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1話 血降らし

 一寸先も見えない、谷底みたいな暗闇。夜空を低く這う雲が、唯一の光に纏わりついているせいで、月明かりすらもない。

 爆破でもされたかのように、飛び散るコンテナの残骸の間を、一人の少年が行く当てなさそうにふらふらと歩いていた。時折鼻をつく潮と鉄の匂いに顔をしかめ、彼はフードを引っ張り背を丸める。もともと小柄な彼は、猫背のせいでさらに小さく見える。


 時は十二。

 見目からして警察が声をかけると思われるが、近くには人影どころか生物の気配すらない。彼だけ宇宙にでも隔離されたかと疑う程に異質な空間だったが、彼は機械的に足を進める。


 不意にそよ風がざっと服の裾を揺らした。

 背後から音もなく跳びかかった何者かが、彼の首に獣のような爪を振り下ろす。


 ベチャベチャッ。


「?」


 仕留めたと確信していた表情は、困惑に染まる。


 空を切った爪から滴り落ちるのはーー自分の血液だ。


「おい」


 ザリッとコンクリの破片を踏みつけた彼の足が、うつむいた視界の端に映る。

 少しかすれた低い声。けれど、まだ幼さの残る響きに、やっぱり子供かと口の端を上げる。


 腕を傷つけられたのはまぐれに違いない。まさか自分が子供にやられるわけがない。油断して近づいてきたところを、頭から喰ってやろう。ただ本能に突き動かされるままの獣は、自分の攻撃を容易く躱された事など、すっかり頭から抜けていた。


「赤く光る石の耳飾りの吸血鬼(ヴァンパイア)を知ってるか?」


 当然、答えない。聞こえないフリである。


「おい、答えろ。まさか死んでるわけじゃねーだろ」


 膝をついて腕を垂らした獣に、生死を確かめようと、少年が一歩踏み出す。瞬間、罠にかかった獲物の喉元に、鋭い爪が迫る。


「······そうか」


 落胆した呟きなど、当然聞こえていない。

 殺人鬼の刃の如く振るわれた爪は、肌を裂く快楽を求めて喉を掻き切り、確かな手応えに口元を震わせる。ぐつぐつと、全身の血が沸騰するような高揚感のままにもう一度腕を振りかぶり、そしてはたと動きを止める。


 生きとし生けるものは、未知のモノに出会った時、脳の処理が追いつかずに、一瞬固まってしまう。まさに今がそうだった。


 ······なぜ、平然と立っていられる? 否、足を肩幅に開いて立っている彼の首からは、滝が轟くような勢いで血が流れ出ている。つまり、ギリギリで立っているだけ。


 ムダな抵抗はむしろ苛虐心を煽り、襲撃者は全身の毛を膨らませて身震いする。興奮のあまり、自分がどんな醜い表情(かお)をしているかなど、どうでもいいらしい。黒目は痙攣して舌は垂れ下がり、ハッハッと荒い呼吸とともに、涎が幕を引いていた。


 どう殺してくれようーー痛みに顔をメチャクチャにさせてやるのもいいーー恐怖に強ばった表情を保存するのもいいーーなどと考えている間に、少年からはもはや致死量の血液が流れ出ていた。それでも静かに俯いたまま、フラリともしない。


 いつも通り一息に、と決めた襲撃者が、バッと腕を振り上げるのと、少年がゆらりと指先を向けるのが同時だった。


怨恨の血(グラッジオブブラッド)


 何が起こったのか分からなかった。というよりは、舐めてかかったがために、出し抜かれる事などあるわけがないという、油断からの混乱なのだが、とにかく既に勝負はついていた。


 眉間、首、胸、腹を中心に突き刺さった、おびただしい本数の血の槍。少年が手を下ろすと、それらは型をつけられていた砂が崩れるように液体化し、パシャッと地面に跳ねる。


「チッ、またハズレか」


 苛立たしげに舌打ちをした彼は、もうほとんど原型を留めていない、穴の空いたボロ布のような死体を冷淡に見下ろし、そっと首元に手を当てる。光に透ける赤ガラスのような神秘さで、瞳が淡く瞬いたと思うと、手をどけた彼の首には、元通り二本の爪跡が残されただけとなった。五センチは抉られていたであろう先の傷は、完治である。


 さっと少年が身を翻すと、血溜まりから無数の線が迸り、荒地を駆け巡る。パッと液体に戻った血の雨の中を、顔色一つ変えずに歩いて、彼は暗闇へと消えていったのだった。

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