フットボーラー補完計画 ーThe last lesson Ⅰー その8
「えっぐいなー」と呆れた様子のおじさん。
「今のたっくんのヘディング、もしかしてクリロナよりも高かったとか?」とちょっと引き気味の春樹。
「あんなん無理や、あんなんやられたら、もうごしゅーしょーさまやで」と両の掌を上にして戦意喪失の陽菜ちゃん。
「こらっ、陽菜」と‶ごしゅーしょーさま"という言葉がこの部屋では似つかわしくないことにおばさんが注意する。
「……ごめんなさい」と今言った自分の失言に気がついたのか、素直に謝る陽菜ちゃん。
「ええて、ええて、気にすんなて、わしかてそう思ったんやから」と明和が同点に追いつき幾分気力を持ち直したかのようなおじさん。
そして、「いまのわしには、モルヒネなんかよりも、明和のゴールがいっちゃんの気付け薬や」とうそぶく。
そこから先の試合は正に死闘と呼ぶにふさわしいものだった。
積極的に前からボールを奪い合うようになった町田SCと明和大。もちろん、優斗も献身的に前からボールを追い続ける。
その度におじさんは、「ええで」、「その調子や」、「走れ優斗」と小さいながらも声を上げる。
見ると、額には玉のような汗を浮かべながら、それでもおじさんは絶対にモニターからは目を離さなかった。
そのうちに、「走れ優斗」、「走れ優斗」とつぶやくようにしか言わなくなったおじさんに、遂におばさんが音を上げた。
「もう十分頑張ったんだから、先生呼びましょ、もう……いいでしょ」と。
それでも、おじさんは首を縦に振らない。
すると、陽菜ちゃんも「お父ちゃん、陽菜からもお願い。先生呼ぼ」と。
だが……「すまんな、お前、陽菜。でも、わし決めたんや。何があってもこの試合だけは最後まで見届けるって。そんで地獄行ったら閻魔さんに自慢したるんや。わしゃー、息子の晴れ姿見るためやったら、なんぼでも我慢できるって。別に血の池地獄や針山地獄なんか怖ないって」そう言うと、痛みの為か、おじさんは涙を流しながらもケラケラと笑って見せたのだ。
「あほやなー、アンタ」とおばさん。
「あほやなー、とうちゃん」と陽菜ちゃん。
そういうふたりは涙をポロポロと流しながらもおじさんに寄り添い笑っていた。
「ああ、アホなんや、だから……アホは死ななきゃなおらん。かんにんな……かんにん……」
すると、その時だった。
『稲森選手、再び左サイドを突破!!』
『町田のPA内に入りました』
『そしてまたしてもエラシコ!!』
『DF付いて行けない!!』
「行け!」とおじさん。
『GKと一対一』
「打て!」と司。
『稲森、振り切ったー!!』
「にいちゃん」と陽菜ちゃん。
「優斗」とおばさん。
『決まったー!!』
「優斗!!」と俺。
『稲森選手、エラシコからの、町田ゴールニア上を打ち抜いたー』
『遂に決めましたね』
「……優斗」とおじさん。
「優斗の奴、決めましたよ」と司。
「ありがとうなー」
「優斗の奴、やりましたよ」と俺。
「ありがとうなー」
「兄ちゃん、決めたんやで」と陽菜ちゃん。
「ありがとうなー」
「優斗君、決めたよ」と春樹。
「ありがとうなー」
「あんた、優斗、やったわよ」
「ありがとなー」
おじさんは息も絶え絶え、それでも、とても、とても幸せそうな顔で「ありがとう」とみんなに言ってくれたんだ。
第98回天皇杯3回戦、町田SCvs明和大学は、後半38分、優斗のゴールにより2-1となった。
――そして、10分後、
『明和大学、難敵町田SCを撃破、天皇杯ベスト32進出です!!』と、テレビからアナウンサーがそう叫ぶ。
それと同時に、おじさんの気力も途切れてしまったのか、気を失ったかのようにガックリと体をベッドに沈ませた。
「とうちゃん、大丈夫?とーちゃん!?」
だが、おじさんは全く反応せず。
「すいません、稲森です。すぐ来てください」と必死にナースコールをするおばさん。
「ちょっと、看護師さん、そばにいないか探して来ますね」そういって、立ち上がる司。
「じゃ、じゃあ、俺も」と俺も司の後を追う。
すると、病室のドアを開けたすぐその横で、優斗が目を真っ赤に泣き腫らせて立っていた。
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俺と司は、病室の中にいるおじさん達に気付かれないように、優斗を少し離れた場所まで連れて行く……
すると、「ありがとうな、司君、神児君」と優斗。
「大丈夫か優斗?試合終わってすぐ来たんだろ?」と俺。
「うん、監督が、すぐ病院行ってやれって」そう言うと、優斗は涙を拭う。
「親父さん、立派だったぞ、最後までお前の試合見届けてたぞ」と司。
「ありがとな、司君」
「ああ、おじさん、どんなに苦しくても、痛み止め我慢してお前の試合見てたんだからな」と俺。
「ありがとうな、神児君」
俺達は、天皇杯3回戦突破を祝うよりも、優斗が決勝のゴールを決めたことを讃えるよりも、おじさんが、お前のプレーを見逃さずに、全部見ていたことを最優先に伝えなければならないと思ったんだ。
「ありがとなー、司君、神児君」涙を流しながら優斗は言った。
実は、試合が始まる前に、司が機転を利かせて、アンテナの調整と一緒に病室のテレビをHDDデコーダーに繋げていたのだ。
そして、おじさんが痛みで意識が朦朧となると、その都度停止させて、おじさんの様子を見ながらタイムシフトで試合を再生してたのだ。
時計を見ると、既に夜の11時を回っていた。
ひっそりとした深夜の病院の廊下には優斗のすすり泣く声だけが聞こえる。
その時だった。看護師さん達が俺達の脇を小走りで通り抜けおじさんの病室に入って行った……
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それから一週間後だった。
おじさんが眠るような安らかな顔で天国へと旅立っていったのは……




