触れられない心3
二日後、一行はタンディール地方へ行く船の中にいた。船は一日でつくと言う。
滅多に行く者がいないため、流通のやり取りがあるときしか船は出ていない。二日の滞在で済んだのは、ある意味運がよかった。
「琅悸、あそこに地竜王の使っていた神具があるのですね」
「……そうだな」
うっすらと見える島。妖精達がひっそりと暮らす島は、初代地竜王が育った地。
どのような想いで眺めているのか。氷穂は、ずっと島の方を見ている琅悸が気になった。
「過去の使い手は、とても強いのですよね。大丈夫ですか?」
地竜王の神具は、当然ながら地竜王の末裔である琅悸が担当する。戦闘は全員でだろうが、取り戻すのは彼しかいない。
「わからん……」
そっけなく返された言葉。目の前に大きな壁があるような、そんな気分にされた。
「そう、ですか」
このまま傍にいても、彼はずっと外を眺めているのだろう。話しかけたところで、返ってくる言葉も変わらないとわかっていた。
氷穂は静かに部屋から出る。そのまま、風に当たろうと外へ向かう。
行く者がほとんどいない島。そのおかげで船内に客はいない。外へ出たところで、他の客と会うこともなく、気分転換にはいいと思えた。
「どうかした? 風邪引くよ」
さすがに夜も遅い時間なら、風は冷たい。寒い土地の出身だから大丈夫と言いたいところだが、そうではない。昼との気温の差が激しく、体調を崩しかねないのだ。
「飛狛さん…」
過去の世界から来た魔法槍士は、穏やかな笑みを浮かべ立っていた。
手にタオルと槍を持っているのを見れば、手合わせをしていたのだろう。相手は黒耀か柊稀辺りだと、氷穂にもわかる。
「なにかあったなら聞くよ。俺は過去の者だから。ある意味、気にせず話せるんじゃないかな。それに、琅悸のことでしょ」
知り合ったばかりだというのに、彼はすべて理解しているのだと気付く。
穏やかな青年だが、飛狛といい夜秋といい、見た目以上の観察力を持つ。秋星も騒ぎながら、見ることは見ている。
隠せない。この三人には、なにも隠すことはできないと思い知らされた。
「……琅悸の、ことが見えないんです。壁があって、触れることができない」
昔から知っていた。巫女殿によく出入りしていたからだ。
次の巫女として、神殿で育った氷穂。先代の巫女に連れられ、琅悸と会った日は今でも忘れない。
「おかしいですよね。私、小さな子供だったのに、一目で好きになったんです」
幼い少女は、自分に向けてくれた笑顔にときめいた。自分の相手はこの人しかいないとすら思ったのだ。
「私がなついたのを見て、先代の巫女は彼を護衛にしました」
巫女の命を狙う者がいる。村人から護衛をと言われ、選ばれたのが琅悸であった。
一度巫女を救っていたからこそ、安心して任せられるとの判断だ。
「巫女と護衛……互いに肩書きができてからは、昔のように笑うことはなくなりました」
ずっと隣にいた彼は、護衛として一歩引いた位置から氷穂を見るようになっていった。
特に、この旅が始まってからは酷いと氷穂は言う。
虚空や黒耀がいる影響は大きい。気がつけば、ほとんど発言をすることもなく後ろにいる。発言しても、その言葉にはどことなく壁を感じられた。
「彼は、護衛として動いているみたいだからね。見てみないとわからないけど、戦い方もそうなんじゃないかなぁ」
「戦い方も変わるものですか?」
戦い方の違いなど考えたこともない。なにがどう違うというのか。不思議そうに氷穂は見る。
「人にもよるけど、変わる人もいるね。護る剣と殺す剣は、同じで違うよ」
ふっと笑みを浮かべる飛狛は、その手を血に染めてきた側だ。だからこそ言える言葉もある。
「琅悸は……どちらなのでしょうか」
「それは、あの島で見られるんじゃないかな」
相手が地の神具である以上、今回ばかりは彼が表に出なくてはいけない。あの神具の使い手は今現在、琅悸以外に考えられないからだ。
