フットボーラー補完計画 ーThe last lesson Ⅱ- その1
優斗の家の六畳間に拵えた質素な後飾りの祭壇には、おじさんの遺骨と在りし日の遺影が飾られていた。
写真の中のおじさんはとても幸せそうで……きっとこれは、優斗の家がああなる前の、まだ幸せな頃に撮られた写真なのだと思われた。
俺は線香を上げると、手を合わせて「おじさん、どうか天国で安らかにお休みください」と心の中でご冥福を祈る。
隣にいる司も、神妙な面持ちで手を合わせていた。
すると、「わざわざ、すまんなー、二人共忙しいのに」と優斗。テーブルの上に置かれた湯飲みにとぽとぽとお茶を注いでくれている。
「いいって、いいって、気にすんな。今日は午後からフリーだったんだ。それに初七日にもこれなかったんだし」と振り返って司。
「ええって、ええって、司君も、神児君も、試合で忙しいんやし、こっちは告別式まで来てくれただけで御の字や」そう言いながら優斗も慣れた手つきでおじさんの遺影に線香を上げた。
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「しっかし、昨日は笑わせてもろたで。なんや、神児君、最後のあのイエローは」と、葬式まんじゅうを食べながら優斗。
「ほんと、もう返す言葉がございません」と、しおしおになりながら優斗の入れてくれたお茶をすする。
「ったく、試合の終わった後すぐに、天皇杯が出場停止にならないかどうか調べさせてもらったよ」と俺のことをジーっと見つめながら司。あれっ、なんか口の周りにあんこでも付いてますか?僕。
「ああ、それ、僕もしたわ。ほんと、最後の試合でスタンド観戦とかシャレにならんで」と、ジーっと見つめながら優斗。あれっ、なんか口の周り……(以下略)
「まあ、おかげさまで天皇杯の出場停止は無かったという事で」とさっさとこの話題を切り上げたい俺。
「ったく、次はねーからな!!」と大変ご立腹な上司。
いいじゃないですか。僕のお陰で勝てたのですから……
「そやけど、昨日の試合はお客さん凄かったなー」と感心したように優斗。
「いやー、俺もアマスタでの試合で4万入ったの初めて見たわ」と二個目の葬式まんじゅうを食べながら俺。
「それにしてもイエニスタ効果ってのはすげーもんだ」とお茶請けの糠漬けをポリポリ食べながら司。
ここだけの話、優斗の家のおばさんの漬けた糠漬けが絶品なのだ。
どれどれ俺もちょっとご相伴を……
昨日の神戸FCとの試合の後、午前中のリカバリーを終え、午後はフリーとなったために、優斗の親父さんに線香を上げに来た俺と司。まあ、それ以外にも募る話がいろいろあるんだけれどね。
「そうそう、それよりも、リバプール移籍おめでとうな、神児君、司君」と途端に目をキラキラさせながら優斗。
「なんか、正直、ぜんぜん実感が湧かないわー」と俺。
「実質、移籍交渉が始まってから一月経ってないんだもんなー」と司。
「でも、同級生がリバプールってなんか夢物語みたいや。だってこの前まで一緒に寮で飯食ってたんやから」とワクワクが止まらないと言った感じの優斗。
「ってか、今でも一緒の講義出てんじゃねーか」と司。
「……あっ、そやった。そやった。ってか、ちゃんと卒業できんの、神児君、司君」と、ちょっと心配そうな顔になった優斗。
「んー……多分」と眉間にしわを寄せて司。
「まあ、なんか、いろいろ考慮してくれるみたいっすよ」と、ある意味開き直ってしまった俺。
日本にはいなくなってしまうので、後期の授業は間違いなく全欠の俺と司。でも、西島監督の伝手で、長期の休みの時にスクーリングをしてくれるとか……
「でっ、でっ、ぶっちゃけ、給料おいくらなんや?」と人差し指と親指で丸を作り、今度は別の意味で目をキラキラさせて優斗。
「んー、そういう話はちょっとなー」と先日、津久谷さんから契約内容についてはあまりペラペラしゃべらないようにと釘を刺されたばっかの俺。
「まあ、新聞に書いてあるのに遠からずって感じだよ」と素知らぬ顔でお茶をすする司。
「そんなん、つれない事、言わんといてや。僕達の仲やないか。それに今日は陽菜もおかんも居ないし、ほんと、絶対誰にも言わんから、ここだけの話、なっ、なっ」と意外としつこい優斗。
