13話 深夜の着信
草木も寝静まった真夜中。
まるで、世界に自分だけしかいないような、孤独感が漂う時間帯。
普段ならとっくに夢の中なのだが、街風はベッドに寝転がったまま、眠れないでいた。
銀鏡と別れた後のあの家には、厳重に規制線が張られていて、もしかしたらという思いは一瞬にして消え失せた。
小さな媒体から見た亜人は、確かに八崎で、我を失った吸血鬼族。
そもそも、皇達が嘘を教えるメリットなどないのだから、当然の事だが、街風はようやく実感を得たのだ。
(吸血鬼族ってテレビの中の存在で、まだ俺には関係ないだろうって思ってたけど……実際に目の前にすると、動けなかったな。八崎君があの時、吸血鬼を呼び止めてくれてなかったら俺は……)
ゾッと背筋に悪寒が走り、仰向けに寝返りをうつ。
「……大丈夫かな、八崎君」
もし本当に、特化隊が八崎を保護するつもりなら、既に輸血なりなんなりは終えているはずだ。
回復に向かっているのか否か、大人の事情とやらで、街風には流せないのかもしれない。
けれど、あの映像を見た後では、八崎が今どんな状態なのかと考えるだけで、胸の底に糸が渦巻いて、どうしても寝つけないのである。
ブーッブーッ。
(ん……? 電話……?)
机の上に置いた携帯のバイブ音に、ベッドに手をついて上半身を起こす。
「え、もう一時……!?」
枕元の、目覚まし時計が示す数字に驚くと同時に、こんな時間にかかってくる電話に首をかしげる。
着信自体珍しいのに、日付が変わった時間帯になど、余程の事に違いないと、慌ててベッドから這い出る。
充電コードも抜かないままに、携帯を手に取った街風は、表示されている名前に目を見開いた。
「皇さん……!? なんで……」
パッと思い当たった連絡内容に、暴れ出した動悸を抑えて指を触れる。
「もしもし。街風です」
「あ、街風君? ごめんね、こんな時間に。今大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です」
昼間と変わらない楽々の声が流れ、どうして皇の名前表示で彼が、という疑問を呑みこんで頷く。
「色々思うところはあるだろうけど、こっちは説明してる余裕なくてさ。悪いけど……っなら、捜索範囲をもう少し拡大して、そっちの方に人数増やして」
携帯から顔を離したのか、楽々の声が遠のいて、周囲の喧騒に交ざる。
都会の人混みの中のような、雑然とした慌ただしさに、自然と体が強張る。
「……とまあ、分かると思うけど、結構切羽詰まってるんだよね。今の状態の彼がどこに行くかなんて、誰にも分からな……」
「八崎君に何かあったんですか」
街風の淡々とした声色に、楽々は一度口を閉じる。
「逃げ出したんだ。研究所から」
その言葉を聞くなり、街風は携帯を机の上に置くと、クローゼットの取っ手にかけてあった、外出用の服に着替え始める。
「そうですか。それで、八崎君は、もう大丈夫なんですか?」
「バイタルは安定してきてたけど、まだ吸血衝動のままで……」
「なら、吸血鬼族がいる所を探すのが一番早いと思います」
「だよねぇ、やっぱ街風君もそう思うよなー……って、僕が欲しい情報、よく分かったね?」
「捜索って言ってたじゃないですか。探してるのかなと思って」
「そっか。よく聞いてたね。ところで、動いてる音がするんだけど、今真夜中だよ? 何してんの?」
「俺も行きます。八崎君探し」
「……は? ちょっ、街風君っ? 何考えて……」
街風は、充電コードを抜くと、携帯裏のリングに指を引っかけ、慎重に扉を開ける。
寝ている父母を起こさないように、爪先で階段を駆け下り、スニーカーに足を突っこむ。
できるだけ、音を立てないように玄関の扉を開けると、暗闇に身を滑りこませた。
「今楽々さん達が探してたのはどこまでですか?」
「いやいやいや、教えるわけないでしょ。機密事項だし、街風君、明日学校でしょ? 電話かけた僕が言うのもなんだけど、早く寝なって。……おーい、街風君。聞いてる?」
