3
3
杉の木のあわいを抜けた先に静かの森はあった。
森のなかにある『森』は、学校や病院を思わせる鉄筋コンクリート造の無機質な建物である。
周囲を背の高い木に囲われて窮屈そうにして、そこかしこに補修跡のある外観は一見すると廃墟と見間違うが、たしかに人の暮らしのにおいがする。
「おまえの新しい家だ」
シンを降ろすと、男は蔦の張った外壁を見つめながらいやに落ち着いた声で言う。
「新しい家、か。快適そうでなによりだよ」
「おれは車を停めて通常業務に戻る。おまえはまず施設長のウラガ氏に会いに行け」
そう言い残して去ろうとする男を、シンは引き留めた。
「待ってくれ。施設長はどこにいる?」
「たぶん執務室だろうな」
「だから、その執務室がどこに?」
「それくらい自分で探すんだな。おまえも今日からパパになるんだ。なんでもかんでも他人に尋ねていたんじゃあ駄目さ」
装甲車が土煙を立ち上げて走り去っていく。わけもわからぬままひとり残されたシンは、頭をかきながら溜め息をついた。
自分で探せと言われたって、こちらは右も左もわからないのだ。それに、パパになるだって? いったいなんの冗談だ。おれはまだ結婚だってしたことないのに。シンは苛立ちをぐっと堪え、建物の入り口を探した。
外観からおおよその想像はついていたが、建物はその内装も決して綺麗とは言い難い状態だった。壁のクロスは浮いたり黄ばんだりしているし、フローリングは踏むとミシミシと音がする。ところどころ修理された痕跡はあるものの、建物全体を蝕んでいく老朽化を誤魔化すことはできず、そこに森の湿った影が落とされていっそう感傷を誘った。
シンは東西に伸びる長い廊下を渡った。子どものころに通った学校に似た構造が、楽しかった思い出と辛かった思い出を交互に呼び起こす。廊下の片側には教室を連想させる造りの部屋が連なって、そこでは幼い子どもたちが机を並べて大人たちの言葉に耳を傾けている。ひとつ学校と異なる点があるとすれば、大人たちの手にしているものが教科書ではなく銃やナイフだということだが、子どもたちはその不自然さなど気にも留めず、熱心に話を聞いている。
あそこにいる子どもたちが『コラージュ』だろうか。シンは彼らに気づかれぬよう、そっと室内の光景を覗き見る。
コラージュ。遺伝子操作によって生み出された人造人間。
人間の代理として世界じゅうのあらゆる戦争行為に従事する生きた兵器。
どれだけ深手を負っても、同胞の死肉を『吸収』することで回復可能な身体を持つ、人ならざる者。
彼らは材料となる肉さえ揃えば、腕でも脚でも、臓器でさえも、ほとんど瞬時に復元できるのだという。
それだけ聞けば、コラージュとは化け物と同じだという気がするが、実際に彼らを目の当たりにするとまったく別の感情が湧いてくる。
「人間となにも変わらないじゃないか」
われ知らずシンが呟いた声に、室内の子どもたちが一斉に反応する。しまった。シンがそう思ったときにはすでに手遅れだった。突然の来訪者にざわめく子どもたちのなかから、ひとりの男の子が立ち上がる。
「新しいパパだ」
その言葉をきっかけに、子どもたちが次々と席を立って駆け出してくる。
「おい、ちょっと待ってくれ」
シンが言うより先に、子どもたちが彼を取り囲んだ。
どこから来たの。なにをしに来たの。外から来たんだよね。森の外ってどんなところなの。誰のパパになってくれるの……。子どもたちは瞳をきらきらと輝かせて訊ねてくる。興奮の赤外線にシンが浮かされていると、教壇に立っていた女が両手を叩く。
「こらこら。みんな落ち着いて。パパが困っているでしょう」
それから彼女はシンに向けて微笑んだ。
「あなたが新しくやって来た監察官ね。話は聞いているわ」
「ええ。ソノエ・シンと言います。実は、ウラガ施設長を探しているのですが……」
「なら、玄関の脇にある階段を上がって、最上階まで行くといいわ」
「玄関脇の階段ですね。ありがとうございます」
シンが頭を下げて立ち去ろうとすると、子どもたちが、バイバイ、さようなら、また来てね、と口々に言う。年は七、八歳くらいだろうか。人懐っこく、好奇心旺盛な子たちだ。シンは彼らに苦笑気味に手を振ると、急ぎ足で来た道を戻り、最上階へと向かった。
六階建ての最上階には放送室や会議室、それに来客用の応接室などが設けられており、この階だけは内装や調度品も高級なものが揃えられていた。床もフローリングではなく赤い厚手のカーペット敷きで、踏みこむ足をクッションのように柔らかく受け止めてくれる。
「執務室は……あそこか」
突き当たりの執務室にたどり着いたシンは、小さく咳ばらいをしてから扉をノックした。