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第二話 ハンバーグ弁当

 自宅に戻れば美里に「おかえりなさい」と出迎えられて驚いた。研究所で葉山と長々と話していて帰るのが遅くなってしまったので、てっきり美里は先に寝てしまったと思っていたのだが、いまだに起きていたらしい。


「どうしたんだ、君はまだ寝ていなかったのか」

「貴方の帰りを待っていたのよ。全く、夕飯も食べずに慌てて出て行くなんて信じられないわ」


 文句を言いながらも、美里は当たり前のように電子レンジのスタートボタンを押す。私は「そうかい、悪かったね」と返しながら椅子に座った。彼女の気遣いが心地いい。少ししてから、温かい弁当を美里から渡される。


「そういえば、貴方。さっき電話に出たと思ったら一目散に家を出て行ったけれど、何があったの? 脳科学研究所からだったわよね」


 ハンバーグをフォークでつついていると、美里に声をかけられ、私は顔を上げた。


「ねぇ、問題でもあったの?」

「あぁ、いや、そういうんじゃなくてね。その――」


 私は葉山から聞いたことを話そうと口を開いたが、僅かに躊躇して口を閉ざしてしまう。誤魔化すように口の中の肉を咀嚼して飲み込んだ後、私はゆっくりと言いなおした。


「そう、冷凍保存の料金設定が急遽変更になったっていう連絡だったよ。今考えると、私がわざわざ出向く必要もなかったね」

「貴方はちっとも人の話を聞かないものねぇ。変な勘違いしていきなり押しかけて、葉山さんに迷惑かけたんじゃあないでしょうね」

「君は手厳しいね……」


 私が不満げに呟くと、彼女はクスクスと笑った。


「貴方との付き合いも長いんだから、細かいことをグチグチ言わないで頂戴」

「そうかい、そうかい」


 こういう時に下手に反論しないことが家庭円満の秘訣である。弁当に視線を戻して美里の言葉を右から左へと聞き流していると、彼女は「でも」とため息をついた。


「私の脳が破損したとか、そういう話じゃなかったのは良かったわ」


 その言葉に再び顔を上げれば、美里はどこか曖昧な表情をしていた。


「貴方ったら電話の内容も言わずに飛び出していったじゃない。本当に心配したんだから……」

「……すまなかったよ」


 私がそう言えば、彼女はどこか寂しそうに笑った。


「ちゃんとあなたが生きている間に、私をお役御免にして頂戴ね」

「……君はそれでいいのか?」


 私の問いはどうしても小声になってしまった。しかし、私の言葉を聞いた彼女の表情は何故か曖昧なものから一転して、明るいものになる。


「何十年も貴方といたんだから、いい加減に満足よ。むしろ、これ以上は御免ってくらい」


 そう言って、美里は心底幸せそうに笑った。




 夜は二人のベッドに潜りこむ。かつては情熱的に体を重ね合わせたこの場所は、今は彼女との間にある穏やかであたたかな愛情を確認しあう所となった。


「貴方の帰りが遅いから、眠くて仕方ないわ……」


 そう言って美里は大欠伸をする。私が「すまなかった」と謝れば、彼女は「素直でよろしい」と冗談めかしたように述べた。


「そういえば、貴方」

「何だい」

「明日の朝食は何にしようかしら」


 ……いつもはそのようなことを言わないというのに、どうして今日に限って、彼女はそのようなことを私に問いかけるんだ。私は一秒ほど考えこみ、五秒ほど沈黙した後、自分の思う答えを返した。


「明日の朝に食べたいと思ったものを電子レンジに放り込むのはどうだい」

「そうねぇ。それはいい考えねぇ」


 彼女はのんびりとそういった後、ゆっくりと目を閉ざした。

 おやすみ、貴方。

 うん、おやすみ。

 いつも通りの挨拶を交わした直後、美里は一瞬にして眠りに落ちた。寝ずに私を待っていた彼女は相当眠気を我慢していたに違いない。

 彼女がすっかり眠り込んだことを確認して、私は体を起こす。自身の胸元に手を突っ込んで首にかけた紐を引っ張り、肌身離さず身に着けている小さなカードを取り出す。

 私は寝入っている美里の顔をジッと見つめた。彼女はとても穏やかな表情をしていた。私は彼女に手を伸ばし、前髪をそっと分けて額を露出させる。

 ――その時の私は、喜とも哀とも異なる、何とも言えない心地であった。

 美里は眠る。本来ならば睡眠は必要ないが、生身の人間に似るように「眠気」というものが設定されているのだ。また、定期メンテナンスの際に体を入れ替えて「老い」も再現されている。美里の脳が冷凍保存された際にはなかった深い皺が刻まれた彼女の頬を撫で、私は暫くの間、口を噤んだ。

 三時間が経ってから、私は彼女の額にカードを押し当てた。

 すると彼女の口が急にパカリと開かれ、そこから私の知る彼女の声とは似て非なる機械音声が滑らかに流れ出る。


『アンドロイド【美里】を停止しますか』

「――停止する」


 抑揚のない確認音声に返答すれば、彼女の口はパクンと閉じられ、彼女の体がピーと音を鳴らした。

 こうして私の嫁を模して造られたアンドロイドは停止した。

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