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第3話:地獄の幕開け

 ケディックの懸念通り、ケディックは遠征からあまり帰れない月日を5年過ごすことになった。そして、全く帰れなくなって3年の月日が経とうとしていた。その時間の流れと共にライラを取り巻く環境も徐々に変わっていった。始めの頃は、母も妹もライラのことを遠巻きにしていたが、徐々に環境に慣れていくと少しずつ以前のような嫌がらせをするようになったのだ。


 相変わらず気の弱いライラは何もできずにいたが、父の言葉を心の支えに日々耐え忍んでいた。一つ大きく変わった事は、兄ブライアンが17歳の時に結婚を迎えたことである。義姉の名はミリーナ。名前通りの可憐で朗らかな素敵な女性であった。旧姓はミリーナ・カルダンコス。皇家の三女であったミリーナは、ロンチェスター家に降嫁してきたのだ。ブライアンは帝国に優秀な門官として日々尽力し、その功績が認められ宰相候補の一人となる。そのため、皇家はロンチェスター家との縁を更に強固なものとするためにミリーナを嫁がせたのであった。


 このミリーナという義理の姉がライラにとって新たなる心の支えとなったのだ。


 いまより2年前のこと。ケディックが帰れないと分かるやいなや、マライアは自分の好きに公爵家を染め上げるため、マイロ以外のほとんどの従者を一新したのである。それにより、ケディックの恐ろしさを知らない新しい従者達は主であるマライアとアメリアに追随して、ライラを見下すようになった。そんなライラにとって厳しすぎる環境を目の当たりにした心優しいミリーナはライラの味方にまわるのだった。そして、それは月日が流れライラが16歳となった今も変わることはない。




「お義母様。いくら何でも暴力を奮うなんてあんまりですわ。ライラも女性なのですよ? 顔に傷がついたらどうされるおつもりですか」


「この子は武勇に名高い両家の血を受け継いでいるのよ。私の教育にたかが嫁ごときが口を出さないでちょうだい。あなたはもう皇族ではないのよ。夫であるブライアンに尽くすことだけ考えなさい。......と言っても、相手にされてなかったわね」


 昔から何事にも興味関心を示さないブライアン。それはミリーナに対しても例外ではなかったようだ。痛いところを突かれグッと押し黙るミリーナに、マライアは勝ち誇ったように鼻で笑うと御付きを連れて部屋へと行ってしまった。その様子を何も言えずに見ていたライラは、未だに何も変われない自分に情けなさを感じつつも、いつも助けてくれる義姉に申し訳なさそうに謝罪する。


「……お義姉様。わたくしのせいで、嫌な思いをさせてごめんなさい……」


「ライラ……。そんなことないわ。可愛い義妹の盾になれるのだからわたくしは平気よ」


 自分のせいでミリーナを傷つけてしまったのに優しく笑い、気丈に振る舞うミリーナ。そしてライラのことを気遣ってさえくれる。そんなミリーナのことがライラは大好きだった。こんなにも慈愛と皇族特有の気品と美しさを兼ね備えた完璧な義姉ミリーナに、変わらず無表情に接する兄ブライアンに対してライラは少しだけ嫌な気持ちになった。


「またお姉様同士で傷の舐め合いをしていますわ。きゃはは! みっともなくて、見ていられませんわ」


 ぞろぞろと専属の従者を引き連れて見下したように笑うアメリアと、主を立てるように続いてクスクスと笑う従者達。いつも通りの光景のはずなのに冷たく笑うアメリアにライラはなんだか今日は嫌な予感がした。


「……アメリア。お義姉様はわたくしを庇ってくれただけなの。アメリアだってお義姉様の……」


「ごちゃごちゃと気持ち悪い!! はっきり喋りなさいよ!! 本っ当、何言ってるか声が小さすぎて分からないわ!」


 憎らし気にライラを睨みつけるアメリア。アメリアのライラへ対する憎しみと苛立ちは年を越すごとに増していった。特別な父に見向きもされず、愚図な姉を特別扱いする父。そんな認めたくない事実がアメリアの憎しみと怨みを長い時間が徐々に膨らませていったのだ。


 いつもよりも機嫌が悪いのか、いつにも増して嫌悪と憎悪をライラにぶつけるアメリアにミリーナもただならぬものを感じた。ライラは自分を守る様に父から貰ったペンダントをぎゅっと握りしめ、この場を静かにやり過ごそうとする。だが、そのライラの行為がとうとう爆発寸前のアメリアの一線を越えさせてしまった。吊り上がった目を更に吊り上げてギッと姉をにらみつけると、アメリアは胸元のペンダント目掛けて勢いよく掴みかかる。


「意気地なしの愚図が!! 調子に乗るな!! お父様の言う事を真に受けて粋がっちゃって馬鹿じゃないの!? それはこれから頂点に登り詰めるわたくしの胸元に輝いてこそ相応しい物よ!! よこしなさいよ!!」


「……いや!! やめて!! アメリア!!」


 ペンダントを巡って激しく揉み合う姉妹に辺りは騒然となった。ミリーナは今までに見たどれよりも激しい姉妹喧嘩にオロオロとし、アメリアの従者達もさすがに身分が下の自分達が主の体に無断で触れる事はできないと、同じく狼狽えていた。