珍しく今日の稲森家は優斗っきり。陽菜ちゃんは春樹とサッカークラブに行っており、お母さんは仕事みたいだ。
でも、そこまで頼まれちゃったらなー。どうする?という感じで司の方を見ると、まあ、しゃーねーなーと言った感じでゴニョゴニョゴニョ……
「うっひゃー、マジかいや!!さんぜんはっぴゃくまんえんって!!」
「こら、シーっ!シーっ!シーっ!」と口に人差し指を当て大慌ての司。
「大丈夫や、大丈夫、この都営、ボロボロやけど随分と頑丈な鉄筋で作られてるから防音だけはしっかりしとんのや」とコンクリート製の壁をペシペシと叩く優斗。
すると……「よーっし、じゃあ、お返しに僕のとっておきの話、教えてあげるわ」と頼んでも無いのに妙に話したそうな優斗。
おやおや、なんだい、その『とっておきの話』ってのは。気になるじゃないか。
「まさか、寮の近くの定食屋のお得メニューとかじゃないだろな?」と司。
「そんなん、拓郎やないんやから、ちょっと待っといてな」
優斗はそう言うとスタスタと隣の部屋に行ってしまった。
「なんだ?」と司。「なんだべ?」と俺。
しばらくすると、随分とご立派な紙封筒の中からクリアファイルを取り出して俺達に‶ドヤ"って感じで見せて来た優斗。なんだか全て真っ赤ってのがちょっと気になるんだが……
もっとも、そのクリアファイルの中央に描かれたエンブレムに気付き俺も司も大体の察しは付いた。
「それって……」と俺。
「決まったのか?」と司。
「おかげさんで」
優斗はそう言うとニヤっとVサインをした。
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「ってか、さんぜんはっぴゃくまんえんって、僕とほぼ一桁ちがうやん。やっぱ代表に選ばれるとそんなんなるんやなー」と感心しきりの優斗。
「いっとくけど、今年の年棒はお前の提示されたのと大して変わんねーからな」と相変わらずポリポリと糠漬けが止まらない司。
「ってか、支度金入れたらお前の方がもらってるんじゃないのか?やっぱレッズみたいなお金持ちのクラブは違うねー」と二つ目の葬式まんじゅうを食べながら俺。
「そうそう、くれぐれも他の人には黙っとけよ。とくに陽菜ちゃんとかにはな」と司。
「もちろん、もちろん、あっ、僕のも絶対他の人に言わんといてね」と優斗。
「「了解、了解」」
ご想像の通り、クリアファイルの真ん中に描かれていたのは『埼玉レッドデビルズ』のエンブレム。
そしてその中身は優斗との契約書の写しだった。
「まあ、でも、まだ、本決まりや無くて最後の詰めのところやけどな。でも、津久谷さんやっけ?ホンマええ人紹介してくれたわ。ありがとな司君」と優斗。
「まあ、ちょっと頼りなさそうだけれどな」と司。
「確かに!!」と俺と優斗。
実はワールドカップから帰って来て、西島監督に挨拶に行った際、監督から「稲森がレッズとの契約交渉に入ってるんだが誰かいい代理人とか知ってるか」との相談があったのだ。
まあ、俺達の知っている代理人と言ったら一人しかいないし、津久谷っちからも「どなたか代理人を探しているお友達とかいらっしゃいませんか」と言われていたので渡りに船。もしかして、お友達紹介のキックバックとかあったりするんですか?(ワクワク)
すると……「おいっ、あんましがめつい事考えんな」と司。
「なっ、なっ、何を言ってるんですか!?」と、しどろもどろに俺。
とりあえず、三つ目の葬式まんじゅうを手に取り俺は落ち着きを取り戻す。
「そういえば、いつからなんだ優斗?」とレッズとの契約書を見ながら司。
「今、監督と相談してる最中やわ。あちらさん、できれば大学のリーグ戦、後期が始まる前に来て欲しいみたいなこと言っとるんやが……」と優斗。
「まぁでも、ちょっと早いけど、おめでとうな、優斗」と俺。
「ああ、おめでとう、優斗」と司。
「ありがとうな、神児君、司君」優斗はそう言うとにっと笑った。
高知フィッシャーズとのごたごたがあってから4年、ようやく俺達は優斗に心の底からの「おめでとう」を言えることが出来たのだ。
そこで司ははたと気が付いたのか、「えーっと、この事って、おやじさんには……」と。
「うん、言えたで。最後の方は意識が朦朧としてたけれど、僕が言った時、手をギュッと握ってくれたから、おそらく分かってくれたんやと思う」