「聞いてます」
暗さに目が慣れてきて、走り出した街風の息づかいを、楽々が素早く察知する。
見下ろすように白い光で照らす街頭は、規則的かつ、まだらな斑点を道に切り取っている。
人間どころか生物の気配すらない異様な空気を、街風は切り裂くように駆ける。
「なら、今すぐに戻って……」
「俺、八崎君に謝りたいんです」
足を緩めないまま、楽々の言葉を遮る。
「八崎君は吸血衝動を抑えようとしてたのに、俺が余計な事をしたせいで、嫌な思いをさせてしまって……。許してもらえるかは分からないけど、謝りたいんです。それでまた、あの時みたいに笑って話したい。もし八崎君が辛いなら、彼が望むだけ手を貸したい。八崎君は、俺の友達だから」
携帯の向こうで、楽々が僅かに息を吸った。
「俺も探します。一日くらい、寝なくても平気です」
「でもなあ、僕達のコレは仕事だから……」
「友達が辛いかもしれないのに、教えてくれたのは楽々さんなのに、黙って何もするなって言うんですか? 俺は動けます。楽々さんが条件を出すなら、全部呑みます」
一息に吐き出した街風は、はっと呼吸のリズムを荒々しく整えると、腹の底に夜闇を沈めた。
「国同士の問題もあって一刻を争うのに、防げる事も手遅れになるような情報規制に、何の意味があるんですか?」
街風の、一歩も譲らない毅然とした声色に、楽々は長い息を吐き、頭をかいた。
シン、と固い沈黙が足を下ろし、コンクリが擦れる音と、街風の息づかいだけが場に残る。
互いに黙りこんで出方をうかがう事、数分。
「……ほんっとーに君は、よく分かんない子だなあ」
折れたのは、楽々だった。
このまま霧中に走らせておくより、許可して条件を呑ませる方が、危険性は低いと判断したのだ。
彼は、やれやれといった風に口を開いた。
「まず条件だけど、引けって言ったら引く事、他の亜人と遭遇したらすぐに逃げて、俺達に連絡する事、後はまあ大丈夫だと思うけど、情報を他人に流さない事。これが守れるなら……」
「分かりました」
「即答か。さすがだねー。ま、とりあえず話すからさ、一旦止まりなよ」
街風は徐々にスピードを緩めると、すぐ近くの電柱の影に隠れる。
なんせ、時は丑三つ。吸血鬼族が最も活発に動き回る時間帯。
本来ならば、誰も外に出てはいけない決まりなのだ。
「研究所を中心に、地区別に捜索しててーーあ、俺もそこにいるんだけどA地区なーーから、外の四つの地区、B、C、D、Eのハーフラインまでが今の捜索範囲。街風君はE地区に住んでるんだよね? 今どこ?」
「ちょうどE地区とC地区の中間辺りです」
「……え待って。D地区にいるって事?」
「はい。とりあえずA地区周りを一周してみようと思ってまして」
「君さあ、いくらなんでもそれは……」
無鉄砲すぎる、と言いかけて楽々は口をつぐんだ。
おそらく言っても、八崎しか見えていない彼には無駄である上、もう遅い。
「えっと、楽々さん、ありがとうございました。俺はハーフラインの外側を探してみようと思います」
「無理しないようになー。……あ、そうだ」
「? どうしました?」
携帯を下ろしかけた手を、耳に当て直す。
「こっからは独り言なんだけど、八崎君はE地区の真反対の、C地区西側辺りにいると思うんだよね。ま、完全に俺の勘だけど、吸血鬼族を探し当てるの、得意だからさ。遠いだろうけど、そこ目指すのもアリかなー、なんてな」
内緒話をするみたいに、楽々の声が小さく吐息混じりになり、街風は目を見開く。
「……それ、俺なんかに話していいんですか」
「んー? 伶含めて数人にしか話してないけど、聞かれなきゃ問題ねぇって。ただの独り言だぜ?」
「言い方を変えます。なんで俺なんかに教えてくれるんですか?」
あんなに反対していたのにも関わらず、積極的な情報提供。
華麗な手のひら返しに動揺を隠しきれない。