「この!!……いい加減に!! しなさいよ!!」


「……あっ!」


予想外に強く抵抗するライラにアメリアの怒りは最高潮に達し、憎き姉を力の限り強く突き飛ばす。気づいた時にはもう手遅れだった。


「ライラ!!!」


 階段から受け身もとれずに転がり落ちていく義妹を必死で捕まえようと手を伸ばすミリーナ。その奮闘もむなしく、ライラは一番下まで転がり落ちるとピクリとも動かなくなった。その突然の出来事にさすがにやってしまったと顔面を青くさせるアメリア。そしてこの騒ぎに母マライアも執事長のマイロも何事かと駆けつけてくる。


「……!? ライラお嬢様!!」


「!? ライラ!? 何!! どうしたというの!?」


 動けないライラは周りの喧騒を他人事のように聞いていたが、やがて徐々に耳から音が遠ざかっていき意識は完全に途絶えるのだった。



ー・・



 生暖かい不愉快な風が頬を撫でた気がした。その何ともいえない不快感にライラは意識を取り戻すが頭が痛く、目はまだ霞んでいた。ゆっくりと上半身を起こすと少しの間落ち着くのを待つ。するとふと違和感を感じ、その違和感の正体を探るために手に力を入れた。屋敷にいたはずなのに手に当たる感触は紛うこと無き地面で、ライラは恐る恐る顔を上げる。その眼前に広がったのはこの世のものとは思えぬ光景であった。


「……えっ……どこ? ここ……」


 目の前の景色に愕然としてしまうライラ。一瞬、まさか自分は外に捨てられてしまったのではないだろうかという考えが浮かんだが、そんな考えは跡形もなくどこかへ吹っ飛んでしまう。空は赤黒く、薄気味悪い黒雲が所々渦巻いている。大地に草木はほとんどなく薄っすらとひび割れてさえいた。その地平線には大きな山脈が連なり見るからに険しそうな様相から来る者をまるで阻むかのようで、ここが明らかに現実ではないと戸惑ってしまうほど恐ろしさを感じさせる風景だった。


 小高い丘の上で目覚めたライラは困惑しながらも更に辺りを注意深く見廻した。すると近くに森があることに気づく。が、その森は木々が不自然に変形し、ライラのいる場所からでも分かるほど霧が濃かった。あんな所に一歩でも踏み込んでしまったら出てこられないかもしれないと恐怖から身震いする。


 どうしたらいいのか、なぜこんな事になっているのか分からず混乱から頭を抱えた。その時、地面を踏みしめ歩いてくる音と、ふと自分に影が落ちた気がして人だと思い期待を込めて勢いよく顔を上げる。


「……っ!! ひっ!!」


 目の前に現れた者の風貌を目にしたライラは恐れ慄き、思わず急いで後退りそいつから離れようとする。それは明らかに人間ではなかったからだ。背は低く、腹が出ていて姿勢が悪い。さらに肌は薄黒い緑色でその顔はまるで御伽噺(おとぎばなし)にでてくるゴブリンそのものだった。


 そいつの手には錆びた剣が握られていて、ライラをニヤついた顔で見下ろし近づいてくる。あからさまな遊び心と明確な殺意を感じたライラは、自然と体が小刻みに震えだす。本能では逃げたいのに体が言う事を聞かず声も出せなかった。そいつは獲物の前まで来ると、持っていた切れ味の悪そうな剣をゆっくりと振り上げていく。


「……っあ!……あぁ!! いや、いやッ……!!」


 怯えて何とか背を向け走り出そうとするライラの艶やかな黒髪を逃げられないように掴み上げ、心底楽しそうに顔を歪ませる。ケタケタと声になっていない声で笑うその化け物から必死で逃れようとライラは力の限りもがき続けた。


「いや!! いやあぁぁ!! 助けて!! お父さ……!!」


 無慈悲に容赦なく錆びた剣をライラの背に突き刺し、腹まで貫通させる化け物。その激痛に、焼ける様な熱さに呻き声を上げることしかできないライラ。そして刺された衝撃で愛する父から貰ったペンダントが自分の血で汚れてしまったことが酷く悲しかった。


「うっ……あ……ァ……」


 ズシャッ! と勢いよく剣を引き抜かれ血が噴き出す。まるでスローモーションのように自分が倒れる感覚に襲われた。



  あぁ……お父様。不甲斐ない娘をお許しください……

  お父様……と……ともに……せん…じょう……を……


 薄れゆく意識の中、父への想いともう楽になれるという相反する気持ちに身を任せ、ライラは意識を手放した。



ー・・



 生暖かい不愉快な風がまたしても頬を撫でる。その覚えのある不快感にライラは目を覚ますと絶句した。


「なん……で……。わたくしは、刺された……はず……」


 刺されたはずの腹部に傷はなく意識もはっきりとしていた。ハッと気づいたように胸元で輝く父の愛をとっさに握りしめ、無事なことに安堵しまた辺りを見廻し観察する。そこは先程と全く同じ場所だった。生きていることにあれは夢だったのだろうかと考え、一瞬でその考えを破棄する。


 先程の激痛と苦しみの記憶が体に刻み込まれていた。あれは紛れもない事実だったと。嫌な汗が止まらない。


 ジャリ……


 砂を踏みにじる音に勢いよく顔を上げる。


「あ……っ! あぁ……!!」


 目の前にまたそいつが現れた。切れ味の悪そうな剣を手に、ニヤニヤと変わらぬ下品な笑みをライラに向けている。そしてまた無慈悲に剣は振り下ろされた。


 終わらぬ地獄にライラは絶望した。



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