優斗はそう言うと振り返っておじさんの遺影を見た。
すると……「あっ、そやそや」と、優斗はそう言って台所の方へパタパタと行ってしまった。
「なんだ?」と司。「どうしたんだ?」と俺。
「ゴメン、ゴメン」と優斗はすぐに戻ってくると、手にワンカップの日本酒を持って来た。
そして、遺影の前にお供えすると、おじさんの遺影を見ながら優斗は背中越しに話しかけてきた。
「おやじ、アホやから、僕たちと別れてから、一滴もお酒飲まんかったって言ってたんや。まぁ、ホンマかどうか知らんがな」そう言いながら、優斗はワンカップの蓋を開ける。
「いや、きっとほんとだよ」と俺。
「ああ、そうだよ」と司。
「なあ、とーちゃん、天国行くまで、まだちょっと時間ありそうやから、大好きな酒でも飲みながら僕達の試合でも見てゆっくり行ったらええ」そういって、優斗は遺影のおじさんに向かって乾杯を捧げる。
そして……「ありがとうな、神児君、司君、僕な、なんてお礼言っていいか分からへん」遺影に向かってそう言う優斗の肩は震えていた。
「気にすんな」と司。
「ああ、気にすんなよ、優斗」と俺。
「けど、皮肉なもんやな。僕達の試合が、神児君達の日本での最後の試合になってもうた」と相変わらずおじさんの遺影を見つめながら優斗。
「まあ、そう言う事もあるさ」と司。
「うんうん」と俺。
「司君、神児君、ホンマ、今までどうもありがとうな。僕、司君達と出会わんかったら、大学にも行けへんかったし、サッカー選手にかてなれへんかった。ホンマありがとうな」と優斗。
「なんだよ、急に……それに、お前がレッズとの契約を取れたのはお前の努力があってこそだ」と司。
「いや、これだけは先に言わせてくれや。稲森優斗いうサッカー選手が今いるんは、間違いなく司君や神児君のお陰や。だからホンマ心から感謝しとる。これはケジメや」と優斗。
「……先に?」と俺。「……ケジメって」と司。
その時ふと、優斗から違和感みたいなものが伝わって来た。
「実は、神児君達にまだ言ってなかったんやけど、親父からの遺言があったんや」と相変わらず祭壇に向いたままの優斗。
「遺言って……」と司。
「ああ、この前の天皇杯での神児君達の試合、あれも親父と一緒に見たんや」
「そ……そうか」と司。
するとその時だった。優斗はおじさんにお供えしたカップ酒を手に取ると、一気にクーッと呷ったのだ。
「おっ、おい優斗!?」と慌てたように司。
「大丈夫か?」と俺。
俺は優斗がそんな感じでお酒を飲むとこなど今まで一度も見たことが無かったのだ。
カップ酒を飲み切った優斗はターンッ!!と祭壇の上にガラスのカップを置くと、クルっと俺達の方に振り返った。そこには今まで俺達に見せたことの無い鋭い眼光の優斗が……
「不思議なんや、神児君、司君。SC東京と戦うと決まってから、神児君や司君と戦うって思うだけで、体の震えが止まらんくなる。別に怖いって訳や無い。こういうの武者震いっていうんかな?」
そう言うと、くるおしそうに自らの両肩を掴みながら、鋭い眼光をそのままに、優斗はニヤッと笑いかけて来た。
そして……「あー、よかった……今日は神児君達と大切な話があるからってって、陽菜やかあちゃんには出てってもらってたんや。だって、こんな顔、見せられへんもんな」とクックとこみ上げて来る笑いを嚙み殺しながら優斗。
そうだ、優斗はさっきから泣いていた訳では無く、俺達と全力で戦える喜びに打ち震えていたのだ。
そして……「親父への手向けや、悪いけど今度の試合勝たせてもらうで」と……難波のガウショが初めて俺達に牙を剝いて来た。
ああ、そうか。そう言う事だったんだな、優斗。
すると、司も「そうか」と……
「神児君達の試合、父ちゃんと見てな、僕な、最後に言われたんや。『優斗、勝て』って……だからな、神児君、司君、ホンマごめんやけど、僕、約束守らなあかん。手加減できひんくてごめんな」優斗はそう言うと、再びニーっと笑った。
そうか……そうだよな。こういう場合は俺もお前の挑発に乗るのが作法ってもんだよな。
ならば……「上等だ。ぶっ潰してやる」と俺。
そして……「いいぞ、優斗。かかって来いよ」と、どこまでも冷静に司。
北里司の最後のレッスンが始まる……