それは氷穂にもわかっている。だからこそ、余計に心配だった。今の彼がなにを考えているか、それがわからなくて。
ただ、祈ることしかできない。彼なら大丈夫だと信じて。
ユフィですら、一番やばいと言う過去の使い手。琅悸に勝ち目はあるのか。
「あの、地の神具使い手は……」
どんな人なのかと聞きたかった。ユフィは親しい間柄だったようで、少し聞きづらかったのだ。
「強さの話なら、とても強いよ。俺も大会で何回も戦ったけど、勝敗は五分だった。魔法も剣術も得意だし、なによりも速い。あの素早さは厄介だ」
「そう、ですか……」
負けるかもしれない。それだけ強いなら、琅悸では無理かもしれない。
信じたい気持ちと負けるかもしれないという気持ちが、氷穂の中で交差する。
「信じてあげなよ。きみが信じてあげなきゃ」
「飛狛さん……そうですね。信じます」
彼が勝つことを。彼がいつか、昔の彼に戻ってくれると。
「なんだなんだ? 浮気か、飛狛」
「バカっ、違う!」
いくら妻に似ているからといって、手を出すわけがない。
場の空気を変えるためとわかっているが、突然現れた秋星に怒鳴れば、氷穂は声を上げて笑った。
「笑っている方がいいですよ。女性は特に」
「はい」
自分を励まそうとする三人に、氷穂は心の底から感謝した。
朝日が昇る頃、琅悸は外へ出ていた。日課となっている鍛練のためだ。剣を握り精神を集中させれば、気持ちは落ち着いていく。
剣を振るう感覚を感じ、剣が空気を裂く音だけを聞いていれば、邪念は消え失せる。今は必要ないというように。
研ぎ澄まされた神経の中、空気が変わっていくのを感じる。どことなく、自分に近い力を感じたのだ。
「タンディールに張られた結界だな。初代地竜王が張ったもんだ」
「ユフィ……」
あれだけ神経を研ぎ澄ませていたにも関わらず、この精霊に気付かなかった。
「珍しいな。俺に気付かないなんてさ」
「うるさい」
気付かなかったのではない。気付かせなかったのだ。
それがわからないほど、琅悸はバカではない。ユフィが普通の精霊でないことぐらい、気付いている。ただ問わないだけで。
「お前さ、一人でやってみないか?」
「過去の使い手と、か」
「そうだ」
なんて提案をしてくるのか。それとも、なにか意味があるのか。
琅悸は探るようにユフィを見た。この精霊がなにを考えているのか、知ろうとしてみたのだ。
しかし、なにも読み取れない。いつも通りの表情。いつも通りの態度。見慣れた翳りをもった金色の瞳からは、なにも感じ取れなかった。
だからこそ、違和感がある。
「全力でやれる相手だと思うぜ。お前、全力でやれるのいねぇじゃん」
「……知らないだけだろ」
「かもな。世界は広いからなぁ」
確かに広い、と琅悸も思う。旅をしていると、まだまだ知らないことがあるのだと思い知らされた。
「全力で、か……考えてみる」
言葉の意味を確認するように呟き、彼は視線を逸らす。
「考えてってなぁ」
その気がないとわかり、ユフィはずっと言おうとしていた言葉を紡ごうとした。
「俺はあくまでも、フェンデの巫女護衛でしかない」
それ以下でも、それ以上でもないのだ。ただ、フェンデの巫女を護るだけ。氷穂が護れればいいのだ。
「それで、いいのか。それだけで……」
「構わない」
「今のお前に、氷穂を護れるのか」
「護るさ。絶対に」
(世界が滅ぶとか、俺には関係ない。邪教集団が氷穂に絶対手を出さないとわかるまで、ただ戦うだけだ)
氷のような鋭い視線を一度島へ向け、琅悸は船内へ戻っていった。
その背中をユフィが、誰も見たことがないほどの怖い表情で見送る。本当にそれでいいのかと、語りかけるように――――。
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