てる。
鼓膜が圧迫されるような静寂の中、千里を越えるように響き渡る。
極寒の地に、突然裸で置いていかれたかのように、ざっと血の気が引いた。
「!?」
しかし幸か不幸か、自分と無抵抗の人間しかいないと油断しきっていた吸血鬼には、第三者からの攻撃かと、街風から注意を削ぐには十分であった。
一瞬にして、偶然の好機。
僅かにほころんだ、手の穴を一気に広げるように、渾身の力で吸血鬼を蹴り、振り払い、脱兎の如く闇夜に紛れる。
十ブロック程、揺れる鼓動に突き動かされるままに走った後、すぐ近くの家に駆けこむ。
そして塀に張りつくように、背を預けた。
(やばいやばいやばい……! 死にかけた殺されかけた……っ! 撒けたかな、てか吸血鬼族ってそんなに執着心強くないよね追ってこないよね!?)
はっはっと忙しなく肩を上下させ、喉を鳴らす。
(必死すぎて携帯置いてきちゃって、楽々さんに連絡できないけど、これって約束破った事になる? しないんじゃなくてできないんだから、セーフなのかな。……って今はそんな事じゃなくて!)
追ってきた時のために備えて対策を、と考えて、街風は呼吸を止めた。
特化隊は普段、人間国全域を数人のグループで巡回している。亜人が関係する問題に対応するためだ。
しかし、今はどうだ?
元々数少ない特化隊。
そのほとんどを八崎の捜索に当てているとしたら、あの吸血鬼に気づくのも、対処するのも、大幅に遅れてしまうのではないか?
その間にーー限りなく無に等しいだろうがーー家から出てしまった者がいれば、犠牲になってしまう事は容易に想像できる。
だからこそ、楽々は街風に念押ししたのだろう。
(俺が逃げたせいで、あの吸血鬼を野放しにしたせいで、誰かが犠牲に……?)
そんなのはダメだ。
街風は恐怖でかみ合わない歯を、無理矢理顎で挟みこむ。
(落ちつけ俺。そうはいっても、さすがに無策じゃ瞬殺だ。一瞬でいい。一瞬でいいから動きを止めさえすれば、その間に携帯を拾って……)
何かないかと、両手をズボンのポケットに突っこみ、布を引っ繰り返す。
シャラ……。
チャームが擦れる音が足元に流れ、街風は膝を折って草茂を手探る。
指先が触れた軽く固い感触に、ソレを顔前につまみ上げる。
「っこれは……!」




